02_五年ぶりの宿敵
「名前とクラスを確認するので生徒手帳を出してください」
「はい」
図書当番を直視できず、ペコペコしながら貸し出し手続きをする俺の姿はさぞかし滑稽だろう。
敗北者が背後に張り付いているのが気になるが、この本は俺が正当に勝ち取った物。この期に及んで奪われることはないだろう。
「真加部……圭馬? まさかあなた!」
「なんだあ!?」
奪われはしないが後ろから叫ばれた。生徒手帳に書いてある名前が見えたのだろうか。視力はかなり良さそうだが、なにがまさかなのか。
またひと悶着起きるかと思いきや、図書当番の殺意が伝わってくるので女子生徒もそれ以上は声を出さなかった。出禁は回避ですか?
「貸し出し期間は二週間です」
「はい、ありがとうございます」
最後まで仕事を全うしてくれた図書当番に心からの感謝を。
やっとこさ図書室から出ると、女子生徒もやはりついてくる。一歩一歩の沈黙が、妙に俺の良心を痛めつけてくる。
……そんなにこの本を読みたかったのか?
「ほら、先に読めよ」
「……え?」
「俺の名前で借りたけどお前に貸すよ。もし返却期間までに読み終わらなかったら、今度はお前の名前で借りて俺が読むからな」
さっきはムキになりすぎた。よくよく考えればそこまでして読みたいわけではないのだから、素直に譲るべきだったんだ。
潔く本を女子生徒に手渡そうとするも、どうしてか受け取ってくれない。
それどころか俺の手首をつかんできやがった!?
「もう本はいい、それよりついてきて」
「おいおいおいおい!?」
こいつ、先が読めない。
靴に履き替える間もなく、引っ張られるがまま着いた場所はひと気のない校舎裏。
告白よりもカツアゲが真っ先に浮かんでくる。果たして俺は今日無事に帰宅できるのだろうか。
ここが終着点のようで女子生徒がとうとう手を離すと、数歩間隔を空けてそっとなにかを呟く。その呟きは聞こえなかったが、次の台詞ははっきりと聞き取れた。
「……久しぶりね、真加部圭馬」
真加部圭馬とは間違いなく俺の名前。フルネームで呼んでくる女子は初めてだ。
俺の返事を聞かないまま、女子生徒は華麗に振り返った。
その一歩目は、とても力強い。
「五年ぶりね真加部圭馬! まさかこんなところで会えるなんて思いもしなかったわ!!」
まっすぐ人差し指を向けられるも、当の俺はピンときていない。
誰だろう、この人。
「ちょ、ちょっと、表情変えるなり驚くなりなんか反応しなさいよ」
「驚きたいけどさあ……どこかで会ったっけ?」
「んなっ!?」
「そっちが驚いてどうすんだよ」
とはいえ相手からすれば五年ぶりらしい。五年前というと小学五年生だが、俺は当時から女子との関わりはほとんどない。一方的に名前まで覚えられているのだから、同じクラスだったかもしれないが。
やはり誰だろう、この人。
「片峰、片峰千景よ。小五のとき同じクラスだったでしょ!」
散々悩んでいる俺に苛ついたか、ついには答え合わせしながら自ら名乗ってくれた。
小学校の頃は二年毎にクラス替えをするので、二年間も一緒なら名前ぐらいは覚えているはずなのだが……
片峰千景。やはり思い出せない。
「もう少しヒントをくれないか」
これでますます激怒されるかと思いきや、片峰は諦めるようにため息をついた。
「……もういいわ。よく考えればあなたが覚えてないのもしょうがない気がするし。でもあの日のことは絶対に忘れないんだから!」
「あの日のことって、俺がなにか粗相でもしたのか?」
「プリン」
「プリン?」
「給食で余ったプリンを誰が食べるかじゃんけん勝負になったとき、わたしはあなたに負けたのよ! わたしの大好きなプリンの獲得権利をあなたが奪ったんだから!」
「なんだって!?」
小学校といえば給食。給食といえばおかわりできるライスやスープ系のほか、欠席者が出たときに余る牛乳やパンの争奪戦。食い盛りの俺はいつも争奪戦に参加していたが、プリンなんてぷるぷるあまあまの極上品が出た日にゃそれはもう競争率は高い。
そんなプリン様をもう一つ頂けるなんて最上の喜びだが、権利を勝ち取れなかった側の悔しさは計り知れない。大好物ならなおさらだ。
なるほど確かに、これは当時恨まれても仕方がない事案ではあるのだが。
