第三七話 暗闇の百年
カイン達は、再び暗闇の部屋の前に立ち並んでいた。シャープは手にランタンをぶら下げている。暗闇のせいで余計な恐怖を抱かないよう、一番強い光を放つ物を持ってきたのだ。言葉もなく、四人は静かに頷きあう。今まで絆を深めてきた四人には、言葉が要らない瞬間が生まれつつあった。カインがドアの前に立ち、渾身の力を込めて分厚い門を押し開いた。シャープのランタンが、昨日は見えなかった土気色の石畳を照らし出す。シャープは口に溜まるつばを飲み込み、ランタンをゆっくりと頭の高さほどまで持ち上げた。
「眩しいぞ。貴様」
片目を開いた目の前のドラゴンは、青い鱗に細った巨躯を持ち、昨日見た竜の石像と似通った外見をしていた。目を凝らすと、ドラゴンの脇腹や肩口、皮が薄い部分はうっすらと骨が浮いてみえた。痩せ衰えている。カイン達は一目でわかった。それでもなお、その眼差しに正対する勇気はあまり持てなかった。やはり恐ろしいものは恐ろしい。翼の開いたり閉じたりを繰り返し、ドラゴンはゆっくりと立ち上がった。
「貴様ら、確か昨日来ていたな。すぐに尻尾を巻いて逃げ出したくせに、今日もまた来たのか」
カインは杖を握り締め、顔を持ち上げる。ドラゴンは金色の瞳でこちらを睥睨していた。三人の不安がひしひしと伝わってくる。カインは自分の中に巣食う同じ感情ごと振り払うかのように首を振り、もう一度ドラゴンの顔を睨みつけた。
「ああ! お前を言い負かさないと、この部屋は攻略できないんだからな!」
ドラゴンは長い首を引き、微かに仰け反ったかに見えた。カインは息を呑む。しかし、次に口を開いて発したのは、やけに丸い声色だった。
「まあ、そんなにかっかとするな。焦っても事は始まらない。どうだ、少し俺の話を聞いてくれないか」
おそらく、ドラゴンを油断させない限りは、この部屋のどこかにある次の部屋は開かないだろう。カインは渋々と頷いた。ドラゴンは丸い天井を見上げ、静かに話し始めた。
「俺の一族は呪われた一族だ。初めに生まれたつがいからは六人子どもが生まれたが、そのうち、俺の先祖は最も強く力を受け継いで生まれてきた。まだまだ生物として未熟だった先祖は、力に溺れた。人が飼っている家畜や持っている宝、住んでいた城を奪うか、もしくは差し出すよう命令し、従わなければ村を焼いた。それを見かねて立ち上がったのが、この迷宮を作ったラウリンだった」
ドラゴンは視線をカイン達に戻す。カインは、袖にリリーがしがみついたのを感じた。
「ラウリンは俺の先祖を封じ込め、罰を与えた。以降に生まれた俺達は容易に火を吹くことが出来なくなり、長子はこのように暗闇に二百年潜み、この迷宮を守護するという役目を課したのだ。俺もまた、寡黙に、淡々とその役目を果たし続けてきた。時折ここまで潜り込んでくる魔法使いがいるが、お前達のように俺の姿を見ただけで逃げ出すか、さもなくば、俺が権謀術数を尽くし、喰らってきた」
カイン達は口の中が酸っぱくなるのを感じる。何の躊躇もなく人を喰ったと言えるその神経は、やはり人のものとは遠く逸脱していた。いくら賢くても、マルクの言う通りで獣は獣だった。ドラゴンは一歩一歩こちらに向かって迫ってくる。
「だが、百年もいると大分飽きが来てしまった。最近はここまでやってくる奴すらいない。この迷宮の果てに辿り着けば、願い事を一つ叶えられるということを聞いていても、がむしゃらに突破してやろうという気概を持った魔法使いが少なくなってしまったのだな。情けない」
カインは目を見開いた。さも当然のようにさらりと言ってのけたが、四人にとっては初耳だった。思わずリリーが口を開いてしまう。
「願い事、って、何でも?」
「その通りだ。一つだけだが、ラウリンが許す限り、どんな願い事でも叶えられる。魔力を強めたいだとかな。お前は女のようだから、絶世の美貌を手に入れたいという願いでも叶えられる」
リリーは逡巡してカインの方を一瞥したが、すぐにうつむいてしまった。
「私は、そんな……」
ドラゴンは他所を向いた。おそらく、ドラゴンの視線の先には次の部屋の扉があるのだろう。
「だが、この先の謎は難しい。どうだ、俺が少し協力してやろうか」
「嘘だ。そんなこと……」
シャープの語尾が詰まる。暗闇で掻き立てられた不安が、拒絶を引き留めてしまった。それを見ていたドラゴンは、静かにその目を伏せた。
「今まで何人も人を喰らったが、その辺の動物より悲鳴が惨たらしい。正直聴くに堪えないのだ。それに、まだ子供の奴らを喰らうなど、俺の美徳に反する。どうだ。俺の話を聞いてくれないか……?」
切実な余韻を込めて、ドラゴンはさらに一歩一歩とにじり寄る。ロナンは思わず目を伏せてしまう。嘘つきなのだと決めてかかっても、ドラゴンが嘘をついているようには見えなかった。だが、そんなロナンの腕を、カインが強く掴んだ。
「ダメだ! ドラゴンに付け込まれるな!」
カインは鋭い眼差しをドラゴンに向け、不敵に笑ってみせた。
「残念だね。僕に嘘は通じない」