第17ー2話 ランプ
ふっと目が覚めたように、雫の思考が晴れる。
暫くの間、意識が飛んでいたようだが。
「先輩、みんなは?」
「――あっ、うん。少し前にみんな校舎の中に入っていったかな?校庭にはもう誰も居ないよ。でもここから出て行っても邪魔になるだけだし、どうしよ……」
先程まで先輩風を吹かせて、落ち着いた態度を装っていたが、東風谷は慌てながら素を晒していた。
暫しの沈黙、お互いに押し黙ってしまう。
「……あいつ以外が無事なら、後で迎えに来てくれるはずだから……もう少し待ってみようか」
「そう、ですね……もう少し待って、みましょうか……」
それから幾許かの時間が流れる。
初めはお互いに話をしていたが、なかなから来ない迎えに不安だけが募ってゆき、最終的には黙って座るだけの2人が出来上がっていた。
「先生達、なかなか来ないね……」
「そう、ですね……」
沈黙に耐えかねた東風谷がポツリと呟く。
「このまま、誰も、来なかったら、どうすれば……」
「大丈夫だよ!ちゃんと来るって!それまで……」
東風谷とて信じたい、だが心の底からそう思えず、言葉を萎れさせてしまう。
「先輩、助けに、行きませんか?」
「――えっ?」
雫の口から溢れる予想外の言葉。
東風谷も一瞬何のことかと思い、返事が遅れる。
「私、伊緒くんを助けたい、です!」
「そっか……そうだよね!そうなんだよね!行こうか!」
雫の一言に流されるように東風谷は結論を出し、今すぐに飛び出しそうな勢いで立ち上がる。
「先輩!……ぇっと、このままじゃ、ちょっと、心許ないです、から、何か、武器を持った方が、いいんじゃない、ですか?」
「そっ、そうだね!何かないかな!武器になりそうなもの、武器武器……」
雫の建設的な意見により、2人は職員室をうろうろと歩き回り、武器になりそうな物を探す。
「あれは……」
雫はふと周りを見ると、来客用の湯飲みなどが置かれた食器棚が目に入り、引き出しや戸棚を開けてみる。
「先輩、これ、一応持って行きますか?」
そう問いかける雫の手には果物ナイフが握られていた。恐らく貰い物の果物等を切り分ける為のものだろう。
「護身用にはなりそうだね、野口さんが持っていていいよ。私はこれ持ってくから」
そう言い手に持った木の棒を見せてくる。
それは職員室に置かれていた不審者が侵入した際にしようす杖警杖と呼ばれる樫の木で作られた、正しく”棍棒”と呼ぶに相応しいものだった。
長さは120センチメートル程、太さは3センチメートル程の円柱の棒である。突く、叩く等することができ、警察には警杖術なる武道も存在する。
東風谷がそんなことを知る由もないが、素人目に見ても間合いが取れる長い棒であり、重さと長さも取り扱えないものでは無い。
「わ、私が包丁で、いいんですか……?と言うか、包丁を、持ってるだけでも、怖いんですけど……」
「あぁ……まあそうだよね。ほらあれだよ、護身用!いざって時のためのもの!別に野口さんに人を刺してもらおうなんて思ってないからさ?」
「は、はい……分かり、ました……」
「こんな事になっちゃったからね……何とか自分の身は守らないとね……」
雫は頷きながら果物ナイフの刃をプラスチック製のケースに仕舞い、ポケットに入れようとして止まる。
刃は出ていないとは言え、包丁をポケットに入れる持ち歩くのは何となく気が引ける。だが、どうやって持ち歩こうかと包丁を握った手を上に下にと泳がせる。
「ん?何してんの?」
「え、あ!いや、これは……どうやって、持っていこうかと……」
恥ずかしさに俯いてしまう雫。
「手で持っていれば大丈夫じゃない?いざって時にすぐ使えるようにさ」
東風谷がそく答える。
両手で包丁の刃を隠すように握り、漸く落ち着く雫の両腕。
「じゃあ、行ってみようか?」
「――はい」
2人がなけなしの勇気を振り絞り、職員室の扉へと向かって歩き出し、扉に手をかける。
『あ゙、あ゙、ごれでいいんが?ま゛あ゛いいや。お゛い゛、隠れでる奴ら、出でごい。3人はいるだろ?屋上までごい。でないど、1人ずづ、殺ず』
突如入った校内放送。
喋っていたのは妙に掠れた声の男。恐らく工藤だろう。
つい先程まで光や仁代兄妹と戦闘を繰り広げていたはずだが、何が起きたのか工藤が自由に喋っていた。
「今のは、あいつの声!?何で!!」
「伊緒くん……」
まったく訳の分からない状況だが、行くしかないようだ。
工藤は、はっきりと
――1人ずつ殺す――
そう宣ったのだ。
そうするだけの状況になってしまっているのだろう。でなければ、光達に制圧されているはずだ。
