第四二話 時の間へ
手が真赤に腫れ上がるほど鏡を叩き、カインは部屋中に響き渡る声で叫んだ。
「ロナン! ロナン! 帰って来てくれよ!」
しかし、目の前の鏡はロナンを取り込んでから白濁し、何も映してはくれない。無慈悲な沈黙を続けている。とうに崩れ落ちていたリリーは、大粒の涙を流してしゃくりあげる。
「どうして。どうしてこんな事になっちゃったの?」
シャープはあまりに衝撃が強すぎ、何も口が聞けない有様になっている。その目も虚ろで、鏡を映して白く濁っていた。誰もが最悪の結果を呑み込めずにいた。
だが、最悪の結果になどそもそもなっていないのだ。シャープがぼんやりと眺めている中、鏡の中心に小さなひびが入る。ひびは不協和音を奏でながら一面に広がり、甲高い音を立てて砕け散った。破片が光となって自分に降り注ぐ中、三人は呆然と前方を見つめた。鏡が隠していた広い空間の中心に、光が凝集する。みるみるうちに人の形を取り、黒く染まる。ロナンの虚像となっていた黒騎士だった。空いた口を塞ぐこともままならないまま、三人は黒騎士がこちらへと歩いて来るのを見つめる。と、黒騎士が再び光に包まれた。
「あ……」
リリーは静かに嘆息する。光の中で、シャープほどはあった黒騎士の身長がみるみるうちに縮まり、まさにロナンの姿形になったのだ。カインとシャープが言葉を失っているうちに光は消え、そこには紛れもなくロナンがいた。
「ロナン!」
悲鳴にも似た調子で叫び、リリーはロナンのもとに駆け出し、腕を大きく広げて飛びついた。
「よかった……生きてた……」
ロナンは目を丸くして、自分の胸にすがり泣くリリーを包み込む。
「ど、どうしたんだよ?」
カインが顔をしかめながらそばに寄り、いきなりロナンの肩をどついた。当然ロナンはよろめく。カインは顔を輝かせる。
「透けない!」
そのままカインは自分の頬もこれでもかというほどつねった。
「夢じゃない!」
相当痛いつねりかたをしているにも関わらず、カインの表情は天国を見た顔をしていた。
「よかったぁ。一度はどうなることかと思った」
「なんだ? みんな、俺が死んだと思ってたのか」
むっとした顔のロナンに、シャープが肩を竦めた。
「そりゃあ、鏡の中に放りこまれたんだから、普通生きているとは思えないよ」
ロナンは唇を尖らせ、首を傾げる。死人扱いされたことが気に入らないようだ。リリーはそんなロナンはお構いなしで勝手に飛び跳ねている。
「やった! ロナンが生きてた!」
すっかり元通りになっているリリーに、ロナンは嫌味も思いつかず黙ってしまった。気丈で滅多に泣かないリリーがよよと泣きじゃくったということは、想像を絶する心配をかけたということだ。そう思うと、文句は喉でつっかえ出てこなかった。代わりに、ロナンは奥に見える扉を指差した。
「さあ、そろそろ行こうぜ。新しい道が開けたんだからさ」
三人は力強く頷いた。カインは胸元のマイルストーンを持ち上げる。
「これからはもっと気を引き締めよう。危なくなったらすぐこれを使って退散。これが俺達のルールだぞ。いいよね?」
シャープはマイルストーンに手をかけた。ロナン、リリーも続けてそれにならう。
「聞くまでもないじゃないか。頼りにしてるんだからさ。リーダー!」
「ああ。任せてくれよ」
四人は肩を並べ、次の試練に足を向けた。
再び小休止の部屋の中、カインは目を丸くし、次の部屋へ続く扉がある壁を見つめた。ドラゴンの前、鏡の前は白い石の壁を削っただけで、読むのにやや一苦労する文字だったが、この部屋ではでかでかと文字が彫られ、銀で文字が修飾されているのだ。
時を飛び越える術を知れ
リリーは素直に首を傾げる。魔法を使えなければならないということなのか。だが、この空間には呪文封じが施されており、今まで手に入れた四つ道具以外の魔法は使えないと、他ならぬ創造主が言っていたのだ。
「次の部屋では魔法が使えるのかなあ?」
シャープは眼の奥に疑問符が透けて見えるような表情をした。
「いや。さすがにここまで来てそんな単純な謎解きはないと思うけどね。きっと次の部屋には何かあるんだよ。日時計とか、そういう、時間に関する謎が」
カインはマイルストーンを首から外し、扉の前に立った。
「さあ、ここで悩むのもおしまいだ。とりあえず入ってみないことには何も分からないじゃないか。マイルストーンは常に握ってるし、次に進もう」
三人は真剣な顔で頷き、カインのそばに身を寄せた。死ぬまでこの中。扉を見つめるカインの脳裏に、ドラゴンの言葉が蘇る。カインはマイルストーンの優しい光を見つめた。
……ドラゴンは俺達のことを信じてくれた。ドラゴンは好きで俺達のことを騙そうとしたんじゃない。……期待に応えないと。
体の中の空気を一気に押し出したカインは、深く息を吸い込みながら扉を押し開けた。