第二一話 回らない歯車
「消えちゃった」
リリーは再び閉じた宝箱を軽く叩きながら呟いた。部屋を包む白い光も今や消え失せている。行くの、と聞こうとしてリリーが三人の方を振り返った途端、カインがいきなり部屋を響かせるような大声を上げた。
「よし、やってやろうじゃんか! 行こうぜ!」
カインは大手を振って次なる部屋を指差した。
「ああ!」「おう!」「うん!」
ラウリンの言葉に発奮した四人は、勇んで次の部屋に足を踏み入れる。そこに広がっていたのは、まるで時計台の中のような光景だった。大小無数の歯車が噛み合い部屋の壁を覆っているのだ。ただ、歯車は動く気配がなく、完全に眠っている。カインはとにかく大きな歯車の前まで歩いていくと、不思議そうな顔で歯車を撫でた。
「村に時計台が出来るずっと前から、こんな仕掛けがあるなんて」
「そりゃああの人は大賢者のお弟子様だ。これくらい朝飯前だろ」
手袋を脱いでしまいながら、ロナンがカインの隣にやってきた。カインはさも意外だという表情で、ロナンが手袋をベルトに挟んでしまう様子を眺める。
「なあ、どうして外しちゃうんだ? 付けておけばいいだろ」
歯車に手をつきながら、ロナンは高い天井を見上げる。歯車は天井さえも覆っていた。
「いや。手袋を付けているとどうにも落ち着かないんだよ。仕事をするときにはいいけど、普段からドタバタしてるわけにはいかないだろ?」
カインは苦笑いした。ロナンはどっしり構えて、無駄に動きまわるようなことはしない。口数も自分に比べるとずっと少ない。確かに、カインも彼が自分やリリー並に騒いで走りまわるような光景は見たくなかった。
「その通り。あんまりうるさいのばっかりは困るね」
シャープがあごをさすりながら二人の背後を横切った。カインは口を尖らせながら振り返る。
「何だよぉ。悪いのかよ」
シャープは肩をすくめて手を胸の前に持ってくる。
「別に悪いだなんて言ってないじゃないか。ただ、三人に動き回られたら手の尽くしようがないってこと」
別にシャープがカイン達を見下しているような様子もないのだが、カインはどうにも納得が行かないようで、腕組みをし、首を傾げながら低い声で呟く。
「なんだか腑に落ちない言われ方だなあ」
腑に落ちないと言われても、シャープは肩を縮めたり、すくめたりするしかない。穴が開くほど見つめられても、シャープは困るしかない。笑顔を引きつらせながら手を揉んでいると、ようやく助け舟はやってきた。
「ねえ! ここになにかあるよ!」
「本当かいリリー!」
シャープは満面の笑みでリリーの元に駆けつける。兄のやけに嬉しそうな雰囲気に戸惑いながら、リリーは目の前の壁を指差した。そこだけは歯車がなく、代わりに文字が刻まれていた。
ともをおせ
後ろから覗き込んでいたロナンが、いきなりカインのことを押した。当然カインはよろめき、しかめっ面でロナンを突き返した。
「何するんだよ」
「だって、友を押せって書いてあるだろ」
「本当に押すなよ! もし書いてある通りに行動しろってことだったら、一人で来てたらここでお終いじゃんか」
ロナンはポンと手を叩く。カインに言われるまで全く気がつかなかった。
「ああ、そうだよな」
「おいおい」
カインがうなだれる横で、シャープはあごをさすりながら首を傾げる。思考が停滞している証だった。息をつくと、シャープはその場にあぐらをかいた。カインはシャープの隣にしゃがみ込む。頼りの綱は彼だけなのだ。
「おい、思いつかないのか?」
「言葉が単純すぎるんだよ。たった五文字の中に、何を見出せって言うんだ?」
そうとう集中しており、カインには気がつかなかったらしい。シャープは壁に背を向け、頭を掻き始めてしまった。思案投首の体でいるシャープにため息をつくと、カインは再び歯車に目を向けた。大分日が傾きかけているようで、開いている西側の窓から光が強く射しこむようになっている。その日光は、真っ直ぐカインが見つめる大きな歯車を照らす。カインは目を細めた。歯車の黒い軸が日光を変に反射したからだ。傷でも付いているのかと思い、カインは歯車の軸まで近寄り、その頭をなでた。
……何だろう。文字か?
はっとなったカインは、親指の腹を押し当てて、刻まれている何かの正体を確かめる。楽しそうな表情を浮かべ、リリーが隣までやって来た。
「何してるの?」
「リリーも手伝ってよ。この歯車の軸には文字が刻まれているに違いないんだ。『と』と『も』を探して、押すんだよ」
先程はカインのことを丸無視していながら、今の言葉ははっきりと聞き取ったらしい。シャープはいきなり手を打って立ち上がった。
「そんな単純なことだったのか! ロナン、日向ぼっこも大概にして、手伝うぞ!」
「あ、ああ」
シャープはロナンを引きずり、気合を込めて歯車の前に立つ。カインに先を越されたのが、ほんの少し悔しい気がしていた。