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14.エステルと謎の生物

読んで頂きありがとうございます。

この章から読まれた方は、是非【ユキア・サガ 航海① ネフシュタンの魔片 第一巻 第1章】から読んで頂けますと、幸甚です。


ーー秘跡を授けて頂く当日。

 今日はオレにとって一生一度きりの儀式がもう直ぐ行われる。

 絶対遅刻は出来ない。

 オレは午前9時40分に教会前に到着した。

 式の開始までまだ20分ある。

 門から屋根の十字架を見上げると、天窓が開いているのも緋隻眼に映った。

 碧落は渺茫として澄み渡り、一片の雲もなく爽やかな清麗さを感じさせる。

 陽光が燦燦と降り注ぎ、その暖かさは、これから始まる出来事を祝福してくれている気がして、オレは嬉しくなった。

 オレが清々しい心持ちで教会の門から入り口に向かうと、教会の扉が開く。

「ユキア、おはようございます」神父が陽気な聲で小さく手を振った。「お待ちしていましたよ」

 オレも「おはようございます。今日はよろしくお願いします」挨拶を返す。

 手招きされて教会に入り、入り口脇の聖水に手の先を浸して、十字架を切る。

 登壇の前に風韻を全身にまとう綺麗な美女と、オレと同い年くらいの可憐で美しい女の子が、こちらを向き並んで立っていた。

 一瞬だったが、女の子と偶然目が交差した途端、オレの胸を早鐘が打つ。

 細く小さな肩を覆い、腰の辺りまでさらさらと流れている、桃色(ピンク)の長い髪。

 見目麗しい顔立ち。

 切れ長で、巴旦杏(アーモンド)形の双瞳。

 その黒目がちで大きな瞳の底に、優しく和かな光彩が耀いている。

 白薔薇を想起させる純白の顔容(かんばせ)に浮かぶ、ふっくらとした紅を指したような唇。

 その頬は丸で、白桃。

 八頭身の細い体は、大人の女性に近い曲線を描き、姿勢よくすっと背筋が伸びている。

 緋糸で縁取りされた、桃色の長衣(ローブ)で身を包み、首元には金の十字架を通した首飾り(ネックレス)が観えた。

 オレは確信していた。

 二日前の歌声の女性に違いない。まさか女の子だったとは……。

 あの時は後ろ姿だったけど、これほど若く美しい女の子だと想像もしてなかった。

 彼女は、神に愛されている、とオレは感じた。

 澄んだ透明感が美しく、それでいて悲しいほど切なくさせる、天使と思しき歌声と、絶佳の麗貌を与えておられるのだから。

 言葉を失っているオレに、神父はこれ以上ないだろうという満面の笑顔で、2人を紹介する。

「こちらが、あなたの代母、マグダレナ夫人。そして、お嬢様のエステルです」

 二人は揃って優雅な会釈をした。

 オレは、確り一礼する。

「彼が今日の主役、ユキア・ヴェルスです」

 神父は嬉しそうにお約束の握手。

 マグダレナ母娘とは握手をしなっかったので、もう済ませたのかとオレは思ったが、この美しい2人に手を触れること等、自分には難しいと考える。

「ユキア・ヴェルスです。年は18歳で私の国では成人となります。ここから遠い西の小さな島国からティターン海の十字架と呼ばれる、この聖なるクルクス島に来ました。

 代母を引き受けて下さり、心より感謝しています」

オレがこれまでの信仰を要約して話すと、マグダレナ夫人は愉悦の色でその眼差しを染める。

「マリア・マグダレナと申します。

 娘のエステルと同い年なんですね。

 神父様からお話は伺っています。

 とても真摯に信仰をしていると感じています。

 代母をならせて頂くことを光栄に思い、神とあなた、神父様に感謝し、大変嬉しいです。

 ありがとうございます」

 マグダレナ夫人は、人を疑ったこと等、きっと一度もないだろうと思わせる、純真な微笑をオレに与えた。

 その聲は、暖かい温もりのある癒しの音だと、オレは思う。

 娘とお揃いの長衣で豊麗な身を包んでいる。

 清楚さと妖艶さが同居している特異な魅力を漂わせていた。

 年齢は、エステルの存在を考えれば、40代前後だろう。

 が、その体型も美貌も、20代後半にしか観えない。

 顔はエステルに似ているが、豊かで軽く波打つ長い髪は紅毛で、瞳は碧玉宛らに耀いている。

 妖美さをまとった、誰もが振り返るのは間違いない美麗な女性だ。

 その名を、この教会を捧げたことからも、新約聖書に登場しるマグダラのマリアに縁があるのだろうと推量できる。

 マグダラのマリアと、マグダレナ夫人は、容色が似ているのかもしれない。

 オレは何故かふとそう思った。

 マグダラのマリアは美しい女性だったという印象を、オレは聖書を読んで抱いている。

 そんなオレをエステルが母の傍らから、見つめているのをなんとなくオレは感じていた。

 それをマグダレナ夫人も感じてる風情。

 「では、洗礼、堅信式を行いますので移動しましょう」

 神父は教会右側壁中央の西洋扉(ドア)を開き、左へ少し進むと右手の西洋扉を開いて、4人はその部屋に入った。

 どうやら洗礼式等を行う秘蹟の礼拝室で、入って左側の壁には大きな十字架がある。

 礼拝室の中央、十字架に向かって1脚、その後ろに2脚の椅子が用意されていた。

 オレは神父から中央の椅子に座るよう指示され、マグダレナ夫人はその後ろの右側、エステルは左側に座る。

 オレの右手に卓子があり、聖水、聖香油、その他式に必要なものが準備されてるようだった。

 神父はその中から純白の洗礼衣をマグダレナ夫人に手渡す。

 マグダレナ夫人は、我が子同様の所作でそれをオレに着せてくれる。