「どんだけ根に持ってんだよ五年前の話じゃねーか!」
それにしても、昔からこいつじゃんけん弱かったのか。
「それだけじゃないわよ、あなた小学生のときから本たくさん借りてるわよね?」
「ああ、本読むの好きだからな」
「わたしが読みたい本をいっつもあなたが先に借りてるのはなんなの!? 貸し出しカードの履歴に真加部圭馬の名前がほとんどあるんだから! シリーズ物で続きが気になるのにすぐ読めないわたしの気持ちを考えてよ!!」
「待てよそれは俺悪くないだろ!? お前が読みたい本なんて知るか!」
先約がいるのは運が悪いとしかいえないし、好みが片峰と似ているだけだろう。断じて片峰の邪魔をしようとか先回りしてやろうとかはこれっぽっちも考えていない。そもそも知らないし。
「とにかく! 近くにあなたがいるとなんか調子狂うと思ってたけどこれで納得がいったわ。あなたはわたしにとって昔からの宿敵、倒さなければならない相手だったわけよ!」
「宿敵だなんて大げさすぎるだろ! 俺は別にお前と戦う理由はないぞ」
両手を挙げて無抵抗のポーズを示すも、知ったことかと片峰はゆっくりと詰め寄ってくる。
「あなたになくてもわたしにはあるのよ! 出る杭はさっさと打てっておばあちゃんも言ってたわ!」
おばあちゃん、余計な教訓を孫に吹きこまないでください。
背は俺より断然小さくても、拳が届く距離まで詰められるとさすがに緊張する。いくらなんでも殴りかかりはしてこないだろうが。
「……勝負よ」
急に吹き荒れる風が、続く片峰の言葉を乗せて俺に突きつけてくる。
「これからわたしと勝負しなさい。あなたが負けたらわたしの言うことをなんでも聞くこと。いい!?」
スカートをはためかせながら無茶苦茶な要求をしてきやがった。
アホらしいと無視するのも一つの手だが、裏を返せばこうなるのではないか。
「……じゃあ、仮にその勝負で俺が勝ったら?」
「ありえない仮定はするものじゃないわよ」
「さっきじゃんけんでボロ負けした奴が言う台詞か?」
「あ、あれは本気出してないだけだし、本番前の練習だから! まあ、でもそーね。もし万が一にでもあなたが勝てば……」
頬に手を当て、片峰は妙な笑みを浮かべる。まるでお前には無理だと言わんばかりの表情だ。
そして片峰は、声高々に宣言する。
「じゃあ、わたしに勝ったらなんでも言うこと聞いてあげる!」
「なんだと!?」
我ながらすごい食いつきっぷり。予想外の反応だったのか片峰はたじろいでいる。
だが俺が興奮するのも無理もない。思春期真っ盛りの男子高校生が、女子に言ってほしい台詞ランキングで上位に入るほどの爆発力なのだから。個人差はもちろんあるが俺は堂々の一位である。
「もう一回言ってくれ!」
「な、なんで」
「だって、男子の夢だぞ! もう一度聞きたいに決まってるだろ!」
「ちょ、ちょっと、顔が、こわい」
立場逆転。鬼気迫る勢いの俺に、片峰はだいぶ萎縮している。拳はすっかり弱まり、見るからに恥ずかしそうにもじもじし始めた。
さっきの勢いも捨てがたいが、これもこれで良き。
「……わたしに勝ったら、なんでも言うこと……聞いて、あげる」
「声が小せえぞ!」
「うるさい! もういいからとにかくそういうこと! わかった?」
少し調子に乗りすぎたか、すぐに片峰の威勢も戻った。しかし律儀に復唱してくれるとはなかなかのお人好しだ。
「だけどよ。なんでもって、本当になんでもか?」
「もちろん犯罪に関わるようなのはダメよ。あくまでも常識の範囲内、当然でしょう」
「当然かあ……」
片峰の常識が一般的かは怪しいが、あまり過激な注文はNGだろう。買い出しに行かせるとかそういうのは大丈夫か線引きが難しい。
まあいい、勝ったときにおいおい考えよう。少しだけやる気が出てきた。
「じゃあそれでいいぜ。お前の勝負、受けてやるよ」
「ほんと!? じゃ早速移動しましょ」
「移動? いまやるんじゃなくて?」
「ここでもいいけど、やるなら場所を選びたいじゃない?」
「そういうもんかあ?」
場所を選ぶほどの勝負とはなんだろう。
若干の後悔を抱く俺。でも、勝負を受けて片峰が嬉しそうにしていたから良しとしよう。
できれば早く帰って本を読みたいのは内緒だ。