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(前)

一、


 母に手を引かれ、くぐった門。

 花だんに咲いた、オレンジの花が出迎えた。

 同い年の、子供たちの喧騒。砂ぼこり蹴立て。

 そこが、楽しい場所だと、

 勘違いした。


 知らない大人がいた。

 体の大きな、眼鏡の男だった。

 母は何か話した。男は僕を見て、微笑んだ。

 母は僕に、いいきかせた。

 いうことをきくように、いい子にしているように。

 そうすれば。そうすれば?

 母の背は、門の外に。

 見送る間もなく、僕は男に引き立てられた。


 男は和田といった。園長だといっていた。

 何人かの大人たちが、名前をいった。全然覚えられなかった。

 ここには、何人も子供がいることを教えられた。

 みんな今日から友達だ、と教えられた。

 ちゃんといい子にしていれば、お母さんが迎えに来るって。

 お母さんが?

 よく分からない。


 いつも門の外を見ていた。

 オレンジの花が揺れていた。

 砂ぼこりが、むずがゆい。

 ずっとそうしていて、そんなふうに、

 時間だけがすぎた。


「遊ばないのかい?」

 園長の和田が、僕にそういった。

「お母さんは、いつ来るの?」

 園長は微笑んだ。

「いい子にしていればね」

 僕はその「いい子」が分からなかった。

 母はいつも、僕に「黙れ」といった。

 黙っていれば、「いい子」なのだろうか。

 僕はずっと黙って、待っていた。



二、


 友達とは、言葉をかわさない。

 友達は、何もいわない。

 友達は友達と話す。

 僕は友達と話さない。

 僕は、友達



三、


 突然殴られた。腹を。悔しかった。

 大人が、

 僕と、僕を殴ったそいつを引き合わせる。


「殴りなさい」

 僕は思いっきり、そいつの腹を殴った。

 そいつは大きくて、平気な顔をしていた。

 僕は悔しく、何度も殴った。

 何度も。全然平気な顔をしていた。

 腕が細いのが、悔しかった。

 僕はあんなに痛かったのに。

「本当に、そんな殴られたの?」

 大人が訝しげにいった。

 怖くなって、僕はうなずいて、

 そいつを睨むだけで、

 そいつは平気な顔して、何もいわないけど、

 もう殴らなかった。


 怖かった。

 僕の中に、黒いものが残った。

 それが何なのか分からない。

 悔しさじゃないことは分かった。

 何かにじっと見られているような。

「嘘つき」


 悪いのは僕じゃない。



四、


 門の外を見ていた。

「遊ばないのかい?」

 園長の和田が、そう微笑みかける。

「お母さんは、いつ来るの?」

 園長はにっこりと、

「もう来ないよ」

「どうして?」

「お前は捨てられたんだ」

「どうして?」

「お前は、いらない人間なんだよ」

「だから捨てられたんだ」

「お前はゴミなんだ」

「お前はいらない人間なんだ」

「だからお母さんは来ない」

「いらないから」


 空のせいじゃなく、すべてが灰色にくすんで見えた。

 あの笑顔さえも、つくられたもので。

 光のないいくつもの瞳が、

 僕を見ていた。



五、


 捨てられた

 捨てられた

 生きている価値

 捨てられた



六、


 大人たちの中に、園長の息子がいた。

 他の大人がいないと、そいつは僕たちをぶった。

 そいつはみんなから嫌われていた。


 そいつは口から毒を吐く。

「社会のゴミ」

「寄生虫」

 その毒は、僕たちの心を殺していく。

「親に捨てられた」

「誰も必要としていない」

「いらない人間」

「捨てられた」


「生きている価値」

 それが自分にあると思えない。

 大人が言うんだから、

 そうなのだろう。



 僕たちは、いらない人間。



七、


 嘘とつくりものの中で、

 彼女の髪は、鮮やかな金色。

 花だんの、今は枯れた、あの花のように、

 目に痛かった。


 あの花は――

「マリーゴールド」

 彼女は、なめらかな声で言った。


 ガラス玉のような瞳。


 青空を透かしたような、かすかな鈍色。

 雨上がり、僕を映す。水たまりに映った、昼の時間。


