最終話 風と賢者とドラゴンと
カインはじっと変わり果てた獣のことを眺める。無我夢中だったカインは、自分が何を成し遂げたのか呑み込めないでいた。リリーが静かに駆け寄り、カインの肩を叩いて目を覚まさせる。お化けに肩を触られでもしたかのように震え上がると、カインはリリーから一歩、エビのように退いてしまった。
「いきなり何だよ?」
巨獣を薙ぎ倒した勇者の有様とは到底思えないその反応に、リリーは思わずくすくす笑い出してしまった。カインはむっとした表情でリリーの鼻先を指差す。
「なんで笑うのさ。理由によっちゃリリーでも怒るよ」
リリーは少し肩を竦めてみせたが、それでもくすくす笑いをやめようとしない。
「そのままにしてればカッコ良かったのになあ、って思ったの。ほら。獣はカインが止めを刺したんだよ?」
「へ?」
カインはリリーが指差す砂の山をまじまじと見つめた。陽の光に照らされて輝いている。それを見ているうちに、ようやく自分が何をしたのか理解した。カインは一気に力が抜け、思わず星屑のような光を放つ剣を取り落としてしまった。自分自身もその場に崩れ落ちてしまう。
「はぁ……やったんだ。俺」
ロナンとシャープが銀の砂をすくって持ってきて、へたりこんでいるカインに袋を一つ突き出す。その表情はとても満ち足りたものだった。
「ほら、戦利品だ。記念に取っとこう」
カインは何とか膝に力を入れて立ち上がり、シャープがくれた袋を受け取る。カインは恐る恐るといった調子で袋の中を覗き込む。
「なあ、これがいつか化け物に戻っちゃったりしないよな?」
ロナンは思わず笑ってしまった。
「一袋分で蘇ったって、置物位の大きさにしかならないさ。突っつかれて痛いくらいだ」
「そうか……そうだよな!」
四人が一斉に笑いあったとき、静かに部屋が光を放ち始めた。光はすぐさま強さを増していき、四人はあまりの眩しさに目をつぶってしまった。つんざくような耳鳴りも聞こえ始める。まるで自分達が振り回されているかのような錯覚に陥った。頭の中ががんがんする。
「何? これ……」リリーが苦しそうに呟く。
「分からない……まだ先があるなんてこと、無いよな?」
カインがそう呟いたとき、ようやく苦痛が和らいできた。全身が脱力するのを感じながら、四人は何とか目を開く。そこは、今までの景色とは全く違ってしまっていた。
「どこだ? ここ?」
カインは周囲を慌てて見回す。正方形型の部屋。足元には芝が生え、ところどころに潅木が生えている。目の前には、三段の祭壇があった。そこには、静かに銀色髪の男が立っていた。
「本当にこの迷宮を突破してくるとは思わなんだ。真に、賞賛に価する」
ラウリンがそこにいた。伝説のみにしかこの世には残っていないものと思われていたラウリンは、そこに確かな肉体を持って立っていた。四人が言葉を失っていると、ラウリンは再び言葉を紡ぎ始める。
「さて……この迷宮を突破したからには、お前達に褒美を取って遣わさねばなるまいな。さあ。私が許す限り、どんな願いでも叶えよう」
再び猛禽類のような瞳に射竦められそうになったカインだが、深く息を吸い込んで気を落ち着かせると、そろそろと一歩踏み出した。顔を持ち上げ、カインはラウリンと視線をぶつけ合う。
「この地下に囚われているドラゴンを解放してあげてください」
ラウリンは眉を持ち上げた。
「なんと? 今何と言った」
カインはたった今吸い込んだ息を全て吐き出してしまうつもりで、自分の中に溜め込み続けた言葉を奔流のように溢れさせた。
