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 原乃街は、微笑していた。

「あなたの鎌を浴びたのはこれで二度目だね」

「この前よりも深く刺したよ。今度は復活できない」

「確かに、手加減しないね」

 原乃街はうなだれた。

「でも、前よりマシ」

 原乃街の手足が真後ろに屈曲し、鎌に絡み付いた。

 手足をねじり、鎌を奪い取る。鎌を体から抜き、空中に放り投げた。バシャンという水音がし、鎌の形の波紋が立った。鎌は小川に沈んだ。

「むう。なぜ? ……パワーアップしたのか?」

 アイは攻撃が効かなかった理由が分からないらしい。実は、俺は両方無事なことにホッとしていた。

 原乃街は、諭すような目で言った。

「分かっていないらしいね。さっき鎌を突き付けられた時、私は気付いたけどなあ。この前も今も、私は変わっていないよ。あなたがパワーダウンしているのよ」

「――」

 アイは立ち尽くしていた。もはや戦闘の構えを取ってはいなかった。いつもより青白く、顔色は悪く見えた。それは辺りが暗くなったせいかもしれない。が、無表情の奥に深刻さが隠れるアイの顔を、俺は見たことはなかった。

「あなたが襲う前に『神』の情報を調べているように、私も『悪魔』の情報を調べているの。『悪魔』は自分や他人の不幸をエネルギーにして活動するそうね」

 原乃街は読経のように言った。

「落胆。後悔。怨恨。憂鬱。絶望。憤慨。羨み。悲しみ。偽り。劣等感。罪悪感。その他さまざまのマイナスの感情。あなたたちはそれを味わったり、人間から吸い取ったりして、エネルギーにしているのよね。逆に言うと不幸が無ければパワーは落ちるということよね。推測すると、最近のあなたは不幸を味わえる環境に居なかった。あるいは、味わえるのに味わわなかった。どちらかだと思うよ?」

 俺はハッとした。

 最初に会った時、アイの話を理解しない俺に何と言っていた?

 ――理解されないのがいいんだ。

 俺がアイを襲った時もだ。

 ――君の罪悪感を吸わせたまえ。

 なぜそんなことを言ったのか。なぜ、アイにキスをされると、重苦しかった心がスッキリ晴れたのか。俺は理解できた。それは、アイが俺の不幸を吸って活動するという『悪魔』であったからだ。

 しかし、だとするなら、アイは俺からちょくちょく不幸を吸っていたはずだ。葬式の時だって俺は落ち込んでいたし、エネルギー補給する機会はあった。なのにどうして今のアイはパワーダウンしているのか。俺の不幸では足りなかったのか?

「今のあなたの力じゃ、私を殺せないよ」

 原乃街は腕を組み、冷静に事実を突きつけた。

「なるほど。そうか。自分では気付かなかった。詳しい分析に感謝したい」

「私を殺すのを免除する?」

「そうだね、しかし、どうも違う。君の分析はどちらでもないようだ」

 アイは俯いていた。黒い刃物のような髪が顔を隠す。アイは白い指で頭を掻いた。

「君の説明は違う。だが、そのおかげで、本当のことが分かった」

「え?」

「アイが悪魔ロボットでなければと思うよ。そしたら、人間のように、『なんとなく』とでも言えばよかった。それで理由になるからね」

「あなた、何を言っているの?」

「何だろうね。でも、君には関係ないよ。君はこれから死ぬから」

 アイはぼんやりと空中を見た。

 小川から上がってきた鎌が宙に浮いていた。

 アイが手を差し出した。黒い鎌は手に戻った。

「だからあ、何回やっても無駄よ」

「そうだね。このままならね」

「え?」

 二人の原乃街の顔に緊張が走った。

「神を殺す武器は、出現させているだけでエネルギーを食うんだよ。だから、神を殺す時にしか出さない。出しても被覆してある。被覆したまま使っても普通の状況なら困ることはないんだ。却って勝手がいいんだよ。持続時間は長いし、壊しすぎないしね。でも、相手が強い時や、アイのパワーが落ちている時は別だよ。今は両方とも当てはまる状況みたいだ。だから、コーティングを外す」

 アイは鎌をかざした。カパッという亀裂音がし、ガラガラと落ちる音がした。鎌の形をした黒い殻が二個落下した。殻は鎌を両面から押さえつけていたのだ。青く光る銀色の刃が現れた。

 アイは天に向かって咆哮した。

 

 ――アァァアァアアアアァ!! 

