動物園
父はかつてどこか貴い人に雇われた占い師だったが、訳あって佐州の田舎に引っ込んで暮らしていた。だから皇城から連絡があると言うのも、突拍子のないことではないのだ、多分。
——茗将軍との出会いから一ヶ月後。
私は皇城に向かう馬車の中にいた。
同じ車内に向き合わせで腰を下ろすのは茗将軍。出会った当初の平民らしい装いは解き、今では煌びやかな刺繍の入った渋い錆色の袍服を纏い、私の身長くらいはあるよねって長さの剣を帯びている。派手な装いになった割には、髪はきっちりまとめて武官を示す冠の下でまとめていた。
「髪の朱色のところ、綺麗なのに隠すんですね」
「赤は主上の色だからな。少し色合いが違うとはいえ、不敬にならないようにまとめとくのが無難なんだ」
「へー……」
私はというと、宮廷物語で語られるような美しい襦裙に身を包む——わけでもなく、家で着ていたのと同じ男物の袍服を纏っていた。それでも流石に着古した麻の服では不味すぎるのだろう、絹織りの肌にやさしい感じのものに変わっていたが。
家を発つ時、師兄さんが私の旅支度を整えてくれた。皇城までは師兄さんが送ると訴えててくれたのだけど、茗将軍は威圧感あるにっこり笑顔で
「俺が送るので案ずるな」
と、譲らなかった。師兄さんは最後まで、暗い顔をして私を見送った。
——皇城にいる間、どっかで会うこともあるかもしれないよね。その時は心配かけてごめんねって謝ろ。
皇城の正門を越え、長い時間をかけて奥に進み、連れて行かれたのは、美しい堀に囲まれた城壁の中。
「ここ、どこですか?」
「後宮」
「へ〜後宮……って」
私は思わず将軍の顔を見た。
「私っ入内するんですか!?」
「妃嬪になりたいのか? まあなりたいなら今募集してるから助かるけど」
「い、いいいいや、あの、私なんて滅相もないです。いや、ほんと」
「ははは、そりゃわかるわ見てたら」
「ですよねー」
慌てて腰を浮かせていた私は座り直す。
茗将軍はひとしきり笑った後に説明した。
「今回あんたは妃嬪としてじゃなく、ちゃんと宮廷占い師としての役職を用意される。ただ宮廷内で婦女が住める場所が後宮内にしかないもんだから、とりあえず安全面の上でも後宮に住んでほしいってわけだ」
「妃嬪と違って……その、ちゃんと出たり入ったりできるんですよね?」
「できるできる。護衛もつけるよ。あっもちろん妃嬪になりたいなら出なくてもいいぜ? 今募集してるし」
「いやいいですって。……あの」
「ん?」
「なぜ後宮妃がそんな経歴出自不問みたいな状況になってんですか。定着率が悪い作業場の求人募集じゃないんですから」
後宮は皇帝陛下の奥様を集めた大切な場所。そこには名家のご令嬢が集まるのが当然で、私のような田舎の男装小娘が入る場所ではない。せいぜい女官や最底辺の下級妃ならまだわかるけど、茗将軍の言葉はどうもそんなノリじゃない。
「わかるよ、すぐにな」
将軍は笑みを消す。そして手続きを踏んで馬車を降り、所持品検査を受けた上で後宮の外と内を隔てた門を潜る。
飛び込んできたのは——黒豚だ。
「ッ!?」
「あっ、薩貴妃。門が開いたからといって脱出を試みるのはおやめください」
「ぶひぶひ」
飾り立てられた黒豚——比喩ではなく本当に黒豚だ——が官吏らしい人に取り押さえられて、奥の煌びやかな殿まで連行されていく。
私は呆然とした。
「あ、あの……」
貴妃というのは、確か頂点の皇后の一つ下、正一品の四夫人の一人に与えられる封号だ。薩貴妃ってお方が飼ってる愛玩動物かなんかかな……?