「ドラゴンを解放してあげて欲しいんです! 昔のドラゴンがどうだったかなんて、俺分からないけど、今下に囚われているドラゴンが、実はとってもいい奴なんだってこと、俺はわかったんです! 先祖が犯した罪を受け止めて、食べたくもないのに、騙したくもないのに、本当は仲良くやっていきたい人間たちを油断させて、その体を骨まで喰らい尽くして! それでも彼は腐ってなかった! 真面目で、実直で、素直で! ただただ自分が開放される時を、一族が開放される時を信じて、涙をのみながらあなたの命を守り続けたんです! 百年の間、たった一人で! 人間の中でも、こんなに真面目な奴なんていないですよ! ……もう、あのドラゴンは限界なんです。解放してあげてください!」
ラウリンは、眉ひとつ動かさず、それこそ石像のようになってその言葉に耳を傾けていた。カインの言葉が途切れても、ラウリンはしばらく黙っていた。硬直し、一切言葉を発しようとしない。
これでも言葉が足りなかったかと、さらに言葉を足そうとしたカインを、ラウリンは手を上げて制する。
「もうよい! もうわかった。カインとか言うんだな?」
「どうして僕の名前を?」伏し目がちにカインは尋ね返す。
「私は、目を合わせたものの名前を知ることが出来る。……些事だったな。お前は変わった魔法使いのようだな。呪文など使えずとも、お前は人の思いを汲み、自らの思いを他人の心に響かせることができる。お前が語った以上のことを、私は感じた」
ラウリンは面を持ち上げ、空を仰ぐ。
「わかった。お前を信じると同時に、あの竜も信じてみることにしよう」
ラウリンは杖を大きく振り上げ、石畳の祭壇にしたたか打ち付けた。瞬間、ラウリンの体と迷宮の壁が光り始める。にわかに儚げな姿と化したラウリンは、かすれた声をあげる。
「これで竜は解放された。……私もな。この迷宮は、四人の少年少女のお陰で消滅する。数多くの魔法使いの欲望に晒され、数々の悲劇をもたらしたであろう迷宮は、これでもう終わる。そこに後顧の憂いは無い……」
風鳴りが聞こえた。下草を巻き上げる強い風に吹かれ、ラウリン、そして迷宮はその姿が薄れ始める。
「さらばだ。最後にお前達のようにまっすぐな者達に出会えて、私自身も救われたかしれないな……」
ラウリンが、迷宮が、太陽のように眩い光を放つ。四人は思わず目を塞いだ。それでも、光はまぶたを透かして白く映り込む。何故だか意識が遠のくのを感じ、カイン達はその場に倒れこんでしまった。
気づけば、そこには何もなかった。ただただ海風が吹き、下草が広がる島だった。カインは思わず声を上げて立ち上がる。
「え? 一体どうなって……」
その声に反応したのか、まずはリリー、続けてロナンやシャープも目覚めた。しばらくは寝ぼけたように髪の毛をくしけずっていたリリーだが、周りの様子に気がついて立ち上がる。
「うわぁ! 何にもなくなっちゃった! あっ! ねえ、ドラゴンは?」
リリーが矢継ぎ早に言葉をカインに向かって撃ち出す。カインも訳がわからず首を振る。ロナンやシャープも二人につられて立ち上がった。
「なあ、これって一体どういう事だ?」
ロナンがシャープに向かって尋ねたとき、空から口笛のような鳴き声が聞こえてきた。四人で空を仰ぐと、勝利の立役者が優雅に舞い降りてくるところだった。その鳥は、羽音を立てずにシャープの肩に舞い降りる。
「君は消えなかったんだね。ラウリン様のいる部屋に来てから見当たらなかったから、心配してたんだよ?」
鳶は申し訳なさそうに鳴いた。リリーが静かにそばに寄り、首の鈴を解く。
「ありがとね、トンビくん。トンビちゃんかな?」