 

 アイは、無表情だった。無表情のまま、文句を言う奴を殺しそうな鋭さだった。

 アイは鎌を、さっと振った。バシィとへばりつくような音がした。

 原乃街の左の肩が分断された。

「いやぁぁあああぁぁ!!」

 原乃街は苦悶のあまり叫んだ。傷の派手さによるショックか、それとも痛みか。喪服が倒れ込み、砂利にまみれる。

「今度はダメージがあるようだね」

 一帯に暴風が発生している。だが、中心で鎌を背負っているアイは髪も揺れない。

 俺は向こう岸を見る。原乃街の本体の表情。絶望の渦の中に見える冷静さ。その割合が歴然と少なくなる。悲しそうな顔だった。俺はこんな原乃街の顔を見たことがなかった。

 それに、見たくなかった。

 こっちの岸では、アイが原乃街に追撃していた。アイは片手で鎌を振り下ろした。原乃街の足がバシリと音を立ててちぎれた。ギャアアアアア……!! 内臓の奥から出てくるような原乃街の悲鳴。原乃街は、暴風に押され、小川に転がり落ちる。手が一本しかないので体を起こせない。水を飲んで悲鳴を吐き出す。向こう岸から原乃街が下りて行く。

「なんてことを……。『私』がこんなひどい格好にされるなんて……。ああ、ごめんね、ごめんね……」

 原乃街は涙を流し、いたわるように自分の分身を抱いた。押さえている傷口がうごめき、人間の顔が現れたり消えたりしている。見覚えがある。たぶん、今まで吸い取った男達の顔だろう。

 俺は、この場面に一個の点ほども存在感のない傍観者となってしまっていた。体も心も重く、動けなくなっていた。どうすればいいんだ。俺は必死に考えた。この状況はありえねぇだろ。ありえたら駄目だろ。ゲームでさえこんなバグのような展開は避けるだろうに。それとも何だ。「恋愛シミュレーションだと思ったらバイオレンスアクションだった」とでも言わせるつもりか。困ったぜ。的外れな呟きしか出て来ない。

 アイは岸際まで行った。そのまま下りる気だ。

「やめろ、もう終わりだ!」

 アイの手を掴み、たぐる。

「やめろって? 正気かい? 君を吸い取ろうとした女だよ?」

 アイは鋭い目で俺を見た。

「知ってるよそんなことは。だがな」

 言葉を切り、原乃街を見た。

 泣いていても、絵になる。

 俺には原乃街は正義なのだ。分身という「自分」が傷付けられ、初めて原乃街は涙を見せた。殺されたら理想の自分を追求することができなくなる。それを悲しんでいた。そんなにも自分が可愛いのだと思うと、俺は今までで一番原乃街のことを可愛いと思えたんだ。

 俺はアイを押しのけ、岸壁に立った。喪服の方は、本人の胸の中でぐったりしていた。だから俺は本人に言う。どっちでもよかった。いや、どっち「も」よかったのだと思う。

「原乃街。降参するよ。俺の気持ちは、この前駅で告白した通りだ。ということは、お前に魅了されるのも仕方ないと、最初から諦めているんだよ。もう開き直るしか俺には無い。いいか原乃街、よく聞いてくれ」

 俺は息を吸い込んだ。

「俺と付き合え」

 言った。俺は正直な気持ちを一世一代の芝居がかった口調でお送りした。

「魅了しないでくれなんて言ったところで無理だろう。俺が勝手に魅了されてしまうんだからな。それで吸い取られても、最悪、ほんと最悪だが、まあ仕方ない。だがそれは俺と付き合ってからでもいいだろう。長い間付き合って、俺を魅了するだけしてから吸い取っても遅くはない」

「あなたが好きになったのは私じゃなく、こっちの『私』じゃないの?」

「どっちも同じ原乃街に見えた。今は二人とも同じだと確信している。俺は原乃街が好きなんだ。そこには当然、いま俺と話しているお前が入っている。それじゃだめなのか」

 俺は、恥ずかしさが沸騰してヤケな感じに変わっていた。対象が二人なら恥ずかしさも二倍だ。

「くっ」

 原乃街は含み笑いをした。

「くくっ、ふふふふ……。今のはちょっとドキッとしたかも。自分にびっくりしたよ」

 原乃街は満足げに笑った。俺の恥ずかしさが伝染したのか、顔は少し赤味をおびていた。

 

 

「なるほどね」

 アイは、鎌を杖のように地面に突いた。

 刺すような目で俺に詰め寄った。

「神と和解したかね?」

「アイ、大丈夫だ、もう収まった」

「そのようだね。実に残念に思うよ」

「なに? なぜだ」

「事態が収まって、分かってしまったからだよ。アイがこの女を殺すのは、君が襲われるのを危惧したからではなかった。『とにかくこの女を殺したいだけだった』と。そうなんだよ。アイは悪魔ロボットなんだからね。神を見たら殺す。それだけなんだよね。いつもどおりなんだ」

 風が、竜巻のように強まった。

 アイは獣のように腰を落とし、肩で息をしていた。うつろな目で原乃街を捉えていた。

「やめろ、アイ」

 俺は言ったが、声は風に吹き散らされる。立っているだけでも辛い。

「楽にしてあげるからね……」

 アイは重そうに鎌を持ち上げた。百八十度の弧を描き、振り下ろすエネルギーを溜める。アイは走って行く。川に飛び込む。

 大鎌を、

「やめてくれ、アイッ!」

 一閃。

 俺は、叫ぶしかできなかった。

 風に逆らい、のろのろと進み、小川に下りて行った。

 すでに鎌は刺さっていた。

 アイは地面に埋まった鎌にもたれていた。原乃街は、隣にライオンが居るように顔をこわばらせていた。

 アイの丸い背中が呟く。

「なぜなんだ。刺せばよかったのに」

「アイ……」

「なあ、太一君、アイは今すごく苦しいんだ。理由は分からないけど苦しいんだよ。なのに、この苦しさは不幸ではないようなんだ。少しもパワーアップしないんだからね。どうしてなんだろうね?」