 オレのなかなか鳴りやまなかった心臓の早鐘が、ようやく静まり始めた。

 マグダレナ夫人が席に戻ると、神父の司式により洗礼、堅信式が進んでいく。

 洗礼式は、まず神父が捧げる祈りから始まり「ユキア・ヴェルス、私は父とこと聖霊の御名によって、あなたに洗礼を授けます」と唱え、オレの頭に聖水が3度注がれる。

 オレは聖水が注がれる度、原罪と自罪がが赦され清められていく歓喜と安堵、感謝の心持ちで胸が一杯になった。

 引き続き堅信式へと進み、祈りを捧げ神父はオレの額へ、十字架を切りながら聖香油を塗り、手を翳し「父の賜物である聖霊のしるしを受けなさい」唱える。

 オレは、心魂の奥深いところに暖かい光の泉が油然と湧く喜悦に陶然としていた。

 こうして、次に初聖体へと進む。

 神父は祈りを捧げ「これはあなた方の為に渡される私の身体、これは私の血の杯である」聖別の言葉を唱え、小さく薄いパンをオレに与えてくれた。

 オレは神父の言葉を噛み締め、ゆっくりパンを食べた。

 清められ、聖霊を与えられたこの心魂に、折れることのない義を貫いてくださいますように、と黙とうを捧げながら……。

「これで洗礼、堅信、初聖体を終了いたします」

 この神父の言葉を耳にするまで、オレはずっと温もりと、久しく抱いたことのない平安に、心魂を満たされ浸っていた。

 オレの洗礼服を、マグダレナ夫人が脱がし、きちんとっ畳んで、神父に返納する。

 オレは、神父とマグダレナ母娘に「本当にありがとうございました」目頭を熱くし、真心を精一杯込めて御礼と感謝を伝えた。

 神父は「まだその言葉を口にするのは、少し早いかもしれません。

 まずはあちらへ戻りましょう」思わせぶりな言い方をすると、部屋を出て祭壇の間に戻って行く。

 マグダレナ母娘とオレもその途に続いた。

 オレが祭壇の間に入ると、神父は眉根を寄せ立ち止まり固まっている。

 神父の両眸は、開け放たれている天窓に向けられていた。

 オレとマグダレナ母娘も、その視線の先を追う。

 なんと天窓から、翼を羽搏き生き物が降下して来ている。。

 翼はあるが鳥ではない。

 四肢がある。

 全員それから目が離せない。

 が、オレはさり気無ぬく、神父とマグダレナ母娘を自分の背後に回し移動した。

 やがてそれは、オレの面前で浮かんだまま、理由はわからないがじっと緋隻眼を観ている。

 突然現れた闖入者は、とても小さな生き物だった。

 尻尾を含めなければ、体調は7インチにも満たない。

 おれが束ねた髪と同じ、緋色の体毛。

 その両眼は鮮やかな金色。

 胴体が長く、躰の割に四肢は太いが、極端に短かった。

 犬のカニンヘンダックスフンドを更に小さくして、翼を生やせばこうなるだろう。

 然し、眼の虹彩は犬とは違い猫系にそれとよく似ていて緋色だった。

 翼は、長い緋色の体毛でおおわれている。

 その翼は左右一翼ずつだが、先端から中央付近まで分離しているから、二翼に観えた。

 一見しただけでは、左右二翼ずつ計四翼に映ることだろう。

 それは、空中で足を踏ん張り、

「ワンッ!」

 とオレに一声、元気よく吠えた。

 ワンッ、ってやっぱ犬なのか?

 てことは、人語を話さないにだから、幻獣じゃない。

 要するに、珍獣ってことなのか? と思いながら「おー!こんちは!」と咄嗟に挨拶するオレ。

 空飛ぶ謎の生き物は、明らかにその聲を喜び、大きく尻尾を振って、オレの頬をペロペロ舐めた。

 それから、丸で口づけするみたいに、口先でオレの頬をツンツンしてくる。

 オレが両手の掌を差し出すと、そこに翼を畳みながら飛び乗った。

 そんなオレを見て、エステルは嬉しそうに、楽しそうに微笑んでいる。

 エステルは、オレと謎の生物に近寄り「もしかすると、あなたはユキアさんを捜しに来たの?」人と接するように優しく問いかけた。

「ワンッ!」その通りと言わんばかりに小さな生き物は即答する。 

 驚いたことに、それは猫が甘えた時と同じくゴロゴロと喉を鳴らし、オレの鼻先をツンツンと口で突く。

 人語は理解できるようだが、一体何の生物なのか益々謎が深まった。

 エステルが初めてオレに死線を重ね、笑みを咲かせて「チュッ、チュッ、って、口づけ(キッス)してるみたいで可愛い!

 ユキアさんはモテるんですね」と話し掛ける。

 オレは大きくかぶりを振るのが精一杯で、再び心臓が早鐘をガンガン打ち始めてしまう。

「翼の生えた犬なんて……」背後から神父が奇々怪々という調子で「勿論見たことも、聞いたこともありませんが、人語を話さないので幻獣ではないようですし……。

 一体何という生物なのでしょう?」

 エステルが「神父様、犬の虹彩は縦長ではありません。

 この

 瞳と喉をゴロゴロ鳴らすのは、猫っぽいですよね?」やんわりと翼の生えた犬だということを否定する。

「それにしても可愛いワンちゃんだこと」

 マグダレナ夫人は、お嬢さんの話が耳に入らなかったのだろうか? オレは驚いた。

「体毛も長くて綺麗で、ユキアさんの眸や髪と同じだなんて、エステルの言う通り、この子はユキアさんを捜していたのかもしれません」

「お母さん、翼が生えたり、瞳の虹彩が縦長だったり、喉をゴロゴロ鳴らすワンちゃんは世界中探しても、この子しかいないんだからっ!」

 エステルがちょっぴり天然で大らかな母に確り突っ込んだ。

 謎の生物は、オレの掌の上で喉を鳴らし猫みたいに丸くなっている。

 「ユキアさん」エステルが瞳をキラキラさせて「この子のお名前はどうするのですか?」

「え? や? あ、んーと、えーと……」

 つか、この謎の生物をオレが育てるっていう展開ですか?

