第10ー2話 遠雷
◇◇◇
職員室を出た賀茂は連絡通路を通り、北側校舎を目指して歩き始める。
(とりあえず1階から見ていくか……本当になんなんだこれは……)
未だその疑問に答えられるものは居らず、考えるだけ無駄だとは分かっている。
それでも疑問は浮かんでは消え、消えては浮かび上がる。
「ここは……2年1組か……」
加茂が今確認しているは、2年生の教室がある北側校舎の1階。
「相川がいるはずのクラスか……」
2年1組には加茂が受け持っている空手部に所属している生徒がいるはずだった。
教室の扉を開け、中を確認する。教室内は霊樹と霊子で埋め尽くされており、見渡すことができない。
ゆっくりと教室内に入り、加茂はあるものを目にする。
「梅田先生……」
霊樹と化して教壇に根差している同僚を見て、改めてこの世界に何かが起きている実感する。
しかし今はやらねばならない職務があることを思い出し、加茂は廊下側から1人1人ずつ生徒を確認していく。
そしてある霊樹の前で加茂の足が止まる。
「チッ……」
普段であれば漏れることない苛立ちが、舌打ちとなって現れる。職場ではいつも冷静沈着で、何者にも動じない教師を維持しているが、内情はそうはいかない。
湧き上がる負の感情を押し留め、漏れ出ないようにしているだけである。
それが今、決壊し始めていた。
「相川さん……」
「必勝祈願」と書かれたお守りが付いた、見覚えのあるカバンが机にかけられていた。
空手部でも数人しかいない女子部員のうちの1人であり、部を明るくしてくれる生徒の変わり果てた姿がそこにあった。
「何なんだよ!」
度重なる異常事態。
何より変わらぬ日常を愛する加茂にとって、これ以上に無い程の非日常に塗りつぶされた世界。
「クソ!クソ!クソッ!!」
加茂の苛立ちが募っていく。本人も気付かぬうちに、ジワリジワリと滲み出た澱が溜まっていくように。
それでもまだ、教師としての職務を全うしようとする想いが滲み出る感情を押し留めている。
その想いだけで教室を1つずつ確認していく。
「クソが……みんな木になってやがる……」
1階の教室を確認し終えた時点で、生存者を発見することはできなかった。
皆一様に霊樹と化してしまい、翠色の霊子の粒を吐き出しているだけであった。
「……」
すり減らされていく心。
積もる澱。
「……ちっ!」
普段ならば、何とか折り合いをつけていた感情が賀茂の制御を離れていく。
感情を溢しながら2階の教室を確認していく加茂。苛立ちを多分に含んだ足音が誰も居ない廊下に響き渡る。
ガラリと乱暴に教室の扉を開け、教室内を見て回る。散乱する教科書やノート、奇妙に制服を着た霊樹、立ち昇る霊子。
世界が壊れたと示す証左。
ピシリと加茂の心にヒビが入る。
――壊れた――
苛立ちを目に宿し、それでも職務を全うしていく。
――世界が壊された――
身体は無意識に動き、霊樹を掻き分け、生存者が居ないか探し回る。
――日常が……つまらない、くだらない、必死に世界に合わせやっていた俺の日常が――
霊樹を掻き分ける手が生徒だった枝を握り、メキメキと握りつぶす。
そんな己の変化に気付く余裕は無く、何かに突き動かされるように次の教室へと足を速める。
ダンッと勢いよく開けられた教室の扉が、打ち付けられて軋む。
目の前に広がるのは、ここまで何度も見てきた光景。
「――!根岸ッ!」
教壇にもたれる様に生えている霊樹が1本。
今日はまだ5月なのに気温も上がり、朝から暑いはずなのにスーツの上着を脱がないで教壇に立っていた男性教諭。
「何で……お前まで……」
生真面目なその教諭は、まだ新任で配属されてから3年目の根岸であった。
根岸と加茂は隣の席であり、加茂は新任の頃から根岸の指導を行っていた。
手のかからない優秀な後輩であり、よく加茂を頼ってくれていた。
そんな後輩を加茂も掛け値なしに可愛がっており、私生活でまともに人付き合いをしない賀茂にしては珍しく仲の良かった後輩である。
賀茂の口から溢れるのは悲壮か、絶望か。
「何で!お前が!!」
否、それは怒り。
根岸が霊樹に変わってしまったことに対するものなのか、己だけが生き残ったことにに対するものなのか、或いはそうさせた世界に向けてなのか。
加茂自身も区別はついていないだろう。だが漏れ出ていた怒りは、今や堰を切って濁流となり、流れ出す。
澄んでいた水が濁る様に、澄み渡った青空に雷雲が立ち込める様に。
沸騰するかの如く、身体の奥底から絶え間なく湧き上がってくる感情。
「クソがッ!」
右手を強く握り込んで振り上げる。
加茂が怒りに身を任せようとした、その時。
「おにぃさん、いい”怒り”持ってるねぇ」
今まで誰も居なかった教室内に、突如として声が響いた。
加茂はすぐさまに身を翻し、教室の出入り口付近まで後退する。
そして左拳を前に突き出し、右手はやや引き気味に構えて臨戦態勢をとる。
「……」
そして軽薄そうな声の主を確かめる。
そこには金髪の長い髪をなびかせた痩身の男が霊樹に腰掛けていた。
黒いコートのような服、よく見ると翠色の紋様が浮かんでいる。
軽薄な笑みを湛える瞳は翠色。まるでこの世界の惨状を写し取ったかのような色をしている。
そして感じる圧倒的な存在感。軽薄な見た目とは裏腹に、賀茂は構えを解くことも、近付くこともできない。
「……何者だ、いつからここに入ってきた」
賀茂は先程までの怒りは二の次にして、目の前の不審者に集中するように頭を切り替える。
まだ、それだけの理性はある。むしろこの男が引き戻してくれたと言っても過言ではない。
「さっきから居たよ?お兄さんが気が付いてなかっただけでしょ。それよりもぉ、さっきの心地いい怒りはもうお終いかい?折っ角これから楽しくなる所だったのになぁ」
「何が……楽しいだと?」
一挙手一投足が加茂の神経を逆撫でしてくる。軽薄で、薄ら笑いながら、こちらを見下してくる。
まるで虫でも見るかのような目。見え透いた挑発であることは加茂も気が付いている。
それでも、抗い難く、切り替えて抑え込んだ筈の感情が沸き上がる。
「ふふっ、いいねぇそれが欲しいんだよ。やっぱりお兄さんいいねぇ」
「俺の……何が欲しいって?いい加減俺の質問にも答えてもらいたいだが?」
「そう焦らないでよぉ。折角世界が在るべき姿に成ったのに、ただ観察するだけじゃつまんないって思ってた所なんだ。これ位の役得があってもいいよね?そうだ、お兄さんも一緒に楽しもうよ!」
加茂の言葉を聞く気も、答えるつもりもないらしい。
ただただ、この状況を楽しめと嘯く。
「ふざけんな!!この状況を、この世界の何を楽しめってんだ!!こんな終わった世界!!こんなくそったれな世界!!消えちまえ!!!ああっむかつく!!!ああっ憎い!!!!」
加茂の叫びが木霊する。押し留められた感情は止めどなく流れ、発露される。
「ほらね、思ったとおりだ」
軽薄さが消え、邪悪な笑みと共に言葉が呟かれる。
5月の青く晴れた空の向こうから、季節外れの遠雷が聞こえた気がした。
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