 鎌は透き通っていく。黒が灰色になり、薄い白になった。完全に空気に溶け込んだ。鎌が消えた。

「どうして、やめてくれなんて、アイに頼むんだ」

 アイは体を起こす。

「だから、殺せなかったじゃないか。アイに頼み事なんてするな。頼み事は人間どうしでするものだ。悪魔なんだから、けなせばいい。罵ればいい。蔑めばいい。君が粗末な扱いをしてくれないから、アイはもう、どうしたらいいかわからない」

 アイは痛そうな顔で泣いていた。生身の人間が苦しんでいる顔。アイが今までと違って見える。

 アイが悪魔ロボットとやらであり、本当に不幸をエネルギーとして活動していたのなら、今までどんな扱いを受けてきたのだろうか。それは想像を絶した。俺のような一般人とは離れすぎていた。だが、苦しそうに訴えるアイを前に、俺は確かに何かを感じた。小さい頃、アイはよく同じ顔をしていた。魚が捕れず夕方になった時、だだをこねるように無言になり、網を持って立っていた。俺は、アイの今と昔が初めて重なった気がした。

 俺は直感的に思った。重なった今と昔のアイをきつく縛りあげ、離れないようにしたいと。それは、アイが言葉の上で望んでいることではなかった。だが俺は幼馴染みの一人よがりな勘によりアイの願望を決め付けることにした。暴走は時に跳躍を生むということはギャルゲーでも学習している。男と女の間を埋める少量の空気を砕くには、暴走する必要だってある。そして俺は暴走したかった。この一瞬はチャンスであり、今を逃がしたら俺とアイが近付くことは二度とない気がした。俺はアイの手を掴んだ。アイは離れようとした。だが俺は力を入れた。アイに全部の言葉が聞こえるよう、俺はゆっくり言った。

「いろいろありがとうよ。原乃街が死んだと思った時、近くにお前が居てくれて助かった。駅前で原乃街から助けてくれたのもお前だった」

「アイは普通に……。悪魔ロボットのつとめを果たしているだけ……」

 アイは、戸惑う。どもる。

「かもしれないな。だが、お前が居るということは、なかなかいいものだった。分かったんだよ。俺は原乃街が勿論好きなんだが、お前だって大事らしいってことをな」

「やめろ。そういうことを言わないでくれ。またアイは、ああああっ」

 アイは上気した涙まみれの顔を近づける。きゅ~っと絡みつくように俺にくっつき、力が抜ける。固まってしまった。

「またアイは、気持ち良すぎて、フリーズしてしまう。君が優しい言葉をかけるから、せっかく不幸のエネルギーを溜めているのに、エネルギーが逃げるんだ」

 とろけるような声で耳元でささやく。もしかすると、不幸によって活動するアイは、幸せを味わうとパワーが落ちるのかもしれない。

「今まで、アイに優しい言葉を掛ける人間は居なかった。罵倒される毎日が当たり前だと思っていた。こんなに気持ちいいものだとは思わなかったよ。君がアイのために部屋を片付けてくれた時、初めて分かったんだ。神を殺した時の鋭い快感とは違っていた。ほんわりとした痒い感じがした。でも、アイは悪魔ロボットだから、神を殺すことだけ考えればよかった。そうしようと思った。けれど、アイはこっそり君に期待していた。快感を与えてくれた君のことを、無意識に考えていた。君の不幸は殆ど吸わなかったよ。見境なく吸えば、原乃街君の葬式に出た悲しい思い出まで吸ってしまうことになる。原乃街君にお説教もした。原乃街君が君のことを手段として見ているのが気に食わなかった。人間なら『なんとなく』と言えば理由になる。だけどアイは、もう一度快感を与えてほしくて、君を気に掛けていたんだ。神を殺す以外の快楽に走るなんて、アイは悪魔ロボットの原理に背く邪道な奴になってしまった」

「そうだったのか。だが、今はこれでいいんじゃないか」

「うん。いいかもしれない」

 今は、これでいいのではないか。アイの弛緩したフリーズから、俺はアイの充足を感じた。

 アイのエネルギーが足りなくなった時は、俺の不幸を持って行ってもらうとしよう。不幸を吸ってくれるとは、願ってもない技能だ。

 たぶんこれからもどうにかなるだろう。今回でさえ収まったのだからな。原乃街はアイに殺されてもおかしくなかった。原乃街が奥の手を隠し持っていれば、アイの方が死んだかもしれなかった。シャレにもならない事態を回避できたのは、俺は運がいいのかもしれない。これからも運が良かれと願いたい。

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