第90話『夜砂の追跡者』
砂漠案内人ザハルを加えた一行は、夜の冷えた砂を踏みしめながら緋砂の迷宮を目指す。
しかし、その背後には――不気味な影が忍び寄っていた。
夜の砂漠は、昼間の灼熱とは別の意味で厳しかった。
月明かりに照らされた砂丘は銀色に輝き、冷たい風が頬を撫でる。
だが、その静けさの奥に、どこかざわつく気配があった。
レンは何度も背後を振り返る。
暗闇の向こう、遠くの砂煙が月明かりにぼんやり浮かんでいる気がする。
「……なぁ、誰かついてきてないか?」
最後尾のガルドも低く答えた。
「気のせいじゃねぇ。馬じゃねぇな……足音が軽すぎる」
ザハルが手を挙げ、隊を止める。
「灯りを消せ。音も立てるな」
全員が息を殺し、駱駝の手綱を抑える。
砂丘の向こうから、微かな影が幾つも浮かび上がった。
人影――だがその動きは異様に速い。
「赤い獅子団……夜襲か」
ヴァレッタの声が低く響く。
ザハルは短く頷き、腰の短剣を抜いた。
「数は八。夜目が利く連中だ。ここで撒かねば追いつかれる」
「撒くって……どこに隠れんの?」
リリィが小声で尋ねる。
「砂漠で隠れる方法は一つ……迷宮の手前にある“夜砂の谷”まで全力で走る」
そう言うや、ザハルは駱駝を蹴り出し、砂丘を駆け下りる。
一行も慌てて後を追った。
砂が舞い上がり、足を取られる。
背後からは不気味な笑い声と、金属が擦れる音が近づいてくる。
やがて、地形が急に変わった。
赤茶色の砂が黒っぽく変わり、風の音が強まる。
「ここが夜砂の谷だ!」
ザハルが叫び、隊を谷底へと導く。
谷は狭く曲がりくねっており、夜目でも先が見えない。
背後で追手の足音が止まった。
「……引いた?」
リリィがささやくが、ザハルは首を横に振る。
「違う。あいつら、この谷を嫌がってるだけだ」
理由を問う前に、遠くで低いうなり声が響いた。
まるで地中から響くような、不気味な唸り。
レンの背筋に冷たいものが走る。
「……これ、何の音だ?」
「夜砂の谷の守り神だと言われてる生き物だ。
迷宮よりこいつの方が危ないかもしれん」
ザハルの声は冗談ではなかった。
赤い獅子団の姿は見えなくなった。
しかしその代わり、谷の奥から月明かりを遮る巨大な影がゆっくりと近づいてくる――。
赤い獅子団を撒いた先で、一行は夜砂の谷の恐怖と向き合うことになる。
追跡者は消えたが、さらに危険な“谷の守り神”が姿を現そうとしていた。




