3、白狼を治療する
魔道具商店の外観は、一見すると古びた屋敷のような佇まいだった。
地方のマルミーレ領にはこのような商店は珍しく、おのぼりさん丸出しでコメットは感嘆の声を上げた。
「すごい…立派なお店ですね」
「ああ。歴史のある店だ。今の店主で5代目と言ってたかな。歴史ある魔道具から、今風のものまでそろっていて……夢のような場所だよここはほんとに」
ふへへ、と今までのキリっとした顔とはかけ離れた蕩けた表情で、ジジが店を見つめる。
(本当にあの、冷徹王子? 全然、優しくてオタクで、いい人じゃない)
商店は石畳の道から少し奥まった場所に位置しており、周りの建物と比べるとひときわ目立つ。外壁は年月を重ねた石で築かれており、その表面は所々苔が生えているが、それが逆に神秘的な雰囲気を醸し出している。商店の看板には「王都魔道具商店」と金色の文字が書かれ、少し古びた木製の看板が風に揺れている。入口には、重厚感のある木製のドアがあり、扉の上部には奇妙な形の鉄製の装飾が施されている。
店内に足を踏み入れると、まず感じるのはその香りだ。湿った木の匂いと、微かに漂うお香の香りが混じり合っている。嫌いじゃない匂いで、コメットは思わず深呼吸した。
隣ではジジも「スーハ―スーーーーハーーーッ」と、少しでもたくさん魔道具の香りを吸い込もうと深呼吸していた。
「この匂いがたまらない!! コメットも流石、わかる側の人みたいでうれしいよ」
王子の魔道具オタクっぷりにまだ慣れないコメットは、「わかる、かもです!」ととっさに返答した。
(王子、お顔がお綺麗だから、何をしても絵になるわね……)
天井は高く、暗く厚い梁が張り巡らされており、その上に吊るされた古びたランプがぼんやりと光を放っている。店内は薄暗く、所々に目を引く魔道具が棚に並べられている。棚の上には、透明の魔法の水晶、複雑な歯車が組み込まれた小さな装置、そして奇妙な形をした杖や小箱が整然と並んでいる。各々がまるで生きているかのように、わずかな振動や光を放っているものもあれば、長い年月を経て錆びついたものもある。
床には、いくつかの長い絨毯が敷かれており、店内の一部には奇妙な模様が刻まれている。それは、魔道具の動力源や使い方に関する符号のようにも見える。壁には細かな引き出しが無数に並んでおり、その中にはさらに小さな道具や石、魔法の粉末が隠されている。カウンターの奥には、商店の店主・モルガが座っており、仕事をしている様子だ。彼の背後には、鉄製の扉があり、それが閉ざされていることから、何か重要なものが保管されていることがうかがえる。店内の空気は独特な雰囲気に、コメットは思わずゴクリと唾をのんだ。
ジジとコメットは商店の奥へ進み、周囲の目を引く魔道具たちに目を奪われつつも、彼はその奥で一際異様な光景を目にした。商店の端、棚と棚の隙間にひっそりと横たわる、ひときわ目立つ白い生き物の姿があった。
それは、傷だらけの白狼だった。
包帯には血が滲み、治療が順調ではないことがわかる。コメットは一歩、足を踏み出した。白狼の体はかすかに震えており、その目は痛々しさを漂わせ、口元には血の跡が残っている。白狼は、コメットに気づいたのか、かすかに顔を上げたが、その動きはどこか弱々しく、息が荒く、体を支える力も失いつつあった。ジジの瞳が一瞬で鋭くなる。ジジは目を細めながら、店主に問いかけた。
「これは…一体、どうしたんだ?モルガ」
その問いかけに主人のモルガは作業の手を止めた。モルガは無言で立ち上がり、ジジの近くに歩み寄ると、口を開いた。
「これは…先日、街外れで死にかけていた狼だ。傷を負っていて、動けないところを見つけた。ただの獣じゃない。王子のお前にゃわかると思うが」
モルガは、しゃがんでいるコメットのことを珍しそうに一瞥した。ジジが誰かとここに来ることは初めてだった。コメットは狼の目をじっと見つめた。その目にはただの恐怖や痛みだけでなく、何か計り知れない深い知恵のようなものが宿っているように感じられた。
「聖獣だ。ただの狼ではなく、白狼。もう個体も少ないと聞くが、モルガが保護してくれたのか。ありがとう」
「当然のことをしただけだ。こんな絶滅危惧種……。王宮にも連絡したんだ。保護しろってね。でも、聖女は動物なんぞを治さないって、治療は断られた。近所の獣医に見せたが、これが限界らしい。そいつはじきに死ぬだろう。その隙間が安心するらしいから、ミルクだけ与えて、好きにさせてやってるのさ」
