第四九話 お前は卑怯だ
気づくと、カインは霧の中に立っていた。それでも、自分がどこに立っているかは大体予想がついた。風に寄せて運ばれてくる草の匂いは、自分が住んでいる村と同じだった。立ち込めている濃霧も、春や秋の早朝に現れるものに似ている。
「どうしてこんなところに……」
カインは首を傾げながら、霧の中を当てもなく歩き始めた。何とか自分がここに来るまでの経緯を思い出そうとするが、リリーと一緒に円形の部屋の中心までやって来た事がようやく思い出せるくらいで、そこから先は全く意識が及ばない。
……普通に考えて、ここも精神的な世界、ってところなのか?
カインはふと足を止めた。歩けど歩けど視界を霧が覆うばかりで、人影はおろか家の影さえ見えない。カインは徐々に不審な面持ちになってきた。何かがおかしい。カインはつい先程の出来事を思い出し、余計不安になってきた。もしこんなところで謎を出されても、自分はシャープのようにいかない。
「おい。カイン」
いきなり後ろから声がした。カインは飛び上がらんばかりに驚き、そのまま反転してその声の主を確かめようとしたが、足がもつれて尻餅をついてしまった。何とか顔を持ち上げると、そこに立っていたのは見覚えのある青年だった。ただ、どこで見たのか全く見当がつかない。おそるおそる、カインは目の前のしかめっ面をしている人物に尋ねた。
「あ、あなたは一体誰ですか?」
目の前の青年はしかめっ面を緩め、仏頂面になった。いずれにしても、あまりカインのことを快く思っていないようだ。そんな青年は、さらにカインが戸惑うことを口にする。
「俺は五年後のお前だ。正確に言うと、お前が望む俺だ」
「え? 訳がわからないんだけど……」
しどろもどろのカインを見て、青年は唇を噛む。
「四の五の言うな。細かいことを気にするな。とにかく、俺はお前に忠告したいことがある」
青年の真剣な眼差しに気を引き締められ、カインは自分の心が落ち着いてくるのを感じた。カインは静かに立ち上がり、ゆっくり青年との間合いを取る。
「何を」
青年は右手の親指で、自分の心臓あたりを突き示した。
「お前は卑怯だ。あの子の思いを一方的に知ったくせに、自分からは何にも言わない。言う勇気もない。男として情けないぞ」
青年の睨みに押し負け、カインは逃げるように目を泳がせた。
「し、仕方ないじゃないか……知っちゃったものは……」
青年はさらに一歩大きく踏み出した。カインは小さく二歩下がった。
「知っちゃったから仕方ないで済ますな。心を読めるという珍しい形で現れたとしても、呪文が使えないにしてもお前は立派な魔法使いなんだ。自分の使う魔法には責任を持たないといけないんだよ」
カインは高飛車な青年の物言いにむっとし、何とか言い返そうとした。しかし、口を開きかけた途端に青年は手で制する。
「責任とは、自分が読んだ心の中身を知らせることか、知らない振りをしたほうがいいんじゃないか。そう言いたいんだろう?」
図星で、カインは言葉を失い黙り込む。青年は続けた。
「確かに、口に出来ないような秘密を知ったなら、黙っていた方がいいかもしれない。だがカイン、お前はそんな事知る由もないんだ。元々見当がついているか、相手が囚われている思いか、どうしても知りたいと思った部分しか読み取れないんだからな。それに、村のみんなが隠し事をして生きているだなんて、思わないだろ?」
カインはうなだれた。確かに青年の言う通りだ。村のみんなを疑った事なんかなかった。そんな人生は淋しい。それに、今回の事は確かに責任を持たないといけないのかも知れないと、カインは言い聞かせてみる。『自分がそうであってほしいと願って』知ることになったリリーの心中。ああ見えて恥ずかしがりなところのあるリリーだ。カインに自分の気持ちを知られているのに気づかず、好意を隠すために色々な行動をするかも知れない。だが、それも全て狂言になってしまう。挙句の果てに勇気を出して告白した結果が『知ってました』では、あまりに彼女が不憫だ。
カインはその場に膝を付く。そんな行動とは裏腹に、カインの中では既に腹を括っていた。
「俺は、どうすればいいんだ?」
カインの質問に、青年はため息混じりに口を尖らせる。
「そんな事は自分で見つけろ」
カインは俯いたままで、投げやりな笑みを浮かべる。
「手厳しいんだな。未来の俺は」
「顔を上げろ」
カインは既に青年の言われるがままだった。そうして上げてみると、跪いて自分の目線の高さまで目線を下ろし、優しげな笑みを浮かべている青年がいた。
「お前ならやれると思っただけだ。ただひとつ言えるのは、正直に生きること。それだけだよ」
「本当か?」
青年は力強く頷いた。
「俺はお前だ。自分を信じることができないでどうするんだよ」
カインは黙って立ち上がった。頭を軽く下げると、カインは晴れ間が見えた空間の中を走りだす。リリーもここにいる。カインは確信していた。彼女の思いが伝わってくるのを感じて。