第十四話 いつもの朝? 何かがずれてる!
気が付けば、ワンワンと吠える目覚まし時計が、私に火曜日の朝を知らせていた。
真夜中までネットをしてしまっていたのだから、当然と言えば当然なのだけれど、昨日買ったばかりの炊飯器の初仕事を、それが終わる時の彼女の声を聞くことができる時間(5時半)に目覚めることはできなかった。
さらに運が悪いことには、5分おきに鳴るようになっている目覚まし時計が4度は鳴っていたらしい。私がベッドからモゾモゾと起き出した時には、時刻は6時23分になってしまっていた。
エアコンとTVをつける。
冷蔵庫からペットボトルのコーヒーを取り出してグラスに注ぐ?
パリン!
私の手から滑り落ちたグラスは、床にぶつかって、……、割れた。お気に入りだった素焼きの陶器の感触が、指先に、掌に残っている。私の手をスルリとすり抜けて、引力に引かれたグラスは、ご丁寧にも細かな破片まで作ってくれている。
もう泣きそうだ。何が悲しくて朝っぱらから掃除機をかけなきゃいけないんだ!掃除機だけじゃない!コーヒーをこぼしてしまったから、拭き掃除も……。
昨日の夜は、炊飯器を買いに出掛けなければならないと言うアクシデントのせいで、お風呂にも入っていない。だから、朝シャンははずせないのに!
「掃除機じゃなくて〜、朝シャンしたいの〜!」
って吠えてみるけれど、
「っじゃ、掃除機と拭き掃除は俺がするから、シャワー浴びてきなよ」
なんて言ってくれるような彼氏が居るわけじゃなし……。
掃除機かけて、拭き掃除して……。
小さなユニットバスの中で頭からシャワーを浴びながら、私はふと思い出してしまっていた。
「っじゃ、掃除機と拭き掃除は俺がするから、シャワー浴びてきなよ」
って言ってくれるような優しい彼が居たことを……。
ほんの1年前までつき合っていた藤岡一成は、とても優しい人だった。
小柄で端整な顔立ち、陶芸家を目指していると言っていた彼は、それに相応しいしなやかな指をしていた。
坦々とした仕事をこなすだけの毎日を過ごしていた私には、夢を追い続ける一成が輝いて見えた。
だから一成の夢を叶える力になれれば……、そう思って、バイトをしながら陶芸の勉強を続ける彼を私なりに支えようと思ったものだった。
私の部屋で半ば同棲のような暮らしをしていた彼は、時々男友達をこの部屋に連れてきた。その中でも印象的だったのが、金田竜一だった。
一成は竜一君のことを「俺の美大の頃からの親友だ」と言って紹介してくれた。
一成と竜一君は、私には理解できないような美術の話しを肴に、夜遅くまで、ともすれば徹夜で飲んでいたものだ。
美術談義を蕩々と話し続ける2人の間には、親友と呼べるに相応しい濃密な空気があった。優しくて繊細な一成、おおらかで剛胆な竜一君、お互いに違う性格だから深い友情が紡げるのかも知れない、私はそんな風に思った。
一成とつき合い始めて2年が経っても、彼の暮らしぶりは変わらなかった。陶芸家への夢もゴールは遠そうに思えたし、細々としたバイト収入の彼を援助し続ける生活に明るい未来を想像することができなくなってしまっていた。
そのうちに、このまま私が一成の生活を支え続けることが、彼をだめにしてしまうのでは?と言う気持ちが大きくなってしまって、私の方から別れを切り出した。
「あいつは優しくてさ、それに不器用な奴だから、何をするにも回り道になっちまうんだ。だけどさ、俺は、あいつを信じてるよ。あいつが夢を叶えるまで……。俺がこんなことを言うと柄でもないけど、あいつの夢は俺の夢でもあるんだ。あいつの作った陶器にさ、俺は絵を描きたい!だから……それまで……、俺はあいつを見守ろうって思うんだ」
ある日、一成が眠っている時に、竜一君は照れながらそう言っていた。
私は竜一君みたいに一成の夢を見守ることができなかった。彼を待つことができなかった。
それを思うと私の心はピリリと小さく痛んだけれど、竜一君の友情があれば一成はきっと夢を叶えているようなそんな気もする。
(一成と竜一君、今頃どうしてるかな)
シャワーしながら物思いにふけっていたせいで、仕事に出掛けるまでのタイムリミットは益々短くなってしまっていた。
私がTVをちら見しながら、ご飯を頬張る頃には7時半に近い時間になっていた。ちなみに昨日は夕食を作ってないから、味噌汁のストックと言うか残りがないので、今朝のご飯のお供はインスタント物のお味噌汁。
TVでは、
「今時のトレンドグッズ!」
のランキングを垂れ流しているらしく、今日のランキング特集は携帯電話グッズだ
「今一番のトレンドは、ジャジャ〜ン!こちらの携帯に貼り付けるシールで〜す」
昨日の夜、炊飯器を買いに行った時に店で配られてて私も受け取ってしまっていた携帯シール、夜中に読んだネット上の都市伝説、……、一瞬それらが頭を掠めて今TVで流されてる情報と重なり合ったけれど、そんなことをゆっくり考えてる暇は私にはなかった。
お米をといで、炊飯器のタイマーを、私が仕事から帰る時間(6時40分)にセットする。
「今日の天秤座の運勢は……、ごめんなさ〜い!大凶!でもでも、安心して?頼れる年上の人が貴方を助けてくれま〜す」
いつもなら出がけに背中で聴くだけの占い、朝が遅かったから今日はまともに観てしまった。
(ほんと、大凶だわ。寝坊するし、グラスは割ってしまうし、朝からろくなことがないもの……)
服を着替えて、顔の周りをちゃっちゃと整える。身支度と言うにも、化粧と言うにも、あまりにも粗末と言うか、おざなりな動作だ。
TVのオフタイマーを30分後にセットしようとしてみるけれど、リモコンが動かない。電池が切れてしまっているらしい。
私はしかたなく、TVの主電源のスイッチをプチンと消して、静まりかえった部屋を出た。
(今日は朝から調子っぱずれなことばかりだわ!)
部屋のドアを閉めた瞬間に、かみ合わせの悪い歯車が、ギリギリときしみながら回転する音が心の中に聞こえたような気がした。嫌な感じの余韻が私の耳の奥にジーンと残った。