第79話『月の泉の番人』
星の麦の真価を引き出すため、レンたちは北の山奥にある“月の泉”へ向かう。
しかし、その泉には番人がいて、到達を阻むという――。
山道を進むにつれ、空気がひんやりと変わっていった。
木々は背を高く伸ばし、葉の隙間からこぼれる光は白く淡い。
まるで昼間から月明かりの中を歩いているようだった。
「……変だな」
ガルドが足を止め、耳を澄ます。
鳥の声も、風の音も消えていた。
その時、霧の奥から声が響いた。
「ここから先へ行く者よ、立ち止まれ」
霧が揺れ、姿を現したのは、銀色の髪を持つ長身の老人だった。
背には長い杖を背負い、瞳は湖面のように深く静かだ。
「私はこの泉の番人。
月の泉を求める者には、試練を与える」
ヴァレッタが前に出る。
「戦うつもりか?」
老人は首を横に振った。
「剣も魔法も要らぬ。必要なのは、己の心を知ることだ」
そう言うと、老人は手をかざし、レンたち一人ひとりの胸に淡い光を放った。
次の瞬間――足元の地面が揺らぎ、視界が暗転する。
レンの前に広がったのは、懐かしい街の風景。
学生時代、バイト先のピザ屋の厨房。
――だが、そこにいるはずの仲間も店長もいない。
静まり返った厨房で、彼は一人きりだった。
「お前は、本当に一人で歩めるのか」
老人の声が頭の中に響く。
「仲間がいなくても、自分を信じて進めるのか」
レンは深く息を吸い、オーブンの扉を開いた。
そこには、まだ焼けきらない半生のピザが一枚。
「……やるしかない」
彼は一人で生地を回し、具を乗せ、再び焼き直した。
香ばしい匂いが広がると、暗かった厨房に光が差し込み、仲間たちの笑い声が戻ってきた。
気づくと、レンは山道に立っていた。
他の仲間たちも、それぞれの“心の試練”を終えて戻ってきていた。
ヴァレッタの額には汗がにじみ、ガルドは無言で握り拳を作っている。
番人は微笑み、道を開いた。
「試練は通った。月の泉は、この先だ」
霧が晴れ、木々の間から白銀の光が差し込む。
そこに広がっていたのは、月をそのまま閉じ込めたかのような泉だった。
水面には満月の模様が揺れ、波紋が金色にきらめいている。
レンは袋から星の麦を取り出し、泉にそっと浸した。
すると麦は柔らかく光を放ち、殻が自然とほどけていく――。
月の泉の試練を越え、ついに星の麦が本来の姿を現した。
次は、この麦を使った最高のピザ作りが始まる――。




