第5ー1話 純心
――キエエエエェェェェェェェェェェ――
校庭に居た8人は耳を塞ぎ、或いはあまりの恐怖に立っている事も儘ならず、その場にへたり込んでしまう。
「ひいいいぃぃぃぃ!!」
安部もまたその場に尻餅をつき、両手で耳を覆って余りの恐怖に何もできずにいた。
ナイフを持った工藤に迫られていた事も吹き飛んでしまう様な、恐怖を孕む音。
安部の行動を責めることはできない。この変貌した世界を美しいと感じ、己の望んだ世界と信じている工藤ですら足を止め、欅の木に見入っている。
「フハッ!何だ!何だよ!まだこんな面白れぇことあんのかよ!木が化け物になりやがった!」
欅の木の枝葉が大きき揺れる。風に揺れる程度だった揺れは、やがて強風で煽られるように激しく撓み、普通であればそのまま折れてしまう様な振れ幅となる。
まるで欅の木が踊り狂っている様な状態となり、皆がそれを見上げたままその場を動けずにいた。
1本10メートル以上ある巨大な枝が、撓りながら振り回され、伐採のため近くに駐車されていた高所作業車を直撃する。
恐らく6、7tはあるであろう車体が、玩具の様に宙を舞い、校庭に落下してゴロゴロと転がっていく。
更に振り回された枝の一撃で、作業員だった霊樹が千切れ跳ぶ。
幹は半ばで真っ二つに寸断され、葉から翠色の霊子を撒き散らして転がされていく。
切株の様に残った幹から、空気中を漂う霊子よりも大きな翠色の塊が漏れ出る。それすらも巨大な鞭と化した枝が、打ち据えて粉々に砕いていく。
まるで恨みでもあるかのように、徹底的して周囲の霊樹を粉々に砕いていく欅の木。
そんな光景を少し離れた場所から、茫然と立ち尽くして見ていた西風舘と仁代真理。
「な、んだ……これは……」
余りの光景に思わず構えを解いてしまい、見入る西風舘。
「先輩!危険です!離れましょう!!」
真理はそんな西風舘に声をかけ、この場を離れるように促す。
現状の脅威は工藤よりもこの欅の木だろう。あの枝の一撃を喰らえば、ただの人間ではひとたまりもない。
恐らく霊樹と同様に両断されるか、もしくは粉々に爆散してしまうかだ。
真理の言葉に西風舘もハッとなって頷く。2人とも、まずは欅の木が霊樹に執心している間に、枝の鞭が届かない圏外へと退避することが第一だと判断し、走り出す。
その時、1本の太い枝が鞭の様にしなり、空から落ちてきた。
――ズドンッ!!――
校庭に打ち付けられる欅の木の枝。
その一撃は、明確な殺意を持って放たれた一撃。
一抱え程ある枝の鞭は、工藤と安部の直ぐ真横に着弾し、もうもうと土煙を巻き上げる。
「フヒッ!!あぶねぇあぶねぇ。俺も死ぬところじゃねぇか、でもどうなってんだよこれ!面白れぇ!!」
そう言い放ちながら、ナイフを枝に突き立てる工藤。
突いた先から紅黒く変色し、ボロボロと樹皮が崩れていく。
まるで痛みを感じているかのように、悶え、翠の光を撒き散らす欅の木。
「フハッ!面白れぇ!最高だなこの世界は!」
猛る工藤に幾本もの欅の木の枝が襲いかかる。しかし工藤は、それを超人的な身体能力にものを言わせて躱していく。
躱しながらナイフで枝に傷を付け、傷口は次々と紅黒く変色し、ボロボロと崩れる。
「ひいぃぃぃぃぃぃ!誰か!助けて!もうこんな世界嫌だ!気持ち悪い!早く!誰か!その化け物を、何とかして!!」
安倍が校庭にへたり込んで、絶叫する。
「あ゙っ?!」
工藤が再度安倍の言葉に反応する。
「何だよ、まだそんな事言ってんのかよ。あ゙ぁ!つまんねぇ奴だなお前!何で分かんねぇんだよ!やっと、あのくだらねぇ世界から解放されたのによぉ!……いいや、もうお前いらね」
