第六話 黒いブロック
目の前に広がっていたのは、予想を遥かに上回る光景だった。外見は城のようにも見える。薄肌色の石が無数に組み上げられ、荘厳な雰囲気の門を作り上げていた。建物の広さといったら、その建物を一周するだけで日が暮れそうだ。カイン達は周囲を見渡す。そよ風が吹き、足元の草が静かに揺れる。だが、それ以外に生命の息吹は聞こえない。辺りは全て平坦な地平線。仰げば青い空も、地平線の彼方は霧に包まれている。人工物はおろか、森もない。世界どころか、この世から分断されてしまっていた。
「ふしぎぃ。こんな空間があるなんて……」
リリーは全ての光景に目を奪われ、しきりにきょろきょろと辺りを見渡しながら呟いた。ロナンは言葉を失って目の前の迷宮を見つめている。目を必死にこすっているシャープは、今自分が置かれている場所を信じられずにいるようだ。カインは言葉を発することなく、目の前に鎮座する、迷宮というよりは神殿のような風格を携えた楼閣を見つめる。
……じいちゃんの代わりに、俺がこの迷宮を制覇するんだ。
肺にある今までの世界の空気をしぼり出すと、カインは大きく息を吸い込み、この不可思議な空間の空気で満たした。鼓舞するように気合を発すると、シャープ達三人の方に振り返る。
「行こう、みんな!」
「おう!」「ああ!」「うん!」
カイン達は旅嚢を背負い直すと、一気に迷宮に向かって走りだした。迷宮の門は、四人を拒むことなく呑み込んだ。拒む必要など無い。どうせ自分に住まう全ての謎を解き明かすことなど出来ないのだから。とでも言うかのように。
目の前に広がる最初の部屋。吹き抜けで天井がなく、青空から燦燦と太陽の光が降り注いでいる。その光は神殿迷宮の白い壁を眩しく照らし出していた。目を細めながら正方形の部屋を見渡すと、四つ角辺りに立方体型の黒いブロックがそれぞれ置かれている。そして、目の前の壁と右側の壁の扉にそれぞれ鉄格子が降りていた。型にはまった規則正しい空間が、この空間に漂う空気をさらに厳かなものとしていた。息を飲み、カインは手前右側に置かれたブロックを手で触れる。
「これ、どうしてこんなところに置いてあるんだろう?」
カインが言い終える頃には、既にロナンが腕まくりを終えていた。自信たっぷりの笑みを浮かべ、カインの肩にたこだらけの固い手のひらを置く。その腕にはカインより一回りも多く筋肉が付いていた。
「任せろよ。これ見よがしに置いてあったら、押してみるしかねえだろ?」
カインが二、三歩退くと、ロナンはカイン達三人が見ている前でブロックを押し始めた。しかし、毛の幅ほども動かない。歯を食いしばり、唸りを上げながらロナンはさらに力を込める。しかし、ロナンの足が石畳の上で滑るだけ、肝心のブロックはてこでも動こうとしない。見かねた三人はそれぞれブロックに手をかけ、必死に押す。だが、やはりブロックは動かなかった。四人は背中合わせに座り込んでしまう。
「無理だ。四人でも押せないなんて」
シャープは息も絶え絶えに呟く。けれど、その隣でカインは息を大きく吸って立ち上がる。
「まだ諦めるのは早いぞ、シャープ。まだブロックを押す方向は三つ、まだブロックは三つある。押し方はまだ十五通り残ってるんだぜ? そのセリフ、十六通り全部確かめてから言えよな」
ロナンも頷くと、膝に手を付き立ち上がった。
「そうだな。絶対このブロックを押したら何かが起きるんだよ。だから全部当たってみようぜ。大して時間も掛からねえだろ」
四人は頷きあうと、目の前のブロックを残った三方向から押してみた。そして左のブロックを押し始める。そのブロックも動こうとはしない。今度は奥のブロックを押そうと歩き出したとき、あちこちを見つめて歩いていたリリーがあることに気付いた。
「ねえ。あそこのブロックの近くの床、何だか溝がついてるように見えない?」
「え?」
リリーが指差した、入口より奥、右側のブロックの床には確かに何かで引っ掻いたような溝が付いていた。慌てて駆け寄ると、確かに等間隔の溝が床に刻みつけられている。カインは汗を拭うと、笑顔で三人の顔を見回す。
「このブロックだ! 昔探検した人が何度も押したから、こんな溝が付いてるんだよ!」
息を吐き出したロナンは、張った肩を叩きながらブロックの前に立った。
「よし。こんどこそ任せろ」
ロナンは息を詰めると、床に刻まれた溝に向かってブロックを押した。全力を出したわけでもなく、呆気無いままにブロックは動いた。荷車にたくさん物を乗せて押しているくらいの感覚だった。ブロックが溝にはまったかと思うと、大きな音が響いて鉄格子が一つ開いた。
「やったぁ! ロナンはやっぱり力持ちね!」
リリーはうさぎのように軽く一回跳ねると、ロナンとハイタッチを交わした。シャープ達もロナンの肩を次々に叩く。
「期待してるぜ、この先も!」
「さすが家畜飼いだな。この調子で次も頼むぞ」
「任せとけって!」
四人は笑いあいながら、入り口から右へと伸びる部屋へと足を踏み入れた。