「先輩……行かないと……伊緒くんが……」
「そう、だね……」
積極的に進もうとした状況から、消極的に行かねばならない状況に変化してしまった。
焦り、迷い、恐怖、が東風谷の身体を縛る。
「――先輩?」
「……はぁ……ごめん……大丈夫、行かないと、だね」
ゆっくりと職員室の扉を開け、廊下の様子を伺う。
しんと静まり返った廊下。
廊下の空間まで侵食している霊樹とそこから吐き出される翠色の霊子の光だけがフワフワと漂っているだけの空間。
東風谷は恐る恐る一歩を踏み出す。その背中にくっついて雫が後に続く。
「先輩……大丈夫ですか……?」
「多分……何にも聞こえないよね……」
まだ数歩も歩いていないのに、既に恐怖で足が止まりかけている。
行かねばならないと思う心と、逃げたいと歩みを拒否する本能がせめぎ合う。
抗い難い心の奥底からの悲鳴が東風谷の足を縛る。
「先輩、行きましょう」
「……おぉう、よし!行くか!」
それでも雫は前に進もうとする、それは己の願いか欲望のためか。
雫の勢いに押されて東風谷も覚悟を決める。
(……でも……私達2人が行ってどうにかなるのかな……)
現状、2人に何かできることがあるのだろうかと東風谷は逡巡するが、行かねば好転しない事も明白。
東風谷はゆっくりた歩みを進める。
(……うぅ……怖い……)
だが、勇んで廊下に出たものの、過剰に周囲の状況に確認して遅々として進まない東風谷。
「先輩、もうちょっと、早く、行きませんか?」
「ごめん……これが限界……」
覚悟は決めたが、未だ腰が引けてへっぴり腰で周囲を警戒しながら進む東風谷。時間をかけながらも、2人は屋上へと続く2階の階段まで辿り着く。
「やっとここまで来た……」
「このまま、登って行けば、伊緒くんたちの所に……」
東風谷は階段を一歩一歩確かめながら確実に登っていく。その後ろで、雫が手にした果物ナイフを改めて握り直していた。
(伊緒くん……今、行くから……)
状況は分からない筈だが、雫の中では伊緒を助ける事になっているようだ。
雫の決意に気が付くことなく、東風谷は雫に話しかける。
「野口さん……屋上がどんな状態か分からないけど、私たちができる事なんてたかが知れてると思うんだよね。だから、優先順位を決めておこう」
「優先順位、ですか?」
「そう、多分、今屋上では何か非常事態が起こってると思うんだよね。誰かが怪我をしているかもしれないし、みんな居るとも限らない」
「先輩……そんな事は……」
雫があり得ないと断言できない事に、自身で気が付いて口を閉ざす。
「うん、私もそんな事考えたくない。でも、あの放送があったからには何かが起きてる。だから、私達がやるべき事をしっかり確認しといた方がいいと思うんだよね。まずは自分の命が優先。危なくなったら逃げるんだよ?」
「はい……」
「それから怪我人がいるなら救助。でも私達だけじゃできないかもしれないから、できそうな人を助ける!」
「できそうな人、ですか……」
雫の頭の中にすぐに浮かんだのは伊緒の顔、そして真理や光、西風舘の姿が浮かぶ。
「多分、野口さんが思い浮かべた人は、私と変わらないと思うけど、誰がどうなってるか分からないからね……」
「どうなってるか……」
東風谷の言葉に、最悪の事態が雫の脳裏を過ぎる。
それでも、その不安をかき消すように首を振る。
「考えたくない気持ちはよく分かるよ……私だって、そんなこと考えたくなし……それでも……ごめんね、不安にさせるような事言っちゃって。でも最悪を想定して覚悟をしておかないと、何かあった時に動けないから……」
「そう、ですね……分かり、ました」
人は、己の想定を超えた事態に直面した時、思考を放棄してしまうことがある。
それは、脳の処理が追いつかないのか、或いは自身を守ろうとする防衛本能なのか。
想像しておくこと、備えておくことは、己の身を守るためにも重要な事なのだ。
「いい、最優先は自分の身の安全。次にみんなの安全確保。間違っても飛び出したりしないでね?」
「はい……」
2人は階段を登り切り、屋上へと続く扉の前までやってくる。
「準備はいい?いくよ、野口さん」
「はい!」
震える手で扉のノブを掴み、捻る。
重い金属音が響かせながら、ゆっくりと扉を開け、そっと外を覗く。
「い゛よ゛ぉ、待っでだぜぇ?お゛二人ざん。イ゛ヒッ!」
2人はなけなしの勇気を振り絞る。
希望を落とさぬために。
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