第8-1話 希望の光
「畜生!こんな時に何なんだよ!」
巨大な熊が視界に現れ、星斗が絶叫する。
星斗の絶叫に熊が反応し、二足歩行で立ち上がる。そこには胸の大きな傷が癒えた熊が立っていた。
明らかに先程までより大きくなっている体躯。ルフに貫かれ、塞がった胸の傷があることから辛うじて同一個体だと認識することができる。
――グオオオォォォォ――
威嚇の一声を上げてこちらを見下ろす熊。
ズボンのポケットに手を当て、拳銃の予備の弾を確認する。
(弾帯から弾抜いて、拳銃に込める。無理だろ、そんな暇あるのか!そもそも通常の弾効かないだろうな……何とかしてあの翠色の弾を出さないと……)
ジリジリと後退し、脚の踵がコツンと当たる感触。
そこには未だ目を開けない亜衣と、それを庇い覆い被さり熊を見つめる母親の姿。
(これ以上退けない――やるっきゃない――集中しろ、熊をぶっ倒してこの人達を守る。熊を倒すイメージ――俺しか居ないんだ、俺がやらなきゃ誰がやる!)
再び輝き出す左手。翠色と真紅の光が握り込まれた拳に集中し始める。
突然の光の輝きに熊の動きが止まる。
(――いける――)
輝き始めた拳に気を取られ、ふっと集中が途切れる星斗。
緩やかに光が収まり始めるのを見て焦る。
「まてまてまてまて、止まるな!」
その様子を上空から見たルフが顔を歪め、唾棄する様に呟く。
「またしても彼の方の御業を模倣するか――盗人め、今すぐ駆除してくれる」
一瞬遅れて管理者の男と女もその異様な気配に気が付き、星斗達を見る。
「あれは――あの野郎の――」
星斗達に向かって高速で降下し始めるルフ。豹変したルフの様子に素早く管理者の男が反応する。
「そうはさせん!」
いつの間にか手元に戻っていたハルバードをルフに向かって投擲する。まるで砲弾の如くルフに迫るハルバード。ルフも流石に無視できない威力とみて降下速度を緩める。ルフの下方を通過すると思われたハルバードが急旋回して直上のルフを追撃する。
「あまり得意ではないが、行かせる訳にはいかん」
「邪魔立てしないでいただきたい」
ルフの霊子の盾とハルバードが激突し、再び戦場が激化する。
「想いを込めなさい!貴方の想いを、心からの願いを込めて!」
管理者の女が星斗に向かって叫ぶ。
「――想い――心からの願い――熊を――倒したい――2人を守りたい!」
再び輝き始める拳。そこにハルバードの追従を躱しながら星斗へと迫るルフが翠の光弾を左手に掲げ、投げつけてくる。
「人間如きが使って良い御業ではないと言っている」
星斗に向かって迫る光弾。直前、目の前に突き刺さるハルバードが見えた。
ハルバードに直撃する翠の光弾、炸裂する翠の光と暴風。
吹き飛ばされる星斗の拳から翠色の霊子が霧散し、拳の中に出来掛けていた物体が砂のように崩れていく。
「――っ!もう一度!――」
「させると思うか?」
目の前に肉薄していたルフが、右手に握ったフツを横薙ぎに振るう。先程までの手刀とは違う、確実に命を刈り取りにきている刃。
「この子達に手を出させません!」
幾何学模様の膜で間一髪、死の刃を受け止める管理者の女。しかし、フツがその膜を食い破らんとギリギリと音を立てる。
「喰らえ。フツ」
「御意」
再びルフがフツに命じる。先程の光の矢を呑み込んだ時より大きく、金属音と共に巨大な魔法陣が出現し、管理者の女諸共星斗達を丸呑みするかの様に巨大な赤黒い空間が口を開ける。それはただの空間ではなく、まさしく巨大な口であった。凶悪な牙が並び、目の前にあるものを全て咀嚼せんとガチガチを歯を慣らしている。
「――これは、不味いわね――」
ガリガリと膜が削られていく端から、新たな膜を生成し何とか耐える管理者の女。
「どおりゃあああぁぁぁぁぁぁ――」
地面に突き刺さったハルバードをルフへと振り下ろす管理者の男。それを光の盾で受け止めるルフ。
「そんなものに喰われれば、我等とて魂ごと消滅するぞ!今すぐやめよ!」
「貴方方が悪いのです。彼の方の寵愛を忘れ去り、のうのうと生きている人間どもを放置しているのですから」
「その文句はあいつに言え!何処に居るとも知れないあいつの後始末をして、やっとここまで育て上げたのだ!」
言葉の応酬と共にハルバードを振い続ける管理者の男、それを受け続けるルフ。
自らの命が風前の灯となってなお、星斗は銃弾の生成を諦めない。
(――焦るな、落ち着け、先生によく扱かれただろ。こんな時こそ心を鎮めるんだ――状況は最悪だ、いつ全滅してもおかしくない。ここから形勢を逆転させるには……あのルフとか言われてる男をどうにかするしかない……倒すんだ……倒す……倒すだけじゃ覚悟が足りない……それじゃあいつは止められない。俺も覚悟を決めろ。腹を括れ。守るためには捨てろ――あいつを殺すんだ――)
星斗の心の中の静かな決意。
静かだが、冷徹な決意。
警察官として、あり得ない決意に星斗の中の警察官としての倫理が、壊れる。
スッと左手を握り込み、右手で持った拳銃の弾倉を片手で開き、空薬莢を排莢する。
翠の光が左拳に集中し始め、真紅の光が混じり始める。
だがどうしても上手く光がまとまらない。
「――霊子を――体の中を巡る霊子を集中させて!」
「霊子ってあれか!翠色の光の」
「そうです!今世界に溢れている霊子を取り込んで、その霊子を掌に集中して流し込むの!そして強く願うのよ!」
「集中つったって――」
管理者の女の助言を聞き、やり方は分からないが、目を瞑って意識を体内へ集中する。
身体の中を駆け巡る何か。武道の瞑想の様に、自身の意識を身体の内へ内へと深く潜らせていく。
己の意識の中、そこに見える光景は、正しく星空。
翠色の星の煌めきが瞬き、流星の様に身体の中を流れていく。
大きく輝く光は巨大な恒星の様に。無数に小さく輝く光は天の川の様に。
霊子が集中する心臓や脳はまるで月や太陽の如く霊子が光り輝いていた。
呼吸をし、世界から霊子を取り込む。
肺を経由し、酸素と同じように血液に乗り末端の細胞まで運ばれていく。
唐突に脳が理解する。
経験や知見を経て、脳が新たな情報を知覚するように、星斗自身の身体の状況を星斗自身が理解する。
(これが霊子――俺は今、自分の中の霊子の流れを認識している――)
一度認識してしまえば世界の見え方が一変する。そこにあるものは既に既知のもの。
左手に意識を向けて霊子を集めようと念じる。
霊子の動きが変わり、血流とは違う流れとなって左手に集まる。
(動かせる……身体からだけでは足りない……深く呼吸して、霊子を取り込む……)
自然と身体も脳の理解に追いついてくる。霊子を取り込もうと、霊子を意識して呼吸をする。世界に溢れた霊子が集まってるくる。呼吸だけではない、体の至る所から吸収されている。皮膚呼吸の要領だろう。
左手に集まった大きな霊子の光は、やがて光の渦となり、それはまるで宇宙に散らばる巨大な銀河の渦を想起させる。
(これに想いを、願いを込める――俺は、あいつを――奴を――殺す)
体から真紅の光が溢れ出す。
(これが願い……これを弾に――込める!)