 そんなオレの胸懐を察する素振りも見せず「放っておく訳にはいきません。

 とても珍しい生き物だから、守ってあげないと。

 それに、ユキアさんを捜していたようですし」

 エステルは両手を胸の前で、ぎゅっ。と結び、オレに再び目線を重ねた。

 マグダレナ夫人と神父は、オレ達二人のやり取りを微笑ましく見ている。

 謎だらけの珍しい生き物に、オレは両手の掌を全く無意識に差し出していた。

 今、掌の中で丸くなって上目遣いに自分を見ている生物を、何故かオレは自然に受け入れていた気がする。

 っていうか、エステルの提案に異を唱える者なんて絶対一人もいないよ。

「お名前、私考えてみました。エステルは謎の生物の背中を撫で「ユキアさんに可愛い口づけしてたから『チュチュ』って呼ぶのはどうでしょうか?」

 自分の心中を見透かしたようにエステルが提案してきたものだから、オレはドキッとした。

 エステルが、この生き物の名付け親になることを、誰もk問われないよ。絶対。

「チュチュ、オレと一緒にいたいか?」

「ワンッ! ワンッ!」

 チュチュは立ち上がって尻尾を目一杯振って、元気よく吠えた。

 オレはチュチュの顎の下を撫でる。

 チュチュの喉を鳴らす、ゴロゴロという音量が一段と大きくなった。

 「チュチュ、エステルだよ。よろしくね!」

 エステルがその鼻先にチュッと口づけするとチュチュは、彼女の顔をペロペロ舐めた。

 エステルは「可愛いー!」オレの手からチュチュを抱き上げ、尻尾の付け根辺りを確認すると「やっぱりそうだと思った。

 チュチュは女の子なのね」にっこりした。

 エステルがチュチュをオレに戻すと、神父がその時を待っていたという声調で「エステル、ではそろそろ始めましょう」 

 神父はオレに祭壇の長椅子に座るように手招きした。

 始めましょうって、何を?

 オレは疑問に思ったけど、神父の導きを素直に受け入れて従う。

 エステルは、オレの正面に立ち、神父はその右側に、マグダレナ夫人は左側に立つ。

「今日はユキアを祝し」神父は少し緊張した面相で「心を込めた贈り物を用意しました」

 どうして神父が緊張したように観えるのだろうとオレは怪訝に思った。

 その一方で、実はオレも緊張している。

 何が始まるのか、熾るのかわからないが、目の前のすぐ傍にエステルが立ってこちらを見ていたからだ。

ーーエステルは、右手で胸を押さえ、その手にもう片方の手を重ね、大きくゆっくり深呼吸して呼吸を整えている。

 オレは、緋隻眼を足下に向けた。

 エステルを直視できず、どうも落ち着かない。

 胸の鼓動が体中で脈打ち、少し苦しい。オレは目蓋を閉じた。 

 その直後、神父、マグダレナ夫人、エステルによる楽し気な曲調のアカペラ合唱が、オレの聴覚に触れる。

 吃驚したオレが思わず面を上げて神父を見ると、緊張したまま玉のような汗をかき、一生懸命歌っていた。

 それが贈り物なのだとオレは気付く。

 神への讃美歌をこうしてオレに届ける為、間違いなく3人で練習した筈……。

 それを想像しながら聴いていると、心魂が、ぐっ、と熱くなる。

 曲の主旋律は神父が担当していたが、なかなかどうして、少し低めの奥行と味わいのある聲で、素晴らしいとオレは感心した。

 マグダレナ母娘は、諧調(ハーモニー)を奏でている。

 歌い終えた3人にオレが拍手を贈ると、神父はほっとした風采でにこやかに笑う。

 続いて2曲目が始まる。

 とても優しさを感じさせる神への讃美歌で、マグダレナ夫人とエステルのアカペラ合唱だ。

 主旋律はマグダレナ夫人が艶と伸びのある魅惑的な聲で歌い、情味に満ちていて馨しい。

 今度もエステルは諧調を母親の聲に重ねている。

 マグダレナ夫人は本物の歌手みたいだと、オレは感動せずにはいられなかった。

 エステルの歌唱力を考えれば、その母親が下手な訳ないか、とオレは思う。

 そのエステルは、1曲目と2曲目も、主旋律が生き生きと弾むように、神父やマグダレナ夫人の良さを引き出しながら歌っている。

 それが簡単なことではないと、オレも理解していた。

 2曲目が終わりオレと神父が拍手を贈ると、マグダレナ夫人は頬を桃のように染める。

 ここまでくれば、オレにも予測できた。

 3曲目がエステルのアカペラ・ソロだということを。

 エステルは目を閉じ胸の前で両手を握り合わせて、祈りを捧げる姿に見えた。

 オレはエステルと目が合って動揺してはならないと、視線を足下に落とす。

 それにしても何故、オレはエステルにドキドキしたり、動揺したりするんだろう。

 そういえば、レイが口寄せする雪龍ビオリス姉妹にも、ドキドキすることがあった。

 オレは美女に弱いのか?

 や、それはまずい。断じてまずいぞ、オレ!

