第97話『迷宮の外へ』
緋砂の迷宮で“証”を手に入れたレンたち。
長い試練を終え、いよいよ港町フェルナンドへ戻る時が来た――。
迷宮の出口は、来た時よりも不思議なほど短く感じた。
足元の砂の感触が変わり、やがて暖かな海風が頬を撫でる。
空は広く、潮の匂いが懐かしい。
「……やっと出られた」
リリィが深呼吸し、両腕を大きく伸ばす。
ヴァレッタは黙って港の方角を見やった。
その目は、少しだけ険しい。
港町フェルナンドは、いつもなら活気に満ちているはずだった。
漁船の往来、露店の呼び声、港の酒場の音楽――
しかし今日は、異様なほど静かだ。
「なんだ……この雰囲気」
ガルドが眉をひそめる。
道を歩く人々は、皆どこか急ぎ足で、会話を避けるように目を伏せている。
港の近くまで来た時、知り合いの魚商人が慌てた様子でレンに駆け寄った。
「レン! お前ら無事だったか!」
「どうしたんだ? 町が……変だぞ」
魚商人は声を潜め、周囲を見回す。
「……この数日、港で船が消える事件が続いてるんだ」
「消える?」
「ああ。嵐でも海賊でもない。出航した船が、翌朝には影も形もなくなる」
ザハルが険しい顔になる。
「それで港が封鎖気味ってわけか」
「そうだ……。でもな、昨夜はとうとう“港の真ん中”で船が消えたんだ」
魚商人は怯えた目で港を指差した。
レンたちが視線を向けると――
穏やかな海の一角に、不自然なほど黒い円が浮かんでいる。
波がそこだけ吸い込まれるように消えていく。
「……あれ、何だ」
リリィが青ざめる。
魚商人は震える声で答える。
「誰も近づかない。あそこに近づいた船は、必ず……消える」
ヴァレッタがレンに向き直る。
「証を持って帰ったら港でピザ売って終わり、のはずだったが……どうもそうはいかないようだな」
「……ああ。面倒なことになってる」
その時、港の鐘がけたたましく鳴り響いた。
見張り台の兵士が叫ぶ。
「北の湾から船影! 漂流船だ!」
港に集まる人々がざわめき、レンたちも急いで波止場へ駆け寄る。
海からゆっくりと近づいてくるのは、マストが折れ、帆が裂けた小型船。
船体は煤のように黒く汚れ、甲板には人影がない。
「……無人か?」
ガルドが低く呟いた、その瞬間。
船の影から、黒い水煙がゆらりと立ち上る。
それはまるで生き物のように形を変え、港へと迫ってくる。
レンは無意識にポータブル窯を握りしめた。
また、厄介なことになりそうだ――。
迷宮の試練を終えたはずのレンたちを待っていたのは、港を呑み込む新たな脅威。
それは海と闇が混ざり合った、未知の災厄だった。




