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経済の話

ある国の話2

 どこの国でも同じですが、普通、人口は増え続ける傾向にあります。もちろん、それはその国でも同じでした。その傾向は、厳しく悲惨な戦争が終わって、戻ってきた兵士たちが家庭を持ち子供を産むと、より顕著になります。そして、たくさん生まれた子供達は、育ち、強力な労働力になっていったのでした。

 その国には、勤続年数が長ければ長いほど、お金をたくさんもらえる文化がありました。それならば、仕事を辞めないでできるだけ長く働き続けた方が得です。だから、その時代の人達の多くは、一つの会社に長期間勤め続けました。終身雇用と言っても良いほどです。そしてその事は、企業にとっての安定的な労働力の確保に繋がり、経済成長の原動力の一つにもなったのです。

 勤続年数が長ければ長いほど高額の給与を貰える。それは裏を返せば、勤続年数の短い若い人達の給与は低いという事でもありました。高齢者への給与の高額支給が可能だったのは、高齢者の人口が少なく、給与の安い若者の人口が多かったからです。高齢者を頂点として、若くなるほど人口が増える、ピラミッド構造だった。数が少なければ高額の給与だって問題なく支払えます。それを補って余りある若い労働力がたくさんいた訳ですし。

 その人口構造のお蔭で、その国の企業は年功序列と呼ばれるその体制を長い間保っていられました。しかし、いつまでもその人口構造は維持できませんでした。生き物は無限には増え続けられません。人間もそれは同じ。ならば、子供が生まれなくなっていくのも必然。つまり、ピラミッド構造の人口バランスは徐々に崩れていったのです。高齢者の人口割合が増え、反対に若い人達の人口割合は減っていってしまったのです。

 民間でそれは起こりました。年功序列体制の崩壊と、欧米の実力主義の導入。安易に海外の制度を導入するものじゃない、というような批判も出ましたが、その流れは止まりはしませんでした。何故なら、その本質は人口構造の変化により、年功序列が維持できなくなった事にあったからです。物理的に、それは不可能だったのです。ただし、一部ではその傾向は残りました。高齢者が相変わらずに、高額の給与を貰っている。或いは、そうでなくても、高齢者が高額所得者というケースは多くありました。何故なら、権力や高い地位を持った高齢者が金融資産を多く持つというケースは珍しくなく、そして日本は、外国に投資した事による利益が、多く入ってくる国にもなっていたからです。その事は、ちょっとした問題を孕んでいました。高齢者に富が集中をする。しかし、高齢者は消費意欲が低いのが普通です。つまり、お金を使わない。そして、“金持ち”がお金を使わない事は、経済にとって悪影響なのです。海外から、お金が入ってくれば円高圧力が高くなり、現役世代を苦しめます。なのに、経済には貢献しないのですから。

 更に、実は年功序列がほとんど崩れていないとても大きな組織が、この国には存在してもいるのでした。その組織は“国”です。つまりは、公務員達。民間では崩壊に向かっている年功序列が、公務員では確りと未だに維持されているのです。高齢者が、ただ高齢者だという理由だけで、高額の給与を受け取れるという理不尽がまかり通っている。

 当然これは、先と同じ理由で、若者の負担を増大させ、消費の低迷に拍車をかけることで経済に悪影響を与え、そして財政問題を悪化させ続けています。その財政に対する不安は、更に消費を減退させもします。

 お金を持った人が社会にいる。それなのに、物が売れない時代の到来は必然だったのでしょう(もっとも、原因はこれだけではありませんが)。

 物が売れなければ、現役世代の収入は冷え込みます。所得は増えません。しかし、その一方で高齢者を養う為の社会保障にかかる費用は、急速に膨れ上がっているのです。もちろん、貧困に苦しむ高齢者もたくさんいるのですが、高齢者の中には、社会保障制度の恩恵を受ける高額所得者もたくさんいます。そして、その社会保障は現役世代が支えている。その場合、貧困に苦しむ若者が、金持ちの高齢者を支えているという、なんとも皮肉な構造が出来上がっている事になります。これは、一部を切り取った事実ではありますが、決して無視はできません。何故ならその傾向は、これから先、もっと酷くなっていくからです。

 さて。高齢者に対する高保障を社会が敷いているのに対し、育児に関する福祉はこの国では充実していませんでした。

 わずか月収18万円の若夫婦が、高所得高齢者への福祉を充実させる為の社会負担を引き受けながら、育児をしなければならない。というような悲惨な事態も既に発生しているのです。しかも、共働きでなんとかしようと思っても、保育園不足の所為で、それもままならない。しかも、保育園不足を解消する為の幼保一体化は、(高額所得高齢者中心の)利権団体の抵抗で進まない。これでは流石に酷すぎます。

 こういった現状は、民主主義の欠点が災いしたものでもありました。民主主義は、多数決の制度です。当然、人口割合が多い高齢者へ有利な社会が形成され易いのです。しかも、高齢者の投票率が高いのに対し、若者の投票率は低いので、必然的に政治家は当選する為に、高齢者有利の政策を提示しがちになります。

 もっとも、それでは多くの高齢者が自分達の豊かな生活の為に、若者の犠牲を望んでいるのかと言えば、それも違うのではないかと思います。政治家が提示する政策に、わざわざ若者を犠牲にして実現しますなどと書くはずもありませんし、間接的になれば、人間はそれを感じ難くなるものです。オレオレ詐欺に騙される人が多いのも、本来は良心的な人が多いからだと捉えられるでしょうし、社会負担を買って出る人も少なくないのです。

 つまり、高齢者の多くには、国に対して訴えているつもりはあっても、若者を犠牲にしているつもりなどないのです。いえ、理屈の上ではそれを理解している人もいるでしょうが、気持ちでは理解できていないというのが本当のところかもしれません。


 さて。

 普通、社会が発展する為には、若者にお金をかけるものですが、この国では真逆の事をやってしまっています。後ろ向きの制度設計。衰退していくのも必然。このままでは、大きな問題があるのは、まず間違いないでしょう。

 高額所得高齢者への高社会保障を減らさなければ、どうなるか分かりません。

 労働人口が減っても、その分、生産性が上がれば、高齢者を養う事はできます(インターネットを活用した、流通の効率化など、実現の道はあります)。しかし、高齢者の所得を低く抑えて、若者の給与を高くしなければ、その体制は生み出せません。

 高くなった若者の給与から、高齢者達の生活費を出すような体制にしなければ、生産性がいくら上がっても、その存続は不可能なのです。


 この物語はまだ終わりません。この続きは現実社会が引き継ぎます。

 もちろん僕はハッピーエンドを望みますが、当事者である若いあなたが、それに向けて努力しなければ、この問題を乗り越えられはしないでしょう。


 以上、2011年11月。

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