 オレは、己自身に厳然と言い渡す。

ーーその直ぐ後。

 果てしなく清澄で切ない程優しく美しい聲。

 のびやかでヴィブラートが儚い、エステルの情感迸る歌声が、教会に響き渡る。

 それは、2日前訊いたあの曲だったが、オレはいつ頃どこで聴いたのかやっぱり思い出せない。

 神の驚くべき恵みに、感謝を捧げるこの神秘的で幻想的で、それでいて力強く勇気づけられる馥郁としたその1曲。

 エステルの歌声が、痛みに呻くオレの心魂を癒し沁みこんでいく……。

 実の父と義母の信じられない程身勝手な裏切り。

 実の母や叔母の悲しい背信。

 祖父の悲壮な無力さ。

 心から信じられる大人を知らず、孤独に耐えていた日々。

 義母の悪意渦巻く激しい虐待。

 結果的に実の母親からも捨てられてしまった悲しみ。

 実の弟とでさえ、腹を割って話せない寂しさ。

 義勇の為とはいえ、返り血を浴びて敵を斃す度に、血腥い異臭を放つオレ自身の苦悶。

 ズタズタぼろぼろのオレの本当の心魂は、乾ききってひび割れた地表の如く、寂寞としてそこを訪れた者は、今まで誰一人いない。

 然し今日、聖霊のしるしを授けられたことで、その奥深い片隅に小さな光の泉が生まれ、殆ど暗闇に近い心魂に朧気な明かりがともった。

 今、干からびて傷ついた大地にエステルの清麗な聲が、恵みの雨となって降り注いでいる。

 エルテルの独唱に抱かれ、オレの心魂は感極まって激震が走っていた。

ーーとめどなく涙が溢れ、滂沱となっていく。


 ※※※※※


 私は、神の慈愛と恵みがユキアさんと共にありますように、と心から祈願して歌いながら、ゆっくりと目を開いた。

 ユキアさんの緋隻眼から、太陽の光輝に包まれて煌めく、一滴の涙がぽろりと零れ落ちていく刹那を私は心が切々と締め付けられる位、何処までも清らかで美しいと感じる。

 自分の歌を聴き、宝石みたいに耀く純真無垢な涙の滴で、その頬を濡らしているユキアさんのことを、突然、愛しいと心奪われてしまう。

 胸の奥に広がっていく、切ないけれど暖かさと温もりのあるその感情を、ぎゅっと抱きしめて心から大切にしたいと思った。

 母が、愛する娘のそんな横顔を眩しそうに眼を細めていたことには、気付いてない。


ーー2日前の午後のこと。

 シュラークーサエに停泊する聖エレミエル号の話で、街はちょっとした騒ぎになってた。

 神聖ロムルス皇国の国営会社オスティア商会船籍の聖エレミエル号が海賊に襲撃されたのだという。

 然も、その海賊はオロアルマダ帝国の無敵艦隊を率いていた海軍提督で、海軍時代も、海賊となってからも無敗を誇っていたカルロス・ファルカンが頭目のクレブリナ海賊団。

 海賊の要求は、食料以外の金品と独りの女性の身柄だったらしい。

 ところが、この要求を峻拒して無敗だった海賊達を追い払い、逆にクレブリナ海賊団の船を奪取した()()が現れたという話。

 それはまだ20歳前の少年だったという。

 屈強な海賊を瞬く間に倒してしまい、海賊の攻撃を掠らせもしなかったとのこと。

 過日、近い将来神聖ロムルス皇国の人間国宝になると呼び声の高い、ギルド・アルカのモンテ・ブカとその息子がクレブリナ海賊団に拉致されるという事件が起こっていた。

 然し、現在親子は神聖ロムルス皇国に帰還し、その無事が確認されてる。

 この親子が帰国する為に乗船した船が、元はクレブリナ海賊団の商船を装った海賊船だったという。

 モンテ・ブカ親子を救ったのも、件の少年海賊だった。

 然し、その少年海賊は、聖エレミエル号の乗組員、乗客達、海帝に差し出す為、ファルカンに狙われた女性、モンテ・ブカ親子に対して、一切見返りを求めることはなかったとのこと。

 その少年海賊は、誰もが1度目撃したら忘れることは出来ないだろう風貌らしい。

 長い緋髪を束ね、緋隻眼で緋色の眼帯をしてて緋い武具を装備してるという。

 その緋隻眼の少年海賊は今、聖エレミエル号を一時下船し、シュラークーサエで宿を決め滞在しているらしい。

 マグダレナ・マリア教会の裏庭からも訪問できるマグダレナ家の大邸宅のゆったりとした、ソッジョルノ(リビング)でマグダレナ夫人と呼ばれている母とと私が、感嘆しながらこの噂話に花を咲かせていた。

 大邸宅の表門には守衛所があり、三交代制で、武人と法術士の二人が一日中警護してくれている。

 門から馬車が余裕で通れる石畳の通路の30ヤード先に玄関があり、脇には色彩豊かに花々が咲き乱れていた。

 鮮麗な花々の周囲を数匹の蝶がいつもひらひらと舞い戯れている。

 門から左に向かう通路の先には厩舎があり、隣には大小2台の馬車の車庫が並んでいた。

 それに連なって、守衛所の武人や法術士、庭師、馬の飼育係、邸宅や果樹園、醸造所の使用人、馭者達の宿舎がある。

 それらの建物の前から玄関口まで石畳の馬車道が続く。

 更にこうした建物の裏には、葡萄、オリーヴァ(オリーブ)、巴旦杏、(オレンジ)、檸檬、苺等の果樹園が広がっていて、マグダレナ家の食卓に彩りを添えていた。

 果樹園の北側には葡萄酒、巴旦杏酒、炎酒ーー苺酒のこと。光の当たり方によって炎が熾っているみたいに見えることからそう呼ばれていた。高級酒ーーの醸造所がある。

 何れも、口当たり、喉越し、馨が良く美味い酒だとお陰様で評判だ。

 大邸宅の前庭は、1年を通じて四季を味わうことができる様々な樹々や花々を、庭師が見事に手入れしてくれている。

 マグダレナ家の邸宅ーーご近所さまから小さな城と呼ばれているーーと私たち母娘を、女性の執事を含め50人以上の使用人達が守り支えてくれている。

 広いソッジョルノでは、中庭に向かって左側に大画面オスクとカンテが並び、その隣には世界でたった1台しかないクリスタッルム製のピアノフォルテが(ピアノ)設置されている。天井には、三食に変色可能なルークのランペダーリオ(シャンデリア)

 部屋の中央には、クリスタッルムの長方形の卓子に中庭側と、対面に1人掛けディバーノ(ソファー)が1脚ずつ。

 その左右には、それぞれ3人掛けのディバーノが1脚ずつある。

 母は中庭に向かって左側の3人掛けデとィバーノに横たわり、私はその正面で身を沈めるように座っていた。

 高価な調度品が、さり気なく点在していて、安らいだ空間を醸し出している。

 馥郁と竜脳と伽羅の馨が漂い、気韻に満ちていた。

 この大邸宅に訪れた人物が1人、モヨリ神父様だ。

 神父様は西側に設けられている中庭専用の玄関から大邸宅に入り、十字架をきって「お二人に主の平和がありますように」祝福をする。

 母の手招きで、中庭側の1人掛けディバーノに神父様は腰かけた。

 母が、にこやかに用件を訊くと、1人の少年に、洗礼、堅信、初聖体の秘蹟を授けたいので、誰か、代父、代母になって頂きたくに適した方を推挙して頂きたいとのこと。

 少年はシュラークーサエには4日間しか滞在しないから急いでいるらしい。

 マグダレナ・マリア教会は、その建物、土地、建築費用、美術品その他全てを、マグダレナ家が寄進している。

 だから、マグダレナ家の中庭と教会の裏庭は行き来できるようになっていた。

 マグダレナ家は、このあたりの民草から尊敬され、慕われているので、神父様は代父、代母が決まってない時は、必ず母に相談していた。

 召使(メイド)の女性が珈琲とティラミスを3人に給仕してお辞儀をすると静かに下がって行く。

 神父様は目端を綻ばせ、母に礼を伝え、早速珈琲を口に運んだ。

 過去に1度神父様は母に代母の話を持ちかけたことがある。

 でも母は「私はそのような大役を望んでいません」とやんわり断られているので、以来、神父様はそれを依頼していない。

 神父様はティラミスを食べつつ、いつもの通り受洗希望者の信仰の深さや篤さ、その実践状況、カットリチェシモの考え方や理解度、捧げている祈り、それから年齢や風姿につて紹介した。

