第二話 いつもの通勤
ホームに滑り込んで来た電車のドアが開くと、僅かな客が吐き出される。吐き出された彼らと入れ違うように、私は車内へと身をねじ込んだ。
クーラーが効いているとは言え、快適なのは室温だけだ。 今の今まで電車の中に密閉されていた独特の空気に包まれると自然に溜息が出てしまう。
ふと見回すと、通勤ラッシュに揉みくちゃにされながら溜息をついているのは自分だけではなさそうに感じられた。誰の顔にも月曜日の朝の気だるさがこびりついているように見える。そんな光景が、僅かに私の気持ちを安心させた。 それでも私の溜息だけは、きっと特別なんだ!と思ってしまう。
ギシギシときしみを上げる電車の中でいかにも不潔そうな中年親父に身を寄せられているから、溜息が出てしまうのでもなければ、お肌のコンディションがいまいち良くないから、溜息が出てしまうのでもなかった。
(何が大吉よ!)
私は今朝出がけに観たTVの占いのことをふと思い出してしまっていた。
「今日の天秤座の運勢は大吉、恋愛運は絶好調!」
なんて女子アナが言っていた。
(毎日毎日が平凡に過ぎて行くのに、何が大吉だ!)
そんな風に思いながらも、心のどこかでほんの少し期待してしまっていた自分を思い出すと馬鹿馬鹿しく思えてくる。
通勤ラッシュのひしめき合う人の群れの中にあっては、良い運勢を導き出す道具の欠片すら見付けられそうには思えない。
こんなに混み合った電車の中にあっても、何かにとりつかれたように携帯をぴこぴこやっている男女が目に付く。彼らは、携帯を弄れば幸運が舞い込んで来るとでも思っているのだろうか。
(携帯中毒ね、ここまでくると……)
毎朝毎朝、こんな混み合った電車の中でさえ、貪るように携帯を操る手を止めようともしない連中を目にする度に、私はそう思ってしまう。
私だって勿論携帯は持っているけれど、ここに居る連中のように、携帯に振り回されてはいない。 私にとって携帯は緊急時の連絡を取るためのツールでしかないし、バッグの中にお守り程度に存在してくれればそれで十分だった。
私の心は、電車の中で携帯を弄ぶ連中のモラルの無さを嘆いていると言うよりは、日々の仕事の中で、携帯に依存した連中と否応なしに関わりを持たされているから、携帯電話でお腹一杯!と言ったところだ。
以前読んだことのある「携帯を持った猿」と言う本のタイトルが不気味に頭を過ぎる。
電車の中で化粧をする女の子だとか、同じく電車内で携帯でペラペラしゃべり続ける若者のモラルを、類人猿の学者さんが分析して書いた本だ。
私なりに、その本の内容をザっと略してみると、携帯を持った猿のモラルの崩壊は、「公共の場の家化」と言うことだ。
公共の場を家と同じように認識し、振る舞う、そんな若者が社会を侵食しつつあるのかも知れない。
いや、これは若者だけに止まることではないのかも?親父、おばさん、そして……、私たちと同世代にも、モラルの崩壊は侵食しつつあると言っても、決して言いすぎではないだろう。
そんなことを考えながら、車内をぐるりと見回してみる。すると、まがまがしい考えが、私の頭の中に巡った。
携帯電話に依存した人が不気味に増殖する様が思い浮かんで、ぞくっとした。携帯を耳に当てて、あるいは、眼前に開いて闊歩する猿の群れ……群れ……群れ……。思いを巡らせるだけでおぞましい。
電車がカーブを通過する。
電車が大きく揺れたひょうしに、誰かが携帯を取り落とした。硬質な携帯が床にぶつかる音が小気味よく聞こえてしまう。
(この分だと携帯を持った猿が増殖するなんてことはなさそうね!)
先程想像してしまった嫌な考えを打ち消す要素を見付けて、私は安堵すると同時に、誰かが携帯を取り落としたと言う些細なことでも、人様の不幸を小気味よいなんて思ってしまう私もちょっぴり病んでいるのだろうか?、なんて自分の精神状態を素人目で診断してみる。
私がそうして精神科医の真似事をしている間にも、遠心力が手伝ってか、中年親父が私の背中をグイっと押してくる。押しつぶされた肺から、またもや溜息が出てしまう。