第10-1話 あい
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
響く絶叫。
また失うかも知れない恐怖に、守れなかった絶望に星斗の心が悲鳴を上げる。
もたつく足に鞭を打ち、駆け寄る星斗。
ザザッと落ち葉の中に倒れ込みながら3人の状態を確認する。
まず目に入るのが、熊の前脚に押し潰され爪が突き刺さっている母親と亜衣である。
そしてその傍には亜依がチリチリと霊子を散らして今にも消えてしまいそうな弱々しい光を放っている。
まるで蛍火の様なその光は、今際の際のように明滅していた。
「亜依!直ぐに助けてやるからな!ちょっと待ってろよ!」
亜依の状態も決して良いものではないだろう、しかし目の前の親子は一刻の猶予もない状態だ。幸い爪は寸前の所で急所は外していたが、圧倒的な質量の前脚に押し潰され、更に爪は2人の体を貫いている。
地面に染み出している血液の量がそれを物語っている。
通常、刺し傷の場合は刃物等を無闇に抜いたりしない。動脈等の大きな血管を傷つけている場合、刃物が抜けた拍子に更なる出血をしてしまう場合があるからだ。
それでも星斗は一縷の望みをかけて爪を引き抜くことにする。
元々ギリギリ繋いでいた命、更なる傷と出血で肉体そのものの活動も限界を迎えているはずだ。
ここを乗り越えるためには管理者の女やルフと呼ばれる男がやっていた、霊子を使った肉体の治療を施すしかない。
できるかどうかはやってみなければ分からない、一か八かのかけ。だがこのまま何もしなければ2人をただ黙って見送るだけになってしまう。
「もう、何もできないで見ているだけなんて、できないんだよ!」
巨大なクマの前脚は、普通ならば持ち上がるはずもない重量だ。それでも星斗が前脚の下に潜り込み、肩に担いで持ち上げる。
腰よりも足を使うイメージ、全身の霊子を足の筋肉に集中する。
ズルッと2人の身体から熊の爪が抜ける。
「「うっ……」」
思わず呻く2人。
すぐさま熊の前脚を投げ捨て、2人の治療を始める。
折り重なった2人を別々に寝かせ、傷口を確認する。
「……私は……いいから……亜衣を……」
母親が消えそうな声で訴えてくる。
正直、傷の具合は母親の方が重症に見える。だが、亜衣は既に意識が朦朧としている。母親の意思と状況を鑑みて亜衣の治療を始める。
「すぐに貴女も助けますからね!」
イメージを膨らませる、2人を治したいと願い、霊子を掌に集中させて、亜衣の傷口に流し込む。
だが、いくら霊子を集め、流し込んでも傷口が塞がらない。そして深紅の光も生まれない。
「何でだよ!またかよ!今度はちゃんとやってるだろ!」
2人の傷の回復を確かに願っている。霊子も操っている。
だが、星斗は心の奥底で、本人すらも気付かない所で、「もう助からない」と思ってしまっているのだろう。
それは雑念とは違う、願いとは相反する想い。
矛盾する想いは反発し合い、打ち消し合う。
また、霊子扱いに関しても星斗のイメージが追いついていない。
傷口を塞ぐイメージで治療をしようとしているが、それだけでは不十分であった。細胞を霊子で活性化させるイメージ、それはまだ星斗にはないイメージなのである。
「あ……りが……と……わたしは……へいき……だから……その……こを……たすけ……て……あげ……て……」
亜衣が小さく呟き、微笑む。
ぐしゃぐしゃな感情の中、「亜依を助けて」と言われ動けない星斗。
母親にも慌てて霊子をつぎ込んでみるが、やはり効果がない。
母親は娘の言葉を聞き、涙を流し嗚咽する。
「亜衣……亜衣……お巡りさん……私達は大丈夫……だから……その子を……私たちを守ってくれた……その光を」
母親も諦めろと促す。
分かってはいたのだ、助けることが厳しいことも。それでも、見捨てることはできなかった。何もしないで見送ることはできなかった。
しかし、届かなかった。手からスルリと抜け落ちてしまった命。
自責の念で苦しむだろうか、2人に恨まれてしまうだろうか。けれども、何もせずに後悔はしたくない、何もできずに見送りたくない。
今、目の前にはもう1つの命がある。
「亜依……今助けるからな……」
そっと亜依を救い上げ、両手の掌に乗せる。
亜依に注ぎ込むように霊子を集中する。
亜依には肉体が無い、その分ダイレクトに霊子を届けられる。
ゆっくりと、慎重に、優しく、丁寧に。
欠けた魂を埋めるように、星斗の霊子を注ぎ込む。
その光景をぼやけてきた視界で見つめる2人。
「……亜衣……ごめんね……助けてあげられなくて……」
「……だい……じょうぶ……おかあ……さんと……いっしょ……だもん……でも……あのこと……いっしょに……あそんで…………」
スッと亜衣の手から力が抜ける。優しく微笑みながら旅立つ。
「……ああぁぁぁぁ……ぁぁぁぁ…………ぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁ……………………」
我が子の旅立ちを見つめる母親の目から大粒の涙が溢れ、亜衣の手を強く、強く握る。
「……ごめんなさい……お母さんも……すぐ行くから………………あぁ……貴女の成長した……姿……見たかった……」
溢れる想い。
星斗から注ぎ込まれた霊子と母親の深紅の願いが、亜衣の手を介して流れ込む。
ゆっくりと、亜衣の身体を巡る霊子と想い。
血管を流れ毛細血管に入り込み、細胞の1つ1つにまで入り込んでいく。
やがてそのエネルギーと深紅の願いは、細胞の分裂を促し、急激に肉体を成長させる。
スルリと母親の手を抜けた亜衣の身体は、身体は強烈な後光を纏いながら宙に浮く。
通常であれば在り得ない願いを、膨大な霊子のエネルギーが支え、成し遂げる。
成長のためのエネルギーは体外へも放出され、着ていた服は燃え上るが、亜衣の身体に火傷の1つも付けることはなかった。身体の傷は成長と共に癒され、綺麗に戻っていく。
四肢と髪は長く伸び、身体は数年後の在るべき姿へと成長を遂げる。
まるで、その姿は神の御子が誕生する一場面の様であった。
それどころか、母親の願いだろう、真っ白なワンピースの服まで織り上がっていく。
奇跡を目の当たりにし、母親は歓喜の涙を流しながら見つめる。
「――あぁ――ありがとう――最後に――私の願いを――叶えて――」
全身の霊子を亜衣に譲渡し、身体の活動限界を迎えた母親が、静かに眠りにつく。
自らが起こした奇跡を自覚することなく、安らかな肉体の最後を迎えたのだった。