「その信仰に対する姿勢、考え方は非常に素晴らしいものがあり、私達の教会の信徒と比較しても、その上を彼は歩んでいます」と神父様は喜んだ。

 すると、母の容色が喜悦に耀く。

 はたから見れば私もそう思われるに違いない。

 母は、噂の緋髪緋隻眼の少年の話を、神父に語った。

「多くの人々の命を救い、皆の財産を守り、全く見返りを求めなかったそうです。

 クレブリナ海賊団の命を奪うこともしなかったとのこと。

 未だかつて前例のない海賊は、どうやらその少年のようですね」

 神父様は母の推断に異を唱えることなく「私も間違いないと思います。

 ですが、神は御前に縋る者をお見捨てにはされません。

 だから私は彼の願いをかなえてあげたい。

 たとえ彼が海賊を名乗っているとしても。

 彼もまた主の子羊だから」真摯に話した。

 私は、自分と同世代の海賊が、仲間らしき2人とたった3人だけで、どうやって無敗を誇っていた海賊達を屈服させたのか、驚異だったし、信じ難い。

 一体どんな人なんだろう。

 海賊らしいけど、噂話や神父様の話の内容から考えると、悪い人には思えない。

 寧ろ、何だか正義の味方っぽい気がする。

 会ってみたいな……。

 でもどうしたら会えるのかな?

 そうだ! いい考えがある。それがいい!

「お母さん、その人の代母になってあげたらいいのに。

 その人は、きっと悪い海賊じゃないと思うの」

「エステルの言う通りね」母は頷き凛々とした聲で「海賊っていうより、義賊の稟質を持っている人の様な気がします。

 いいでしょう。

 私が代母になります」 

「ほんとうですか」神父様は信じられないという思いと、代母を引き受けてもらえるという喜びの混在した容貌で「有難うございます。

 これは素晴らしいことです。

 ただ、一つお願いがあります。

 私はいつも受洗者に式後歌を贈っていますので、私と一緒に歌って頂くことになりますが、大丈夫ですか?」

 母は「仕方ありませんね。私はエステルと違って歌に自信はないですが、承知いたしました」少し眉を顰めて了承した。

 私は「私も式に出席したいな。

 歌も私で良ければ、是非歌わさせて頂きます。」神父様に問いかける。

 神父様はにっこり目尻を下げ「いいですとも! 

 あなたの歌を聴けるなんて、私も彼も幸福です」

 母は、何もかもお見通しといった趣で「噂の少年がどんな人なのか、誰でも気になるものです。

 あなたの歌を聴いて嫌がる人はいません。

 良いことだと私も思います」

 こうして、歌う曲は3全部で3曲に決まり、3人一人一人が1曲ずつ主旋律を歌うことに決定する。

 この日と翌日の2日間マグダレナ家に計三度集まって、歌の練習をみっちり行った。

 私は、その時間を楽しく過ごす。

 それ以上に緋隻眼の海賊に会えることが楽しみで仕方ない。

 その人は海賊だから、ちょっと怖い気もするけれど、カットリチェシモの受洗や堅信を自ら希望する人で、絶対悪い人ではないと、私は信じてる。

 きっと、優しい人に違いない。

 そうじゃなければ、聖エレミエル号の人達を見返りも要求せずに救う理由がないもの。

 だから、私も一生懸命魂を込めて歌おう。


ーーまさか二日前、今日こんな気持ちになるなんて、私、想像もしてなかった。

 今日初めて出会ったばかりだというのに……・

 私は、ユキアさんを優しく抱きしめているかのように熱唱した。

 やがて私が歌い終えて少しの間、風韻溢れる曲の余韻に浸り、誰も口を開かない。

 チュチュは、ユキアさんの掌から羽搏き、私に周りをぐるりして彼女の頬をペロペロ舐めると、ユキアさんの左肩に戻って寄り添う。

 それがきっかけで、漸く我に返ったのか、ユキアさんは陶然としたまま拍手を贈ってくれた。

 神父様も母もそれに続く。

 私はお辞儀して、神に黙祷を捧げる。

 神様、私に歌を歌う賜物をお授け下さり、心から感謝を捧げます。

 お陰でとっても素敵な出会いがありました。

 慈しみ深い神の御名が、代々限りなく褒め称えられます様に……。


 ※※※※※


 オレは、チュチュを左肩に乗せたまま立ち上がり、深々と一礼した。

「モヨリ司祭、マグダレナ夫人、エステルさん、本当にありがとうございます。

 言葉にできない程、心魂から溢れてくるとめどない感情を、どう表現して言葉にすればいいのか、私にはわかりません。

 感謝という言葉だけでは足りないと思っています」

 零れ落ちる涙を拭かず、オレはそう言葉にするのが一杯一杯だった。

 そのオレの姿と言葉に、エステルの頬にもぽろぽろと紅涙が転がり落ちていく。

「私もありがとうございます。

 ユキアさんと出会い、この式に出席させて頂いたことを、神に、あなたに感謝します」

 涙にぬれたその美顔は、愉悦一色だった。

「お礼を言わなければならないのは私です」オレはエステルの言葉と涙に一驚して「素晴らしい心のこもった祝福に感動しています。

 もう一度、心から御礼を言わせてください。

 本当にありがとうございました」

 オレ達のやり取りを微笑ましく見守ってくれていたマグダレナ夫人は「ユキアさんはまだ明日シュラークーサエに滞在されるのよね?」オレの返事を聞く間を置かず「エステル、あなたシュラークーサエを明日1日ご案内したらいかがかしら?」