今度は嬉しそうに鳴いてみせた。素直なその姿を見ていると、四人は自然と笑顔になった。
「今日帰ったら、この鳶の家を作ってやらないとね」
カインがそう呟いたとき、遠くの地面に何かが光っているのに気がついた。気になり、カインは急いで近寄りその正体を確かめる。それは、カインが取り落としてしまった星屑の剣だった。神妙な表情でそれを見つめたカインは、静かにその剣を腰のベルトに差した。今までの冒険を思い出して感慨に耽ろうとするが、リリーの叫びがそれを許さなかった。
「ねえ! お空を見て!」
言われた通りにすると、そこには鴨の羽色の影が飛び回っていた。紛れもない、地の底で約束を交わしたドラゴンだった。
「おーい!」
カインは手をむちゃくちゃに振りながらドラゴンを呼ぶ。気がついたか、ドラゴンはこちらに向かって一直線に舞い降りた。着地の瞬間、下草が舞う。ドラゴンは笑顔を浮かべていた。
「友、と呼んでいいだろうか?」
四人は微笑みながら頷く。ドラゴンは四人の顔をのぞき込むような仕草をした。実際はお辞儀をしたのだ。
「ありがとう。私は君達の事を尊敬したい。一生を救われた恩なんて、一生かかっても返せる気がしないが、まずは小さな礼をさせてくれ……」
ドラゴンは地に伏せた。尾を地面にぴたりと付ける。
「乗れ。空の旅など、一生に何度も体験できまい?」
四人は静かに見つめ合う。やがて満面の笑顔になると、我先にとドラゴンの背に飛び乗った。何度か蹴ってしまったはずだが、ドラゴンは嫌な顔一つしなかった。リリーは嬉しそうにしていたが、一瞬不安そうな顔になった。
「ねえ、掴まる場所は?」
ドラゴンは歯を見せしたり顔だ。既に羽ばたきを始めている。
「心配するな。私が魔法で君達の体を固定するから、逆さになっても落ちはしない。一蓮托生というだけだ。私が死ねば、お前たちも落ちる。憂いるべきはそれだけだ」
リリーは少し青くなって頷いた。
「へ、へえ……そうなんだ」
「さあ! 行くぞ!」
ドラゴンは足に力を込め、一気に島から飛び出した。風を受けて魔力に変えられるドラゴンは、海風を受けて空を疾駆する。カイン達は歓声を上げた。飛び立つまでは真っ青だったリリーも、今はもう喝采を上げている。唯一気に入らない様子なのは、シャープの胸に抱かれている鳶だった。
「すごく気持ちいい! 鳥って、いっつもこんな風に世界を見下ろしてたのか!」
カインは一番前で両手を広げ、爽快さに酔いながら声を上げる。ロナンがドラゴンの表情を覗き込みながら尋ねた。
「なあ、ドラゴンはこれからどうするんだ?」
ドラゴンは困ったような目でロナンの方を見ようとする。
「お前達は人、人って呼ばれたらどんな気持ちがする? 私にはメアレスブライスというれっきとした名前があるんだ。これからはそう呼んでくれ」
リリーが人差し指を立てた。
「ちょっと長いかな。ブライスでどう?」
「なるほど。それもいいな。……で、さっきの質問だが、私は君達の村に行ってみたいと思っている。私は君達に恩返しがしたい。罪滅ぼしと言われてはそれまでだが、百年の間人を殺め続けた分、残る命で人を助け続けたいと思っている」
四人は顔が綻ぶのを感じた。気のいいドラゴンと暮らす日々など、考えただけで刺激的だ。シャープが弾んだ声で尋ねる。
「僕達の村がわかりますか?」
ブライスは頷いた。
「風が教えてくれる。さあ、さらに飛ばすぞ!」
ブライスが一度羽ばたくと、疾さは一層増した。同じ方向へ向かって飛ぶ鳥達を、ブライスは次々と追い抜かしていく。心地良い風を浴び、四人の若い冒険者たちは拳を高く突き上げた。
「みんな! 今帰るからねぇっ!」