第五四話 鳶は遙か天を衝く
獣は歯を剥き出しにしてこちらを睨んでいた。ロナンも負けじと獣を睨み返す。目への一撃に効果はあったようだが、効果的ではなかったようでもあった。
「カイン! 長丁場になりそうだから、チャンスを逃すんじゃないぞ!」
ロナンの隣で、カインはパチンコを握り締めた。ロナンが獣に向かって手斧を投げ付ける。挑発に乗った獣は、こちらに向かって一直線に迫ってきた。ロナンは足を踏み出してそれを受け止める。
「カイン!」
叫びを耳に、カインはパチンコを引き絞る。そしてそのまま二、三発ほど玉を獣に向かって放つ。鎧の隙から炎が吹き出したかと思うと、獣は呻きながらロナンを端に押しのけ、壁に沿って走り始めた。村長兄妹が慌てて部屋の中心へ逃げる。ロナンは何とか起き上がり、一周して突っ込んできた獣を渾身の力で押さえ込む。
「大丈夫か! ロナン!」
「ああ! 攻撃を頼む!」
カインがパチンコの玉を三つ一気につがえる。カインの手の中で玉が融けあい、一つの大きく青い火の玉になった。途端に玉が細かく震えだし、カインの手の内で暴れ始める。もう少しも保っておけない。焦ってカインは叫んだ。
「ロナン! 避けて!」
カインの尋常でない声色を耳にしたロナンは、その手にある真っ青な炎を見ると冷や汗が流れた。慌てて獣を押して怯ませ、自分は全力でその場を離れた。同時にカインは玉を握りしめた右手を離す。青い鳥と化したその炎は、獣の右目元に直撃した。横顔の鎧が砕け散り、獣は壁に叩きつけられる。獣の顔が半分明らかになった。くすんだ銀色の体毛を持ち、見開かれたその目は狂気に満ち溢れている。
獣が初めて吼えた。部屋全体を震わせるような重低音が響き渡り、カイン達は思わず耳を塞いでしまう。そこを獣は見逃さなかった。勢い良く獣はロナンの腹を突き上げる。鎧には傷ひとつ付かなかったが、思い切りロナンは宙に放り投げられ、そのまま硬い地面に叩きつけられた。
「うあっ」
ロナンはそれでも何とか立ち上がる。闇の魔力なのか、衝撃を吸収してくれるお陰で思ったより体は傷んでいなかった。朝手を開いて目の前に突き出し、ロナンは巨大な斧を取り出した。獣は完全にロナンに対して殺意を抱いており、後肢で勢いを付けて突撃してくる。ロナンは戦斧を振りあげ、突っ込んでくる獣に向かって振り下ろした。
金属が悲鳴を上げたかと思うと、獣の角を飾っていた銀の装飾が裂け、角も真っ二つに割れる。だが、獣は怯まずに猛進してくる。ロナンは足を踏ん張って耐えている。
リリーとシャープは、二人が奮闘する様子を歯がゆい思いで眺めていた。親友が苦戦しているのに、自分達は戦う術を持たないのだ。リリーが口元を震わせながら空を仰いだ。
「もう……こんな近くまでお空が来てるのに……」
シャープも妹につられて空を見上げる。いつもの通り、雲一つない青空だった。一瞬吸い込まれてしまいそうな気分になった時、シャープの脳裏に電撃が走った。
――鳶は遙か天を衝く――
「そうだ! 今だ!」
シャープはベルトからブーメランを抜く。瞬間、ブーメランが薄い光を放ち始めた。リリーも驚いたように声を上げる。彼女の手に握られている鈴も、同じくうっすら光を放っていた。リリーは顔を上げ、兄に向かって鈴を突き出した。
「ねえ! これをブーメランに括りつけて!」
「ああ。同じことを考えてた!」
シャープがリリーの方を見て頷いたが、時同じくしてロナンの声が飛んで来る。
「危ない!」
シャープとリリーは反射的に地響きのような音が響く方を向く。獣がこちらに突っ込もうとしていた。二人は思わず身を固めてしまう。そんな二人へ、獣は無慈悲に突進を始める。シャープは勇気を振り絞り、妹だけは守ろうと身を投げ出した。そこへ、さらにカインが飛び出し、青い炎で獣を弾き飛ばした。カインは兄妹の方に振り返る。
「大丈夫か?」
「あ、ああ」
カインは頷くと、再びロナンと獣を倒しにかかり始めた。シャープとリリーは再び目配せすると、ブーメランにてきぱきと鈴を結わえつけた。光は強まり、ブーメランと鈴を包み込んだ。シャープはそれを握り締め、渾身の力で上に向かって放り出した。
「行け! 遙か天を衝いてみせろ!」
自らの意志を乗せ、シャープはトンビを天へ天へと突き進ませる。やがて、シャープの意志が及ばなくなる。それでも、シャープは自分と、トンビを信じ続けた。
鳶の鳴き声が響き渡った。四人と獣は思わず天を仰ぐ。そこには、紛れもなく一羽の鳶がいた。ブーメランなどという紛い物ではなく、正真正銘、血の通った鳶だった。首に真実の鈴を携え、さらに足に何かを掴んでこちらへ真っ逆さまに急降下してくる。
「お前は……俺達の味方なんだな」
鳶は鳴いて答える。シャープの近くに訪れたかと思うと、掴んでいた何かを床に落とした。そこにあったのは、金色に輝く一振りの剣だ。シャープはしばらく見つめると、それをカインの方に蹴って寄越す。
「カイン! お前が使うんだ!」
カインは黙って至高の一振りを持ち上げる。カインが秘める魔力に反応したそれは、さらに光を強めた。カインの方に振り向いた獣は、思わずたじろいでしまった。カインはその瞬間を見逃さない。
「うあああ!」
叫びと共に、カインは剣を振り上げ、脇をすり抜けるようにして獣の体を薙ぎ払った。身の半分を切り裂かれた獣は、途端に声にならない悲鳴をあげる。静かに震えだしたかと思うと、獣は悶え苦しみその場を転げまわる。徐々に獣は異変を見せ始めた。何か粉のようなものを飛ばし始めたのだ。カインは頬にくっついたその何かを見つめる。銀色の砂だ。獣はそのまま全身を砂と変えていき、その場に崩れ落ちた。