第三話 私の仕事は?
溜息が出る度に私は、「こんなはずじゃなかった!」と思う。
短大を卒業して、「Star south hotel」に就職した頃は、少しのどきどきと、ちょっぴりの不安がごちゃ混ぜになった気持ちを抱えて、それでも、人生に対してまだまだ希望や期待やわくわくが沢山だった。
私にとって憧れと言っても良いほどに煌びやかな世界に見えていたホテルでの仕事に就くことができたのだから、その頃の私の心の中に希望や期待やわくわくがあっても当然だったろう。
私が配属されたのは、電話交換手の仕事だった。
電話交換手の歴史はとても古くて、電話のシステムが作られた頃には、電話交換手を通してしか会社から会社へ、家から家へ、電話をかけることができなかったらしい。
まあ、そんなことは、本当に本当に古い時代、電話網が出来たばかりの頃の話しで、今ではそれらは全て自動化されているから、電話番号をプッシュすれば、直接相手方に接続されるようになっているのだけれど……。
「Star south hotel」に就職した女性は、全体の仕事の流れや、その内容を把握するために、まずは電話交換の仕事をこなさなければならないらしかった。女子社員の研修のようなものなのだろう、と私はそう思っていた。
私に与えられた電話交換手としての仕事は、「Star south hotel」の代表番号にかかって来た電話を、各お客様のお部屋だとか、レストランだとか、コンシェルジュデスクだとか、館内の各所にお繋ぎする仕事だ。
「貴方の仕事は「Star south hotel」の声の窓口です。ホテルマンがお客様をお迎えする時、常に笑顔で居るのと同じように、貴方も声の笑顔を心掛けてください」
そんなことを繰り返し繰り返し言われ続けながら、必死で仕事を覚えた。
正しい敬語の使い方、クレーム対応のイロハ、ホテルの仕事の内容や役職のこと、電話交換機の操作手順、……、小さな電話交換室の中で、少しずつ少しずつ仕事を覚えることは、私にとって、それら全てが新鮮に思えた。
ピリリリリリリッ、ピリリリリリリ
私の手元の機械が初めて着信のランプを点滅させた時、機械を操作する手が、指先が、声が震えた。
「もしもし」
って家の電話に出る時には何の躊躇もないのに、仕事となると、電話を取ると言う単純なことでも、心臓を締め付けられるような気がした。
就職して数年は、とにかく毎日、無我夢中で仕事をこなした。憧れのホテルで仕事ができる!と言うことが嬉しかったし、いまはこんな小さな部屋の中で仕事しているけれどいつかは周りから認められてフロントだとか客室の仕事だとかの表舞台に出られる!って言う希望もあった。
それが、どう言うことだろう……?いつからこんな風になってしまったんだろう……。
毎日毎日、抜け殻みたいな体を電車に詰め込んで、職場では空虚な笑顔を無理矢理に作って、時間を塗り潰す努力だけをするようになったのは。
私の希望や期待やわくわくとは反比例するように時が経ち、未だ表舞台への引き抜きのお声も掛からないままに、32歳になってしまった。
こうなるともう、半ばやけっぱち!と言うか、投げやりな気分だ。
電話交換室と言う閉ざされた箱の中、密閉された空間、累々と堆く積み重ねられる変化のない毎日、まるで外の世界から置いてけぼりにされてしまったようなそんな憂鬱、それらを満々と湛えた私の溜息は、やっぱり私だけの特別な一品のように思える。
グイと中年親父に背中を押されて我にかえると、目の前のドアが開いて、生ぬるい外気が流れ込んで来ていた。
物思いにふけっている間に、電車は職場の最寄り駅に到着してしまっていたようだった。
私は中年親父に背中をせき立てられるように、モワっとした外気の中にはじき出された。