乱れ打たれる欅の木の枝を掻い潜り、工藤は安倍の目の前へと迫る。
「やめろ工藤!先生に近付くな!」
西風舘が声を上げるが、欅の木の暴風に阻まれて近付くことすらできない。それは真理も同様であり、2人とも霊子の光と、振るわれる枝葉の圏外から工藤と安倍を見ていることしかできずにいた。
「じゃあぁねぇ先生ぇ、さよーならー」
「ひっ……」
工藤はへたり込んでいる安倍の前にしゃがみ、ナイフを順手に持ち替えて安倍の左胸に滑り込ませる。
――ズブッ――
そん音が、聞こえた気がした。
ナイフを横に寝かせ、肋骨と肋骨の間を滑るように刺し入れ、そのまま安倍の心臓を切り裂く。そしてへたり込んでいた安倍の体を後ろへと押しやり、仰向けに倒す。
「あっ……」
ドサッという体が地面に倒れる音と共に、安倍の短い末期の言葉が漏れる。悶えようとする体を、工藤はナイフで地面に押さえつける。数秒の後に安倍の体から力が抜けていく。その間、工藤はずっと嗤っていた。
工藤はナイフを引き抜くと、紅黒い刃体には安倍の鮮血が混じり、真紅の彩を加える。
「あ゛ぁ゛……すげぇはこれ……癖になりそぉ……」
遠巻きに見ていた真理と西風舘がその光景を目の当たりにし、思わず目を背ける。
更に離れた場所から事態を見守っていた仁代伊緒は、目を見開き体を強張らせる。躬羽玲は伊緒の手を握ったままその場に座り込んでしまう。
東風谷が悲鳴を上げ、野口雫は黙って工藤と安部を見据えている。
各々が様々な反応を示しているが、一応に衝撃を受けている。
現代日本で生活していれば人の死、それも他殺の現場を目の当たりにすることなど、まず無いだろう。
あったとしても、それは漫画やアニメの世界の話と考えてしまう。それほどまでに、現代日本は平和なのだ。
人口10万人に0.23件という殺人事件の発生件数を考えれば、それも頷ける話である。
しかし今、現実に、目の前で、人が殺された。
それも見知っている教師が、生徒に、である。
それは動揺を禁じ得ない事であり、ましてや10代の少年少女が受けていい衝撃ではない。
身も心も成長途中の少年達の心に与えた傷は、消えない痕となり、其の者の在り方に大きな変革を与えてしまうだろう。
それこそ、自らその手にかけた者は、不可逆に変質してしまう程に。
事を成した工藤は、うっとりとナイフを眺めていた。今まで満たされることの無かった心の隙間に、確かな充足感を得て。
満たされる心、但し、満たすのは狂気。
「ウヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
工藤は嗤い狂いながら、無防備な体を晒す。荒れ狂っていた欅の木の枝が工藤の体を真横から捉える。
――ズドンッ――
工藤が横薙ぎにされて、宙を舞う。そのまま校庭に転がされ、ゴロゴロと小石の様に転がっていく。
高所作業車を吹き飛ばし、霊樹を粉々に砕いた欅の木の一撃をまともに喰らっているにも関わらず、人間としての原型を保ちながら転がる。
校庭の隅まで吹っ飛ばされながらも、工藤はゆっくりと、それでいてしっかりとした足取りで立ち上がる。
「――ヒヒッ、流石に痛てぇな!あぁ?泥だらけかよ……最悪。でも……大した傷はねぇな!サイコーだな!!」
口の中を切ったのか、血の混じった唾を吐き出す。それでも自身の身体を一通り確認し、大した傷が無いことを知ると、工藤は奇声を上げながら欅の木に向かって走り出ししていた。
「イヒャヒャヒャヒャ!!お前は何なんだよ!生きてるのか!おい!じゃあちょっと殺されてみてくんねぇか!」
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