第二話 魔法使いのおじいさん
「じいちゃん!」
地図を頭上に掲げ、カインは家で椅子に座って休憩していた祖父のところへ駆けていく。わからないことがあったらカインのじいちゃんに尋ねる。ソノ村に伝わる一つの常識だった。なぜなら、カインの祖父はその昔に大魔法使いと呼ばれ、さらに世界各地を文字通り『飛び回った』冒険家で、非常に物知りだったからだ。
「おお。どうしたんだ。そんなに焦って」
「じいちゃん! 地下室を掃除してたらこんなのが出てきたんだけどさ、何なのこの地図は?」
カインの祖父――マルクはその地図を見ると神妙な表情をした。紅茶を啜りながら、マルクは地図を睨むような鋭い眼光で見つめる。その強さといったら、地図に穴が空きそうなほどだ。やがてため息をつくと、好奇心にその顔を輝かせているカインの瞳をのぞき込んだ。
「そうだ。わしも昔はそんな目でこの地図を見ていたもんだよ。だがなあ、この地図に記されている迷宮は最後まで奥地に辿りつけんかった」
「迷宮?」
少し顔が細くなり、大人じみてきたその顔いっぱいに疑問符を浮かべながらカインは祖父に尋ねる。マルクは頷くと、地図をテーブルの上に広げてみせた。あちこちに丸い部屋や四角の部屋が枝分かれしているその地図だったが、どこか一つの目的地に向かって進んでいることには違いなかった。しかし、最後の部屋からは三つの通路が伸びており、どれも空白になっていた。
「ああ。わしは一筋縄ではこの迷宮を攻略できんと考えたから、故郷だったこの村とその迷宮の入口を魔法でつないで、拠点にしながら何度も何度も潜り込んだ。しかし、結局ある部屋で行き詰まってしまった」
風が窓から吹きこんで、マルクの白髪とカインの茶髪を揺らした。
「じいちゃんにも、わからないことがあるんだ」
カインが独り言のように呟いた言葉を聞いて、マルクは静かに頷いた。
「当たり前の事だよ。わしだって行く先々で大魔法使いと呼ばれはしたが、結局大賢者ウェルフェア様には敵わんよ」
「え? それってさ、この地図の迷宮はそのウェルフェア様が作ったってこと?」
カインも『大賢者ウェルフェア』の名は知っていた。祖父が以前に、その人物が神に命じられて様々な島や命を新たに創造したと伝えられる『神の子』とも呼ばれた偉大な人物だと教えてくれたからだ。そんな人物が造り上げた迷宮なら、尊敬する祖父が探険し尽くせなかったのも頷ける。
「正確にはその一番弟子ラウリンだ。……だが、誤解はしないでくれんか? 時間さえあれば解けない謎ではなかったのだが……いいなずけだったばあさんとの結婚式が訪れてしまって、それからは冒険に行けんようになってしまった」
「ええ? 何だよその理由?」
カインがちょっと舌をのぞかせながらからかうと、祖父は慌てたように目をしばたかせた。一瞬、祖父の若かりし頃の姿がうっすら見えた気がカインにはした。
「仕方がないだろう? わしも家族を持った以上、その辺をほっつき歩いているわけにはいかんじゃないか」
「わかってるよ」
カインが肩を優しく叩きながら祖父の顔を覗き込むと、その瞳にうっすらと無念の色が浮かんで見えた。四十年立ち、魔力が薄れてしまってもなお、この迷宮には心を惹かれているのだろう。その表情を見ていると、カインの中で何かが静かに湧き上がってきた。その何かがもたらす力につられ、カインはすっくと背筋を伸ばす。
「俺が行ってくる! 俺が行って、奥に何があるか確かめてくるよ!」
マルクは孫の表情をまじまじと見つめる。自分がその昔、水面に映した顔にそっくりだった気がした。老いた自分に代わって冒険に行ってくれたら、そしてその冒険が成功したら、ようやく内にくすぶる思いは消えてくれるだろう。しかし、やはりカインは可愛い孫だ。
「カインが? 危険だ。やめておきなさい」
カインは首を振る。今、祖父の未練は痛いくらいに伝わってきた。祖父が昔出来たように、呪文を唱えて魔法を操ることは出来なかったが、誰かが抱いた強い思いを受け取ることがカインには出来た。カインは祖父を励ますように笑ってみせる。
「大丈夫だって。じいちゃんが何度も挑戦して、こうして生きてるんだからさ」
マルクは腕を組み、低く唸って考え込んだ。祖父と孫は時が止まったかのように動かないが、近くに立てかけられた振り子の時計が、静かに時を刻んでいる。単調な音を響かせながら長針と短針が一直線となったとき、鐘の音が外から鳴り響いてくるのを耳にしながらマルクは静かに目を開いた。
「わかった。カインにわしの夢を託してみよう」
「ほんとに!?」
飛び上がらんばかりに喜んだカインの肩を掴むと、マルクはよっこらせと立ち上がる。その背は、今もなおカインの頭一つ分は高かった。孫の姿を見下ろしながら、マルクは力強く頷いた。
「ああ。安全策も考えておこう。今夜みんなを説き伏せるから、そろそろわしらも収穫の手伝いをしよう」
「よし!」
やる気になったカインは、ガッツポーズをしながら外へと飛び出して行った。その背中を自分と重ね合わせ、かつての大魔法使いは呟いた。
「わしも、昔は元気だったなぁ」