第五十話 俺の気持ちを
カインは霧が晴れた自分の村の中を走る。リリーの会いたいという思いが微かに伝わってきていた。自分も強くそれを願っているお陰か、普段よりも感度が高い。細く長い糸を手繰り寄せるように、カインは彼女の思いを辿った。
「リリー!」
彼女は、自らの家の前の階段にちょこんと座っていた。見るなり、カインは大声でリリーの名前を呼んで駆けつける。気がついたリリーは微笑んだ。今まで彼が見たことのない、大人しい笑みだった。
「探してたんだけど、やっぱり待ってたほうがいいかな、なんて思って」
息を荒くしているカインを見ると、リリーはすぐに本題に入ることが出来ずに他愛もない話をしてしまう。カインは額の汗を拭きながら、リリーの隣に座り込んだ。
「いや……よかったよ。動き回られると、いつまでも追いつけないかもしれないし……」
カインは一際深く息を吐き出した。リリーはそんな様子を、膝を抱えて眺めている。それぞれの足元を見つめたまま、二人は押し黙っていた。目の前で、小さなアリが二匹動き回っている。仲間からはぐれてしまったのかもしれない。疲れからか、ふと眠気が襲い、いや。これではだめだとカインは身を起こし、リリーの方に顔を向ける。リリーもカインに視線を送ろうとしたところで、ちょうど二人の目線がかち合った。ものさしも間に置けないほど近い間合いで見つめ合ってしまう形になった二人は、思わず赤面して顔を逸らしてしまった。
だから、これではだめなんだ。そう自分に言い聞かせるものの、ある意味ではドラゴンと対峙する以上に勇気の必要な事態を目の前に、カインはどうしても二の足を踏んでしまう。だが、カインは意地でも自分から言い出すんだと腹を括り直し、勇気を振り絞ってリリーの横顔をもう一度見た。
「リリー」「カイン」
二人の名前が交錯する。二人は口をつぐみ、再び早朝の静寂が辺りを包む。やがて、おずおずとカインが話しかけた。
「先に……いいかな?」
リリーはこちらを見ずに頷いた。カインは緊張のあまり口の中に溜まってくるつばを呑み込み、単語の一つ一つを噛み締めるように言葉を紡ぎ出す。
「リリー。実は俺、知ってたんだ。リリーが俺のことを好きなんだって」
リリーははっとなってこちらに振り向いた。頬が紅潮して、目が見開かれている。当たり前のことだ。今まで伏せてきた思いが、既に暴かれていたのだから。
「どうして?」
「俺がたくさんの目と戦った後、リリーは俺に抱きついたよね。……その時だよ。で、俺だけリリーの気持ちを知ってるのは卑怯だと思うから、今ここで俺の気持ちを教えることにする」
リリーは眉間にしわを寄せながら、くちびるを真一文字に結んでこちらを見つめている。カインは思わず笑ってしまった。必死の形相も迫力がなく、むしろ可愛く見えるのだから困ってしまう。あくまで必死のリリーはカインに何事か文句を言ったが、肝心の彼には届かなかった。ので、黙って深く息を吸い込んだカインは、一気に言い放ってしまった。
「リリー。俺も君の事が大好きだよ」
リリーの表情が一瞬こわばり、一瞬呆け、一気に輝き始めた。眩しい笑顔のリリーは、カインにとって太陽も同然だった。陰れば自分も憂鬱になるし、晴れれば自分も楽しくなる。そんなリリーの笑顔が、カインは好きだった。
「うれしい!」
リリーは頬を僅かに赤らめたまま、弾けるように明るい声を上げた。カインもつられて満面の笑みを浮かべる。
「俺はずっと嬉しかったよ。ごめんな。すぐに言い出せなくて」
リリーは軽く手のひらをひらひらさせる。
「いいのいいの。じゃあ、これからも、ずっと、ずうっと、仲良くしようね!」
二人が声を上げて笑いあった途端、カインの胸元が緑に光った。その源を手に取り、カインはリリーのつぶらな瞳を見つめる。
「さあ、帰ろう。みんなのところに」
リリーはカインの手にしっかりと自分の手を重ねた。
――みんなのところへ。
カイン達はエメラルド色の光に包まれ、心象風景の中に溶け込んでいった。
シャープとロナンは寝転がり、ぼんやりと天井を見上げていた。天井があり、窓も付いていないのだが、その天井の中心から太陽のように明るい光が降り注いでおり、まるで真昼のように明るい。裏腹に、二人の心はうっすらと曇っていた。かれこれ三十分はこうしたままだ。二人の明るい声がなくなっただけで、こうも自分達は沈黙してしまうのかと、冷静な性質の二人はムードメーカー二人の不在の重みを痛感していた。その時、カインが小さく唸る。飛び起きた二人は、慌てて二人のそばに這い寄る。
「カイン!」
静かに目を開き、カインは体を起こした。隣のリリーに目を向けると、リリーもうっすらとその目を開いたところだった。
「戻ってこれたよ。リリー」
起きるなり、リリーはカインを見つめて笑う。
「うん。やったね!」
ロナンとシャープは二人が今まで以上に仲睦まじい様子になったのを見て、密かに肩を竦め、首を傾げた。そんな事は露知らず、二人はただただ笑顔を見つめ合っていた。