第11ー1話 曇天
白い雲が浮かぶ青空。
少し霞掛かった春の空よりも、夏の青さと言った方がしっくりくる五月晴れ。
暑い日差しとは裏腹に、一度日差しが雲に遮られれば心地よい風が吹き抜ける季節。
今年も梅雨入り前から暑くなる予報が出ているが、まだ埼玉の夏はこんなものではないと言える気温だ。
そんなよく晴れた5月のある日、加茂は教室の中で絶叫していた。
そしてその様子を、うれしそうに見やる男。
男は軽薄そうな口調で呟く。
「決めた、お兄さんを使うことにしよう。そうすれば、もっと、いい感じになりそうだし」
男は誰に対してでもなく呟くと、右手を前に掲げる。男の手の先に魔法陣の様なものが空中に浮かび上がる。
賀茂は最早言葉にすらなっていない叫び声を上げていた。
自身が何を叫んでいるのか、何に激怒しているのかも分からない。
制御できない感情の激流の中で、薄らと保たれた自我がその光景を認識する。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛(……何が……起きて……) あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛(あいつは……)」
ズドンと窓の外で鈍い轟音が響く。
「ん?何だろうねぇ?」
男が轟音に気を取られ、賀茂から視線が外れる。
「っく、はっ……はっ……はぁ……はぁ……」
突然思考の制御を取り戻した賀茂はすぐさま絶叫を止め、膝を付いて息を整える。
長いこと息を吸うことも儘ならない状況から漸く抜け出し、肺に空気を送り込んで全身と脳へ酸素を送り込む。
立ち上がる事はまだ叶わない。
荒い呼吸を何とか整える事で精一杯な状況だが、賀茂の目線は目の前の男を捉え続けている。
「あぁ、これはうっかり、折角いい所だったのに中断させちゃったねぇ。向こうも何だか面白そうな事になっているみたいで、気になるけど……今はお兄ぃさんの方が気になるなぁ。ここじゃちょっと煩いから一緒に移動しようか」
男は再度右手を身体の前に突き出す。
「私を……何処に……連れて……行くって……」
賀茂がどうにか立ちあがろうとした時、自身の足元がペりぺりと崩れ落ちている事に気が付いた。
今し方まで教室の床だった場所が崩れ落ち、灰色の世界が顔を覗かせている。何もない、曇天のような世界。
「何だ……これは……」
一瞬の思考停止。本来の賀茂であれば素早く立って回避したであろう、或いは立ち上がれずとも転がりながらでも避けたであろう。
しかし、賀茂は動けなかった。見てしまった。見惚れてしまったのだ。
その世界が美しいと。
「気に入ってくれたみたいだねぇ、じゃあ行こうか」
「なっ!待て!」
賀茂の身体スルリと曇天の世界へと落ちていく。賀茂に足掻く暇も与えず、全身を呑み込む。
それを追いかけるように男も自身の足元に曇天の世界への入り口を開き、その中へと沈んでいく。
「楽しみだねぇ」
教室に残されたのは、霊樹と舞い踊る霊子だけだった。
◇◇◇
その空間は不思議な世界だった。
上下左右も無く、体はふわふわと浮いている。
景色はひたすらに灰色だ。
一色の灰色ではない、白に近い灰色から黒に近いものまで、様々な濃淡の灰色が織りなす世界。
(雲の中のような世界だ)
息を整え落ち着きを取り戻した賀茂。
そんな世界に投げ出されながらも意外と不安に思う心はなく、寧ろ心地よさすら感じていた。
(白でも黒でもない世界……灰色が織りなす世界……まるで私が見ていた世界そのもの……これは、私の見ている何時もの世界)
「気に入ってくれたみたいだねぇ、お兄ぃさん」
いつの間にか男が現れ、賀茂に声かける。
「……ここは何処だ?お前は何者だ?」
「ふふっ、怖い怖い。この世界を心地いいと感じて、今の状況でそれだけの怒気を纏えるんだから、やっぱりお兄ぃさんはいいねぇ」
賀茂が男を睨みつけながら語気鋭く詰問する。
男はそんな賀茂の言葉をヘラヘラと受け流し、愉快そうに賀茂を眺めている。
「その“お兄さん”というのはやめてくれ、私はそんな歳ではないし賀茂実道と言う名前もある。君も名前くらい名乗ったらどうだ」
「あぁ失礼、まだ名乗ってなかったね。僕はネイロン、よろしくね実道。ふふっ、それにしてもまずはそこなんだ。まあ僕からしたら君等は皆ん“お兄ぃさん”“お姉ぇさん”なんだけどね」
ネイロンと名乗った男は愉快そうに目を細める。
(……状況が掴めないまま相手を刺激するわけにはいかないな……会話は可能なようだし、まずは相手から情報を引き出す)
賀茂はいきなり名前で呼ばれたことにムッとしながらも、このネイロンと名乗った男が何か現状に繋がる情報を持っているのではないかと睨み、会話を続けることにする。
「それで、貴方は何者なんだ?ここは何処なんだ?」
「僕のこともネイロンって呼んで欲しいなぁ。まぁ僕は頼まれてね、世界を確認して回ってただけだよ。あとここは僕の世界だよ、実道も気に入ったみたいだし、よかったよぉ」
「頼まれたと言うのは、誰にだ?」
「あいつだよぉ……まったく、僕たちのこと嫌ってるくせに、こういう時は人使いが荒いんだ、それにね――」
ネイロンが“あいつ”とやらの不満を次々に口にしていく。
(よく喋る……もう少し突っ込んで聞いてみても大丈夫か?それよりもここから脱出する方向に誘導すべきか……)
「――でさぁ、あいつ「世界を在るべき姿に還す」とか言いって神罰術式を発動させたのはいいんだけど「完璧じゃないから見てこい」とか言い出してねぇ、ほんとめんどくさいよねぇ」
「神罰……術式……あの時の声が言っていた、あれか……」
「おっ、実道も興味ある?あるよねぇ、僕も興味あるよぉ。実道、君何で生きているの?」
ネイロンの雰囲気がすっと変わる。
先程までのヘラヘラとした雰囲気から一転、捕食者の顔に変貌する。
「……こっちが、聞きたいくらい、だな」
「――そっかぁ、そうだよねぇ。まぁその辺はあいつが調べるでしょ。それなりに生き残りもいるみたいだし。それよりもぉ、実道ぃ、この世界について知りたくないかい?君なら理解できると思うんだよねぇ」
ネイロンはその場から動くことができない賀茂にスッと近付き、悪魔のような囁いた。
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