「はい!」エステルは躊躇いなく即答した。「私で良ければ喜んで」

 オレは、不意を衝かれた話に驚き少々慌てたが、それよりも嬉しさが勝った。

 けれども、どうしてだかそれが切なく胸を締め付ける。

「ユキアさん」

 とマグダレナ夫人が聲をかけるとオレは急いで言う。

「皆さんどうか私のことは気軽に、ユキアと呼んで下さい」

「わかりました。ではそうしましょう」

 マグダレナ夫人が顔を綻ばせて言うと、

「じゃあ、私のこともエステルって読んで下さい。同い年だし敬語もなしで」

 エステルは少しはにかんでいるようだ。

「ではユキア、明日はエステルと一緒にシュラークーサエをゆっくり観光して、この町の美しさと素晴らしさを、あなたの眸と心に確り焼き付けてください。

 そしていつか、必ずシュラークーサエに、この教会に帰ってきてくださいね」

 マグダレナ夫人は温良な眼差しを、オレに注いでくれている。

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂き、明日はお嬢様をお借りします。

 ご配慮に、心から感謝します」

 喜びと嬉しさを感じながらも、何だか緊張してしまうオレ。

 話が落着したところで、神父が「もう一つ大切なお話をしなければなりません。

 聖術について教示させて頂きます」

「神父様、ユキアの属性は何でしょう?」マグダレナ夫人は興味津々と言った語感で「優しい人ですから、水でしょうか?」

 マグダレナ夫人オレと神父、交互に目を移した。

「違います!」エステルが自信ありげに断言する。

「聖エリヤが守護聖人なのよ? エリヤ様なら火に決まってるでしょ。

 火の馬と火の洗車が、天からお迎えに来られた方だから」

 神父は嬉しそうに目尻をいつもより更に下げて、「忙しい中、エステルは確り聖書を読んでいるみたいですね」

 褒められたエステルは、瞬く間に美しい面輪を朱に染めてしまう。

 なんだか、ばつが悪そうだ。

「実は昨日、今日の為の歌の練習を神父様お母さんとした後、ユキアさんの」エステルはそう言ってからちょっと照れ臭そうに言い直す。「ユキアの希望する守護聖人が誰なのかを神父様から聞いて、久しぶりに聖書を開いたの」

 オレは、正直なエステルに好印象を抱く。

「そうだとしても」と神父は前置きして「あなたの様なとても忙しい人が、聖書を開くことはそれだけでも素晴らしいことです」

 オレはエステルが何故多忙なのかわからなかったけれど、今日明日と自分の時間を持ってくれたことが、とても嬉しかった。

 神父が話題を戻す。

「そう、エステルが指摘した通り、聖エリヤは火や炎にかかわる話の多い聖人です。

 エステルの話ーー列王記下第12章ーー以外に、カルメル山の対決ーー列王記上第18章ーー、アハズヤの二つの50人部隊ーー列王記下第1章ーーの話と、何れもエリヤは天から火を降らせていますが、彼は神にとても愛されていたようで、どうやら他の属性も与えられています」