 金色の髪が、風に遊ぶ。

 灰色の景色の中で、唯一鮮やかだった。


 エマ


 押し花が好きな、愛らしい少女だった。



 エマは笑わない。

 誰も笑っていない。

 だから不思議じゃない。

 僕は笑わない。

 だけどもし、彼女が笑ったら、

 僕も笑えるだろうか。



 大人は、笑うたびに毒を吐く。

 僕たちは呼吸できない。

 大人は口から毒を吐く。

 嘲笑う。

 見下して笑う。

 僕たちがいらない人間だから。

 笑うたびに毒を吐く。

 笑わなくても毒を吐く。

 僕たちは呼吸できない。



 笑ったとき、僕の口からも、

 毒がもれるのだろうか。

 笑わなくてももれるのだろうか。

 僕は思わず口をふさいだ。

 エマが僕を見る。

「どうしたの?」

 僕はこのことを、

 教えなければと思った。

「笑うと、毒がもれるんだ。気をつけたほうがいい」

 それにエマは、怪訝そうな顔をして、

 かすかに微笑んだ、気がした。

 甘い香りがした。



 僕はエマにいてほしい。

 だってきれいだから。

 だからエマはいらない人間じゃない。


 エマは、僕は、

 エマは僕に、

 エマはいてほしいだろうか


 僕はエマにいてほしい。

 エマは僕に、

 僕は?



八、


 一緒に工作していた。

 空き箱を集めて、セロハンテープで

 はりつける。


 僕はきらきら光る、箱をとった。

 僕はその箱が、すごく気にいっていた。


 それを、体の大きいあいつが、

 僕を突きとばして、

 箱をとった。


 僕は悔しくて、ハサミを投げつけた。

 みんなざわついた。

 大人が、僕の腕をつかんだ。

 すごく痛かった。腕が、ちぎれる。


「ダメでしょ!」

 僕はみんなの目に引き立てられた。

 腕が痛い。さっきよりも強く、引きのばされた。

「刃物はオモチャじゃないの!」

 大人は、ハサミを開いて、僕の腕にあてた。

「すごく痛いの! 人に向けたり、投げちゃダメ!」

 刃先が、赤い線が走る。

 僕は泣き叫んだ。必死にふりほどこうとした。その手は、食いこんで離れない。

 痛かった。

 痛かった。

「これで分かった?」

 光のないいくつもの瞳が、

 声をそろえてうなずいた。



九、


 悪いのは僕じゃない。

 悪いのは僕じゃない。

 どうして僕が?

 悪いのは僕じゃない。


 夢を見る。

 人が裂けて死ぬ夢。

 嫌な奴、僕を殴った奴、

 大人、


 赤く裂ける。

 死ねばいい。


 どうして僕が?


 痛い


 どうして?


 いらない人間。

 いらない人間。

 死ねばいい。


 どうして僕が


 悪いのは僕じゃない



十、


 病弱なそいつは、

 みんなと同じように走れなくて、

 砂場に山をつくって、遊んでいた。

 あぶれた僕は、じっとそれを見ていた。

 僕は砂で遊ばないが、

 そうしているのが、

 居心地がよかった。


 他のみんなは、必死に走ったり、

 何かしている。

 運動会。

 僕は、足も遅く、体力もないから、

 リレーに選ばれない。

 友達は、僕と組みたくないから、

 僕は一緒に、二人三脚や、

 何にも出れなかった。


 綱引きに、僕はいらない。

 大縄とびに、僕は足を引っぱるだけ

 僕はいらない。

 僕の組は、僕はいらない。

 玉入れは楽しかった。


 砂の山を見る。そいつは必死に、

 トンネルを通そうとしていた。


 僕はじっと見ていた。



「何をしているんだ!」

 声を荒げながら、

 園長の和田が、

 砂の山を蹴り崩す。

 僕は体が強張った。

 園長は、すごい怖い顔をしていた。


「みんなが頑張っているのに、お前らは何をしているんだ!」

「遊ばせるために、見学させているんじゃないんだぞ!」

「この人間のクズ」


 睨むでもなく、そいつは

 うつむきながら従う。


 僕は見ていただけなのに、

 どうして怒られなければいけない。

 僕は納得がいかなかった。

 だけど僕は、すごすごと

 従うだけだった。



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