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   *

 

 原乃街志穂子は入学の時点で既に光っていた。百六十後半のスラリと伸びた体、つやのあるふわふわした栗色の髪、か弱さと自己主張を両方備えているようなぱっちりした瞳。そして、(とし)よりも余分に成長した胸や腰の形のよさは、入学式の初々しい制服姿でも隠し切れなかった。この先の三年間、学年あるいは学校屈指の美人として評判を呼ぶだろうということは、誰しもが想像できた。

 原乃街とクラスが同じだと知った時、中元太一は「ラッキー」と思った。しかし積極的に近付こうとは思わなかった。もし原乃街と仲良くなったら、本気で好きにならないとも限らない。それは疲れそうだと思った。恋愛というゲームに進展した場合、客観的に見ても、中元太一が原乃街にフラレないという結末は考えにくいものだった。ゲーム終了時に疲労だけが残るのなら、最初からゲームをしない方が賢いと考えた。中元太一は原乃街とコミュニケーションを取る選択を排除し、鑑賞物として眺めることを選んだ。

 接点ができたのは、入学から一ヶ月後だった。

 太一は緑化委員になっていた。学校には色々な委員会があり、クラスの相当数が委員にならなければいけなかった。緑化といっても、何をやるのか見当もつかなかった。しかし、太一は初回の集まりには出ることにした。自分のさぼりで会全体が中止になる事態は頂けないからだ。

「よかったぁ、知ってる人が居て」

 会場で隣の席に座ったのが原乃街だった。太一を同じクラスだと知っていたらしい。遅れて来たことを議長に謝ると、太一にもペコリとおじぎをした。

 おや、と太一は思った。確か原乃街は……。

「クラス委員長じゃなかった?」

 太一は原乃街が委員長に選ばれていたのを憶えていた。キャラ的にもぴったりだと思ったのも憶えていた。なんで緑化委員会に居るのだろう。

「私、委員会四つ掛け持ちしてるから」

 原乃街は恥ずかしそうに言った。

「なんで」

「なんでって……。なる人が居ない委員だって、誰かがやらないといけないから……」

 そんな感じで余った委員会を引き受けていったら四つになったそうだ。

 委員をやりたくない生徒の気持ちは分かる。太一も委員会なんて面倒臭い一人だ。

「四つも引き受けたら、大変だろ」

 他人事のように訊くと、

「ほんとは五つになるところだったけど、友達が一つやってくれたから」

「ふうん」

 原乃街は大変そうな様子を見せない。雨が降ってきたから傘を差そう、みたいな自然体で掛け持ちしているように見えた。

「……あれ?」

 ふと疑問が湧いた。二~三の例外を除いて、委員会はクラスから一人だけが原則だった気がする。現在、太一と原乃街は並んで座っている。

「あれ、俺、間違ったのかな」

 緑化委員会のほかにも、美化委員会というのがある。太一は勘違いしていたのかもしれない。

「ねえ、ここって美化委員会でいいのよね?」

「はい?」

 無垢な上目使いで原乃街は尋ねる。

 ドジを踏んでいたのは彼女の方だった。

 つとめて冷静な顔をしながらも、茹で上がったように真っ赤になっていた。太一は目のやり場に困り、目を逸らそうとした。だが目が合った。原乃街は残念そうに照れ笑いした。太一は自然と吹き出してしまった。

 参加しないと決めていたゲームにこっそり参加したのは、このときだったのだろう。

 一文字違いのミスに気付いた時、緑化委員会はほぼ終わっていた。会が終わった途端、原乃街は慌ただしく立ち去った。 

 その後、原乃街は美化委員会に顔を出し、クラス委員会を回り、総務委員会に出席した。教室に荷物を取りに帰ると誰も居なかった。

 原乃街は下足入れで靴を履き外に出た。校庭のすみっこで走り回っているハンドボール部。原乃街はハッと足を止めた。急いで緑化委員会の会場を出た時、クラス委員会で使う資料のファイルを忘れてきたのだ。それでクラス委員会では恥ずかしい思いをしたが、慌てて総務委員会に向かったので再び忘れていた。次は余裕をもって委員会を回ろう。そして今は緑化委員の会室に忘れ物を取りに行かなければ。

「おい、忘れ物」

 校庭への段差に腰掛けていた生徒が立ち上がった。中元太一が資料ファイルを手にしていた。

 中元太一は、初めてのアクションゲームではとりあえず死んでみるタイプだ。トライ&エラーを積み上げ戦略を立てるタイプである。

 太一は早速ゲームを実行に移していた。メリットも織り込んでいた。高校生活が始まったばかりの今なら、原乃街に近付く男も比較的少ない。

「安心しなよ。中身は見てないから」

「ありがとう。えーと、中元君。ただの資料だし、見ても良かったけど」

「呼び捨てでいいよ」

「私は原乃街志穂子って言います」

「知ってます。なぜか」

「あ、そうなんだ」

 原乃街は太一を怪しんでいない。むしろ親近感を持っているようだ。太一の他の人間に持っているのと同じくらい。

 二人で歩き始める。

「原乃街は、なんでそんなに頑張ってんの?」

「あ~、そう見えてる? 痛々しいかな」

「いや、そうじゃねえよ。俺は感心してるだけだ。何個も掛け持ちするモチベーションがよく湧くなあとね。もし大変なら、誰か適当な男子にでも頼めばいいと思うぞ。原乃街が頼めば、大抵の男子ならきっと引き受ける」