 神父は目を閉じて記憶を辿りながら語を紡いでいく。

「風の属性と考えられる鴉との物語ーー列王記上第17章ーー。

 つぼの粉と油が尽きなくなる物語ーー列王記上第17章ーー。

 これは風の反対属性となる土属性だと言えます」

 マグダレナ夫人とエステルは、好奇心をその瞳に耀やかせ、神父の話を聞いている。

 更に干ばつの終わりを告げる降雨の物語ーー列王記上概18章ーー。

 外套でヨルダン川を二つに分けた物語ーー列王記上第18章ーー。

 これらは、火の反対属性となる水属性を示しています」

 オレは、この後に神父がするであろう話も含めて、聖エリヤの聖ーー光ーー属性のことも頭に入っていた。

「それから、サレプタのやもめの女の息子を、死から復活させた物語ーー列王記上第17章ーーは、至上の属性だとされる聖属性です。

 光属性ともいわれてますね」

「さすがは神父様!」マグダレナ夫人が賞賛する。「エステルの付け焼刃とは違います」

 ところが神父も少し面を赤くして「いえいえ、私は聖書学者ではありませんから、聖書を丸暗記している訳ではないのです。

 聖書を正しく解釈させてくださる主の賜物によって、実は昨夜予習しました」

「聖属性と4属性の全て……」エステルは小首を傾げて、一生懸命記憶の中で聖書の頁を捲っている様子だ。 

 エステルは続ける。「死者の復活を成し遂げたのは、聖エリヤ以外に、聖ペテロ、聖パウロ、聖エリシャでこの方は聖エリヤの弟子ですよね。

 私が記憶しているのはそれだけで、少ないです。

 それに4元素属性全てを身に着けていたと考えられる聖人は、エリヤ様の他に見当たらない」

 神父はエステルの話に首肯した。

「ユキア、率直に申しますが、あなたにどの属性が与えられたのか、はっきりとした答えを出すことは私にはできません。  

 然し、その答えはあなた自身の中にあるのです。

 あなたが何を求めるか、それが一番大切です」

 神父の考え方は、真理だとオレは思う。

 目の前にいる3人は何も知らないが、オレは陽ーー光ーー、陰ーー闇ーー、火、風、土、五つの属性を持っている。

 それらは、自ら切磋琢磨して会得したものだ。

「求めなさい。そうすれば与えられる。

 探しなさい。そうすれば見つかる。

 門をたたきなさい。そうすれば開かれる。

 マタイによる福音書第17章7節で、イエスは御言葉を与えて下さっています」

 聖句を口にしたオレは、噛み締めて肯じた。

 神父は「素晴らしい。その通りです」喜び、聖術について明解に説明を始める。

 神父はまず、術を発動させる為に必要な『リベル』から解説していく。

「聖術のリベルは皓透色のタブレットで(薄い石板)、文字は金色で表示され、普段は天界の書庫に収められています。

 リベルには、守護聖人の霊性による属性に従って、そのアイコン(象徴)が表示されていて、それを杖、或いは指先で触れると、操れる初級の術が表示されます。

 同様にして、杖もしくは指で術名に擦れると、その術式が表示されるから、それを詠唱することで、術の発動が可能です。

 できれば術の発動は、良質の杖で行うのが望ましいでしょう。

 繰り返し使用してその術に熟練してくると、杖の一振りで術の発動ができるようになりますから」 

 オレはこうしたことを全て知っていたが、神父の仕事の邪魔はしない。

「杖は1度会得した術を忘れることはありませんが、良い杖程術の修得が早く、数多くの術を駆使することができます。

 ですから、世の奥様方達は、杖の一振りで家事に術を活用しています。

 例えば、火属性の術で調理したり、洗濯物の感想をするといった具合に」

 二日前の昼、オレはローザが聖エレミエル号の厨房で調理していた時、巧みに杖を振っていたのを目撃していた。

 クレブリナ海賊団の女魔導士ジゼルが、杖の一振りでファルカンの葉巻に火を点けていたのも見ている。

「風属性の術では、種々雑多なものを運んだり、移動させたりして整理整頓してます」

 やっぱり二日前の昼、オレはランブラが聖エレミエル号の厨房で、給仕する為の料理皿や食器類を、見事に杖を振って動かし準備していたのに感心させられている。

「水の属性の術では、洗い物や洗濯、庭の水やり等をしています。

 土属性の術では、家庭菜園を設けて、野菜や果物の収穫をしているようです。

 然し、難易度の高い術は、そう簡単にいかないことは、申すまでもないでしょう」

 神父は改めて、オレの風貌を確認して慎重に言葉を選びながら、話を進める。

「ですが、ユキアは武人ですから、治療、回復系の術を体得していくのが良いのかなと思っています。

 どの属性の術にも、回復、治癒系の術は初級から存在しますから。こうして初期の術を操り、習熟、鍛錬していくことで、少しずつ難易度の高い術がリベルに現れます。

 あとは努力次第です。

 守護聖人の霊性以外にも、術者本人の性格や人間性、信仰、術に関する知識や印象も、修得できる術に大きく影響します」

「成程」オレは理解して頷き「わかりやすく教えて頂き、ありがとう」ございます」

 神父はにこにこして「術を発動するというのは、つまり天界と通じ、神の御力の一部を一時的にお貸し頂くことに他ありません。

 則ちリベルは、術者と天界を結ぶ、唯一の聖なる媒体なのです」と結ぶ。

 それから神父はロザリオを左手に、十字架をきって両手を合わせる。

「神よ、私の祈りを聞き、この口にのぼる願いに耳を傾けてください。ーー詩篇第54章3節ーーあなたの僕にリベルを与え、御力をお貸しください為すように。アーメン」

 眩しい小さな光点が、神父の前で煌々と輝き、モザーイコ(モザイク)画を描くように、リベルを出現させた。

「これが」私のリベルです」皓透色のタブレットは神父の前に浮かんでいた。

「レベルを」呼び出す方法は人それぞれです。

 私にみたいに聖書から聖句を選択して詠唱する者が比較的多いようですが、重要なことは天界とつながる信仰や意識を確り持てているかどうかです。

 聖導士や高位の聖術士は、私のように長い詠唱を必要としません。

 ロザリオを握って、十字架をきるだけでリベルを出現させる聖導士もいます」

 オレは、クレブリナ海賊団の女魔導士ジゼルが、詠唱無しで、リベルを出現させるのを見ていたことを思い出す。

「私にような聖職者は、回復・治癒系の術を会得しています。

 今ここに、治癒や解毒を必要としている方は……」神父は一同をに回し「あー。いらしゃっらないようですね。

 私の術をお見せできないのは残念ですが」と言って、ペロっと舌を出す。

 マグダレナ夫人とエステルは、下を向いてくすくす笑っている。

 神父はリベルの右下隅に表示されている。✕印のアイコンに指で触れた。

 リベルは光耀く小さな粒子を天に立ち昇らせ、美しく消え去っていく。

「リベルは、右下の✕印アイコンに触れれば、帰天して天界の書庫に戻って行きます。

 或いは、帰天せよ、と唱えても同様です。さて、これで私が教えて差し上げられることは、なくなりました」

 神父、マグダレナ夫人、エステルは、オレがリベルを呼び出すのが楽しみで仕方ないという心の聲を、隠そうともしていない。

 それまで俺の左肩に乗り、少し頭を傾け、恰も人間の如く凝然と話に耳を傾けていたチュチュが、尻尾を振り、短い後ろ足で立って、オレの頬をツンツン突いた。

「ん? チュチュどうした?」オレは気になる。

 チュチュは大きく尻尾を振って、何かに喜んでいるのか、オレの面前で翼を広げ、ふわふわと宙に浮かび「ワンッ!」と吠えた。

 ワンッ! って吠えられてもなぁ……それだけじゃ何もわかんないよ。

 そもそも翼を持ち、撫でると喉をゴロゴロ鳴らす生き物が、どうしてワンッ! なんだ?

 まぁ確かに、翼がなくて、眼の虹彩が縦じゃなかったら、何処からどう見ても犬のカニンヘンダックスフンドにしか思えませんが。

 チュチュ、お前は何者なんだ?

 悪いけどオレには、犬語とかワン語とかは、全くわかんないぞ……。

 チュチュは当惑しているオレの右手を、頭で押し上げて胸の前まで移動させ、左手も同じく動かした。

 オレの両手の前、チュチュは空中で四肢を踏ん張り「ワンッ!」と尻尾を振り再び吠えた。

「そうか! 」オレの脳裏に光が奔った。「ありがとう、チュチュ! ん? でもなんでチュチュが……?」

 するとチュチュは、尻尾を真っ直ぐに立て唸った。「グルルル、ワンッ!」と丸で「もう、早く!」そう言いた気に。

 エステル、マグダレナ夫人、神父達には、このやり取りが何事か理解できる筈もなく、ただ黙って見守っているのだろう。

 オレは「わかったから、やってみるよ」チュチュの下あごを撫でる。

 チュチュはゴロゴロ喉を鳴らし始めた。

 オレは十字架をきる。

 続けて結の印を結んだ。

 その瞬間!