「グルルル」
白狼は弱弱しくも、抗うように細く鳴いた。
ジジはモルガの視線を受け、しばらく沈黙していた。その顔には無言の苦悩が浮かんでおり、やがて彼は重い足取りで白狼の元へと歩み寄った。コメットは後ろに下がり、両手をぎゅっと握った。傷だらけの白狼を見おろすと、白狼の目に深い悲しみと無力感が浮かんだ。その手は、無意識のうちに白狼の毛を優しく撫でていたが、白狼はそれに応えることもなく、ただ目を閉じて静かに震えている。
「聖女は人間しか治さないんだとよ」
モルガは、低く呟くように言った。彼の声は、怒りでもなく、恐れでもなく、ただ悲しみに満ちていた。ジジはその言葉に反応しなかった。モルガの目は遠くを見つめており、彼の内面の痛みが言葉に現れていた。
「ミルクも受け付けなくなってきてる。あと数日の命だろう……」モルガの声は、どこか冷たく響いたが、その目には深い悲しみが浮かんでいた。「人間たちのエゴで、こうなってしまった」
コメットは驚いたようにモルガを見つめる。「人間たちのエゴ……?」
モルガはゆっくりと頷き、目を伏せた。「そうだ。かつて、白狼は自然の中で静かに生きていた。しかし、近年、人間たちはどんどんその生息地を奪い、彼らの存在を脅かすようになった。狩りの対象として、あるいは迷信や恐怖心から、白狼を滅ぼしにかかったんだ」モルガは白狼から目をそらし、静かに語り続けた。「こいつらは、ただ生きているだけなのに……人間たちの都合で命を奪われ、追い詰められていく。残念ながら、もう何年も前から、このような悲劇が繰り返されている」
ジジは拳を握りしめ、唇を噛み締めた。
「…すまない、モルガ」
「俺に謝ったって、何にもなんねえよ。嬢ちゃんはツレか?珍しいな。まあ、ゆっくり見てけよ。あわよくばいっぱい買ってくれ」
そう言ってモルガは仕事場へ戻ろうとするところ、ジジは追いかけた。
「今日は買い物じゃなくて、相談がある。『対の鏡』が現れた。モルガにも見てほしい。あと、これは、相談料で」
ジジが布に包まれた鏡と、菓子折りの入った紙袋を差し出した。
「『対の鏡』だと? 嘘こけ。そんなもん本の中しか存在しねえだろ。菓子もいつもありがとな。……まったく、商品買ってくれるだけで十分だって言ってるのによ」
甘党のモルガは、お菓子のほうに喜んでいるようだった。
1人、白狼の前に残されたコメットは、膝を床につけ、白狼の目を見つめた。
(人間のエゴ――そんなものでこの子は、傷だらけになっているの?)
両手を身体の前で組み祈り始めた。
「どうか、この子の傷が治りますように――」
すると、コメットの両手の中から突然ポーションの入った小瓶が現れた。すぐさま小瓶の蓋を開けたコメット。中身の液体が勢いにより揺れている。そのまま横たわった白狼の口に液体を入れようとするが、口を固く閉じた白狼の大きな牙が邪魔をしてうまく飲ませられない。
(お願い…口を開けて!生き延びるために、飲むのよ!)
ダメだ、白狼の力が強すぎて、コメットでは飲ませることができない。そこへ、ジジが戻ってきた。
「何をしてるんだ……アッ!! まさか、うそだろ、それ……コメット……『万能の小瓶』じゃないのかい!?ほかにもミラクル級の魔道具を持ってたのか!まさか、実在したとは……」
また王子のオタクな一面が暴れだしたが、それどころではないコメットは、飲ませるのを手伝ってほしいと伝えた。もちろんだ、と白狼の口に手をやるジジ。
正直、コメットは少し意外に思った。すごく貴重なものだというなら、ふつうは使うのはもったいないと思うのが自然だろうに、ためらいなく目の前の怪我を治そうと考えてくれた。優しい人なんだろうな、とコメットはジジに心を許した。
牙が手に当たるのを厭わずに、ジジは白狼の口を両手で開けた。コメットはジジの顔を一瞥し、ありがたいという目くばせして小瓶の中身を白狼に全て飲ませることに成功した。
グガァ……と白狼はあくびをするような動きを見せ、そのままスヤスヤと鼻息を立てながら気持ちよさそうに眠り始めた。
「よかった…助かったみたい」
「ありがとうコメット」
ジジはコメットに微笑みかける。少しボサっとした黒髪に、綺麗な二重、割と中性的な顔立ちが美しく、コメットは不意にときめいた。
「おいお茶煎れたぞー。せっかくなら飲んでけ」モルガが2人を呼びに来ると、さっきまでヨロヨロだった白狼がその辺を駆け回っており、「どういうこと?」と戸惑っていた。