「うん……」

 原乃街は黙って考える。その横顔だけで充分に絵になるものがあった。そして、自分の容姿が武器になることについて客観的に知っている顔にも見えた。

「でも私、そういう計算をするのは嫌だから。頼まれる人にも申し訳ないわ」

 太一に向けた微笑には、静かな自負が漂っていた。

 太一は一般論で反論してみた。

「だからって、周りの奴らが察して動いてくれるわけじゃないしね。たまに周りの奴らが使えねーと思って嫌になったりするんじゃないの? コミュニケーションうざくなったりするでしょ」

「そういうこともあるけど、私は人づきあいを拒否する気はないわ。人間からは離れられないなあ」

 原乃街は即答した。瞳の儚げな穏やかさが変わっていないことが、考えに揺れがないことを示していた。その態度は、太一の心をより引き寄せた。

 原乃街は微笑を笑顔に変え言った。

「人づきあいを拒否していたら、中元君とこうやって話すこともなかったかもしれないし、ね」

 その時、原乃街は校庭にある物が落ちているのに気付いた。

「中元君。資料を取りに行かなくて済んだし、ちょっと暇潰しに付き合ってくれないかな」

 原乃街は子供のように目を輝かせていた。まぎれもなく原乃街から太一へのお誘いの言葉だった。



「一打席ずつ、打ちっこしない?」

 原乃街が見付けたのは、野球用具だった。金属バットと硬式ボール。部活で片付け忘れたのだろう。野球に興味あるなんて意外だなと太一は思った。そして、学校の活動から外れたことを原乃街と校庭でやるという趣向に満足を感じた。あ、ひょっとして足上げた時にスカートの中が見えるかも。

 先に太一が打つ。原乃街の背中が遠ざかって行く。ソフトボールの距離で止まるかと思ったら、野球のプレートの上で振り返った。その時、原乃街の柔和な瞳に別の色が差した気がした。狩りに興奮する猫のようなとでも言うか。それはそれで、いつもの原乃街と違う妖しさがまたよい。

「いきますよ、中元太一」

 はいよ。スカートの中見えないかな。太一は適当に構えて、

 ――構える前に矢のような球筋が過ぎて行った。緑色のネットが揺れ、止まった。

「ストライクだと思うけど、どうです?」

「うん」

 マウンドの声が遠い。石の硬さと色をしたボールを投げ返す。

 恐怖がこみ上げる。バッティングセンターの100キロは出ていた。硬球の100キロは素人に打てるレベルではない。

「私、中学までシニアに入ってたの。じゃ、二球目行くね」

 悪意のカケラもない表情が逆に恐い。まさかの筋金入りだ。太一ではもったいない。体幹に巻き付くような足の上げ方。もうスカートを見ている場合ではない。振る? よける? どっちつかずでバットを出す。二球目も外角低目を通過。ぐっ……打てるわけがねえ。

「三球目は真ん中に投げてくれないか?」

「分かったわ」

 ありがたい。分かっていれば何とか。

「ちょっと力入れるね」

 え。

 ちょ――。

 ――――――――!

 太一はバットを置いた。

 よかった。無事に三振できて、本当によかった。

 

 

 今度は太一がマウンドに行く。投打交代である。

「よし、投げるぞ」

「おおー!」

 太一は適当に振りかぶった。野球をやっていたと言っても女の子だ。パワーはそんなに無いだろう。山なりの球を投げ込む。コントロールが悪く、内側に入ってしまった。ボールになる。

 そう思ったら原乃街は振りに出た。腕を畳み、巻きつくようにバットが出てきて、パン!

 弾け飛ぶ音を残し、ボールが消えた。

 とすっ。ハンドボールコートのそばにボールが落下した。校庭の隅まで飛んで行った。

「わあ、当たったあ。久し振りだったけど、よかった~」

 よかったですね。

 原乃街がはしゃいでいるのを見て、太一は呟くのみである。

 驚愕だ。そして、人づきあいを否定しないという原乃街の意見を少し理解した。こんなふうに予期せぬ一面を見られるという意味では、人づきあいはさほど粗悪なゲームではないかもしれなかった。

「すごいなあ。普通に高校野球でピッチャーやれそうだな」

「シニアの時は本業はキャッチャーだったわ。本職のピッチャーよりフォームが固かったでしょう」

「へえ。じゃあ、キャッチャー座りしてみてもらえる?」

「エロオヤジね」

 原乃街はショルダーバッグで撫でるように太一を叩いた。

「バッティングも凄いよな。野球を続けてないのが勿体ない」

「女子野球部かソフトボールも考えたんだけど、友達が……」

「ん?」

「あ、いや、ええ、……。私、シニアの時にヘルニアをやっちゃってるから」

 原乃街は腰のくびれに手を当てた。慌てて何かを隠したような仕草だった。辞めるのに未練があったのかもしれない。

「今は、野球がない普通の高校生活を楽しんでいるわ。でも、男子が草野球やる時は呼んで欲しいかな。代打なら出られるよ」

 原乃街はショルダーバッグを掛けた。

 

 じゃあ、俺とバッテリー組んでくれ。

 

 という赤面失笑完全アウトのセリフを言ったわけではない。言っても原乃街は誠実に応対しそうだから尚更言えない。こんなセリフを一瞬でも脳裏に浮かべた自分の凡庸さを叩き殺したい。

 駅前で別れる時、太一はスタンダードにオーソドックスに簡潔に告白した。「好きだから付き合ってくれ」とありのままを言っただけだ。

 原乃街は静かな喜びを表情に表した。それはいつもの彼女の表情だった。

「二、三日待ってくれる? その時、答えるわ」

 笑顔で言い残した。

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