 鮮麗な緋紫の光輝が弾けて飛び散る。

 緋、紫、金の光の粒子が、モザーイコ画を描くように、遂に俺のリベルを召喚する。

 それは、緋紫透色のタブレットが、白金の額縁に収まった、幸村武伝に記述されているという、謎のリベルだったのだ。

 聖術のリベルは額縁部分に関しては、材質や色意匠も人それぞれだが、タブレット部分は皓透色のみとされている。

 然も聖術の初心者が詠唱無しでリベルを呼び出せるなんて、有り得ないことだろう。

 神父は仰天して口江尾あんぐり開けたまま。

 エステルマグダレナ夫人は、2人とも開いた口を両手でふさぎ、驚倒され絶句している。

 オレのリベルの上部枠には、おそらく神聖文字であろう緋紫の文字が刻印されていた。

 神聖文字は、上下、横二列になっている。

 オレは初めて目にした文字だったが、驚異で特異なことに、何が刻印されているのかを理解できていた。


『          LIBER          

     JUCIA ELIJAH VERUS     』


 ロムルス語で書けばこうなることが、なぜ自分にわかるのか、全く心当たりがない。

 額縁の右枠には、翼を持ち上顎の左右と下顎の左右に二本ずつ凶暴な牙をむき出し、四肢には凶猛な鉤爪を伸ばした炎龍が上昇し、左枠にはそれが下降する意匠が施されている。

 オレは実際に炎龍を目撃したことはない。

 知っていることは、四聖龍の長と呼ばれている聖獣だという情報だけだった。

 四清龍とは、炎龍フレイン、雪龍ビオリス、嶽龍べへモト(ヘビーモス)、嵐龍れビアタンの(リバイアサン)ことを言う。

 オレは、炎龍が今にも動き出しそうな超絶した意匠(デザイン)に心中で賞嘆していた。

 額縁の下枠には、クリスタッルムに祖似した材質で加工された、無色透明な六芒星が、10個並んでいる。

 タブレットは画面が七段に分割されていた。

 その右下隅には背景が緋色で金色の✕印のアイコンが表示されている。

 帰天時のアイコンだ。

 一番下の段には、一属性の術アイコンが六つ並んでいる。

 光のり粒子が中心から拡散している、聖(光)属性のアイコン。

 闇が中心に向かって渦巻いている魔(闇)属性なアイコン。

 緋がメラメラと熾っている、火属性のアイコン。

 風が激しく吹き荒れている、風属性のアイコン。

 土が地震崩れを起こしている、土属性のアイコン。

 水がぽたぽた零れ落ちている、水属性のアイコン。

 この基本属性を基礎として、下から二段目には二属性の合成術、同じく三段目には三属性の合成術、四段目には四属性の合成術、五段目には五属性の合成術、六段目には六属性の合成術のアイコンが表示されている。

 それらのアイコンは、それぞれのアイコンが交互に表示されるものや、燃え熾る光の矢の群れが飛んでいる聖と火の二属性のアイコンのように、独自のものもあった。

 喜びと好奇心が溢れ、リベルを観察するオレだったが、何点か気付いたことがある。

 一つは、遂に水属性を手に入れたが、二属性以上の術に水属性アイコンは全くない。

 オレは直感した。

 今後、水属性の術に習熟しなければならないってことだろうな。

 基礎から研鑽せよってとこか。

 水のアイコンに触れると術一覧が表示され、癒しの優水ノ術、清めの聖水ノ術とあった。

 試しに清めの聖水ノ術術を選択してみた。

 驚いたことに、そこには術式だけじゃなく、その左上部に、何と印と九字が並んでいる。

 更にリベルの下枠の六芒星の一番左が緋色に変わっていた。

 おそらく、この六芒星は熟練度を示しているのかもしれない。

 右下隅の✕アイコンの左隣に△印の、○印のアイコンがあった。

 オレが△アイコンに触れると、一つ前の術選択画面に戻る。

 ○アイコンに擦れると術属性を選択した最初の画面に戻った。

 オレはこのリベルに忍術が含まれていることに気付く。

 聖属性の一覧の中に、聲波ノ術が、聖と魔二属性の術に陰陽分身ノ術があり、魔族性の中に影傀儡ノ術があった。

 その他にも忍術が散見できるのが、オレは嬉しい。

 そもそも、聖術のリベルに、魔属性ーー忍術の陰属性と同じーーが表示されるなんて想像もしていない。国祖ユキムラ公は全ての属性の術を操っていたという。

 そのユキムラ公が緋紫透色のリベルの存在を、幸村部伝に書き遺しているのだからーー。

 このリベルは、全ての術を操るリベルなのではないか?

 オレがもう一つ気付いていることが、その推論を後押ししてくれるだろう。

 このリベルの下から七段目、つまり一番上の段にはアイコンが一つある。

 それは、このリベルの左右に観える炎龍のアイコンだ。

 このことが意味するのは、炎龍を口寄せできるということではないか?

 だとすれば、忍術、聖術、魔術、召喚術が子のリベルで操れることになる。

 が、炎龍のアイコンは、影が覆ったように暗くなっていて、指を触れても反応せずという新たな謎を生んでいた。

 それでもオレは、自分が国祖ユキムラ公と同じく全ての属性を備え、緋紫透色のリベルを呼び出せたことで、至上の歓喜に恍惚としている。

「素晴らしい」神父が漸く言葉をかすれた聲を発する。「然し、ユキア、あなたは一体どうして詠唱もせずリベルを呼び出せたのかね?

 然も、私達が観たこともないリベルを。

 いや、それは私が知らずともよいことだ。

 間違いのない事実、それはユキアが神に愛されているということだからね」

 マグダレナ夫人は「ユキア、あなたは神父様の言われた通り、神の特別な恩寵を授けられたのです」自分のことのように喜んでくれている。

「そうでなければ、誰も見たことのないリベルを、詠唱も無く呼び出せるはずがありませんもの」

 エステルその傍らで、何やら思索に耽っているらしい。

 神父が「何の属性が与えられたのですか?」興味深そうに聞く。

「水属性です」オレは笑顔で「マグダレナ夫人の予言通りでした」

 マグダレナ夫人は、少々得意顔になっている。

 エステルが、ハッ、とした様態で「ユキアの緋色の目と髪と、チュチュの虹彩と体毛が同じ緋色なのは偶然じゃないのよ。きっと」

 呟いたエステルに「ワンッ!」とチュチュが応じる。

「わかった!」エステルが今度は勢いよく一気に話す。「チュチュは、ユキアを探してたんじゃなく待ち続けてたんだわ!

 だって、この子はユキアが詠唱無しでリベルを呼び出せることを、知っていたに違いないから!」

「ワンッ! ワンッ!」チュチュは『そうなの! そうなの!』と言っているようだ。

 尻尾をくるくると回して、喜んでいるとしか思えない。

 でもオレは、聖術、リベルを操ることは、まだ暫くは控えようと決めている。

リベルを呼び出せば新たな術を駆使することができるが、メシア教カットリチェシモの洗礼、堅信、初聖体の秘蹟を授けて頂いたことが、レイやザザに露呈してしまう。

 オレは、自分が父ソウガにされたように、宗教の信仰について絶対に強制したくない。

 今2人はそれぞれの意志で聖書を開いている。

 その結果2人がどう結論を出すか、それがはっきりしてから、今日のことを話そう。

「エステルの言う通り」オレはチュチュの頭を撫で「チュチュはオレのことを、待っていてくれたのかもしれない」

 チュチュはそれが定位置なのか、オレの左肩に乗った。ゆっくり尻尾を揺らし、眠そうに双眼を閉じる。

 オレは『水と聖霊とによって生まれ変わった』ーーヨハネによる福音書第2章5節ーーこの日、4月20日を自らの第二の誕生日とすることを、心魂に堅く誓う。

読んで頂きありがとうございます。

駄作ですが、批評も含め、ご感想を頂けると喜びます!

評価✩✩✩✩✩やブクマをして頂けると更に喜びます!

長い物語ですが、様々な要素で楽しんで頂けるよう努力してます。

これからの物語も是非読んで頂けますように・・・。 m(_ _)m

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