十八話「二千兆を前にした農家の俺にできること」
「二千兆か……」
誰もが一度は夢見る大金。だが今の俺たちにとっては、希望でも浪漫でもなく、ただただ絶望を突きつける数字でしかなかった。
半ば放心しながらつぶやきつつ、俺たちは目の前で苦しむルミエールを見つめる。
俺には専門知識なんてないが、それでも彼女の命がかかっている状況なのくらい分かる。
心の底から助けてやりたい。だが――問題はやはり金。
「……十七本。回復花の亜種を売れば、それで二千兆か」
「なんかサラッと言ったけど、十七本って……焼き鳥の串の本数じゃないんだぞ?」
カムイがジト目で突っ込んでくる。
「まぁ、そうだな。というか一本でも超希少品なのに、そんな大量に市場に出したら……」
「確実に出どころを探られるな。森の国が怪しまれる」
「つまり俺が悪者になるってことか」
「うん」
即答である。俺の心、またしても粉砕。
「ならいっそ十七本まとめてエルセレナ王国に売っちゃえばよくね? あいつら研究したいって言ってたし、Win-Winってやつだろ」
「お前……やっぱりバカか?」
カムイの一言はナイフより鋭く、ガラス細工のように繊細な俺の心は木端微塵になった。
「ほら! バカのガラス片が床に散らばってるぞ!」
「やかましいわ!!」
それでも、彼の指摘は正しい。エルセレナは九割方栽培に成功するって豪語してた。そんな奴らが十七本も買うはずがない。
「それにな……もし森の国が栽培できると知られたら」
「知られたら?」
「レントのやることなすこと全部を”余計なこと”扱いして、消しに来るだろうな」
「さすがに言いすぎだろ!」
「冗談だって」
カムイは笑ったが、その目は全然笑ってなかった。
冗談に聞こえないのが一番怖い。
バロズも腕を組み、深くうなずく。
「となると、一つすでにまずいことがあります」
「なにが?」
「先ほどの男、ウィスリーフ。彼は研究所の最高責任者格でしょう。もし彼が、”レント様とフェルウィン様が接触していた”と報告していたら――」
「俺が栽培を依頼される未来を、国ぐるみで予防線張ってくるかもな」
あの冷たい目つきを思い出す。あいつ、間違いなく本気だ。
「……まぁ、でも俺はまだそんなに有名じゃないだろ。顔もそんなに知られてないし」
「うん、確かに。モブ顔だもんな」
「失礼な!!」
ほんの少しだけ和んだが、焦りが消えるわけじゃない。
どう考えても、連中は血眼でこちらを探してくるだろう。
「今日は泊っていく? 空き部屋ならあるわよ」
日も落ち、外に宿を探しに行こうとした俺たちに、フェルウィンが声をかけてくれた。
優しさを見せつつ、鍵束をジャラジャラと見せつけてくる。
「ありがたいけど、さすがに悪いよ。ほら、営業妨害しちゃったし」
「そうそう、俺たち外で寝ても――」
ギロリッッ!!!!!!!!
一瞬で空気が変わった。
外に出た瞬間、通行人たちの冷たい視線が降り注ぐ。
……そう、俺じゃない。バロズだ。
「ごめんなさい泊まりますお願いします!!!!」
残像すら置き去りにした速さで店に戻ったバロズが、流れるように土下座した。
その流れる動きは美しく、空中で一回転して手のひらと額で完璧な着地。もはや芸術。
「え、ちょ、バロズ!? 土下座芸人だったの!?」
「命が惜しければ一緒に頭を下げてください!」
まぁ確かに、今の状況では借りれる宿もないだろうな。
気づけば俺もカムイも同時に土下座していた。
フェルウィンは笑顔で了承してくれたが、その笑顔が一瞬「女神」に見えたのは気のせいじゃない。
しかも夕飯から風呂、寝床まで全部用意してくれる神待遇。
俺たち三人の頭は、感謝の重みで床に刺さって抜けなくなりそうだった。
夜も更け、布団の中。
「なぁバロズ。魔族も魔制病になるのか?」
布団に潜り込んでいたバロズが、顔だけひょっこり出して答えた。
「私の知る限りでは、魔族では聞いたことがありません」
「え、意外」
俺とカムイは顔を見合わせた。
エルフやドラゴンのように魔力適性が高い種族ほど発症しやすいと聞いていたから、てっきり魔族もその対象かと思っていたのに。
「理由は分かりません。ですが……昔、魔王がこう言っていました。”貴様らは生物であって生物ではない”と」
「なんだそれ……哲学?」
さっぱり分からん。けど何か意味があるんだろうか。
「じゃあ魔族は……もしかして食べ物とか食わなくても生きていけるのか?」
「え? いけませんよ。三食しっかり食べます」
「じゃあトイレは?」
「……聞くな」
布団の中で俺たちは小声で笑いあった。
だが同時に、その魔王の言葉が頭に引っかかり続けていた。
――生物であって、生物ではない。
それは魔族が魔制病を発症しない理由に、つながるのだろうか。