深く考えないようにして、私はずんずんと石畳の先を進む将軍の後を追う。
歩けば歩くほど、想像とは違う世界が出てきた。
「あの、あちらのすごく高級そうな殿から出てきた……ひよこの群れは……?」
「福賢妃とその女官たちだ。迂闊に近寄ると突っつかれて痛いぞ」
「ではあちらの……作業着を纏った女官に抱えられていく猫は?」
「黄昭儀とその女官だ。彼女は他と諍いを起こしやすい性格をなさっているので、こうして散歩の折はだっこされて運ばれる」
「……まあそりゃ……鳥がいたら……ねえ……」
私は呆れながら呟いた。綺麗な襦裙を着せられなかった意味がわかった。動物園だここ。
「せっかく小屋の近く通りかかったから、四夫人全員と挨拶しとくか」
——あ、今小屋って言ったこの人。
彼についていくと、池が出てきた。
「主上がまだ十五歳なのは知っているか?」
「はい。先帝崩御後に帝位争いが続いて、その間に四維侵襲も起きて……世相が落ち着いてから、ようやく去年即位されたんですよね」
四維侵襲——西の騎馬民族からの猛攻に国の三分の一が併合されかけた戦争のことだ。その混乱が残ったままの五年前、先帝陛下が崩御した。
即位した皇帝は当時十歳の皇帝緋王だ。
ちなみに師兄さんは久しぶりに再開された科挙の華々しい状元なのだ。すごい。
「……あ、もしかしてまだ陛下のための後宮が作られていないってことですか?」
「少し違う。一応これが主上のための後宮なのだが、貴族はみな皆当たり障りのない妃嬪しか送れないんだ」
今の陛下は十五歳で、実質的な公務は母親である太后陛下と筆頭貴族の隼家一族が取り仕切っている。上位官職はもちろん、皇帝に直接仕える占術師も隼家の手の者らしい。
「太后陛下は政治の混乱の中すっかり神経衰弱になって、隼家の占術師の言いなりになっている。隼家が右と言えば右。隼家が『まだ精通前の皇帝陛下の後宮に妃嬪を入れるのは災いのもとである』と言ってしまえば……」
「なるほど。誰も入内させないわけにもいかないから、なんか毛色の違う養女の妃嬪たちが集まる、と」
「そういうことだ」
将軍は池辺りで見回すと、ほとりにいるもふもふを両脇に抱えて戻ってきた。
「こちらが甲徳妃。小さく小柄で愛らしい妃だ」
「鴨ですね。はじめまして」
「で、こちらが桑淑妃。透き通るような色白が自慢の妃だ」
「家鴨ですね。こんにちは」
「お二方は水辺がお好きで、いつも親しくお過ごしだ。ちなみにあっちの東屋に設られているのが鍵付き保管庫。硬貨を入れて鍵を出し、飼育い……もとい、貴重品をしまう場所だ。ここに常駐していない女官も多いからな」
「後宮の実態を知ったら泣いちゃう女の子いそうだなー」
感想を呟く私。
池の辺りを歩きながらさらに将軍は説明する。
「……そもそも、隼家と太后陛下は主上を盛り立てるつもりがない。傀儡として便宜上置いているが、本当は期を見計らって隼家の妃が産んだ最後の先帝の遺児、弟殿下を擁立したいと思っている」
「弟いくつですか」
「五歳」
「まぁた、ちっちゃい子に……」
「というわけで、隼家の占術師の言いなりになった宮廷内をなんとかするために、あんたを呼んだってわけだ」
「あの。一応確認ですが……私、本当にただの小娘ですよ?」
「『鵲鵲娘娘』だろ?」
「本当の娘娘がいるべき場所でその名前やめてください恥ずかしい」
「恥ずかしがってもしゃあねえさ。王都でも噂は広まっている。異常に当たる占い師が佐州にいるとな」
私は肩をすくめた。
「異常っていうか……単純に、相手に合った読み方をして助言してるだけですよ。そういう占い師が他にあんまりいないだけです」
占いと言うと、古来の意味に基づいてこれがよくない、あれがよくない、このままでは地獄に落ちる! と断じる手合いが悲しいかな、この国では大半だ。
けれど占いを教えてくれた父は、占いはあくまで「幸せになるための道具」だと教えてくれた。
——命式は生まれながら変えられない。けれど生き方と心映えで、どんな命式も毒にもなれば、薬にもなるのだよ。
私を通して父を認められたようで、嬉しくて胸を張る。
「私の教えは、私の父の教えです。私は父を信じているので堂々とできるんです」
「へえ……親父さん、ねえ」
彼はそう呟くと、私の先を行く。
父の話をしたところでふと、私は父の遺書を思い出した。
——これがお前の『運命』だ。
「あの」
「ん?」
「茗将軍は……運命って、信じてますか?」
「いきなりどうした占い師」
「嶌紹正という占い師を……ご存知ですか?」
「あんたの父親か? 悪いが知らねえな」
「あ……」
茗将軍の反応に、私は顔が熱くなる。一人で盛り上がってしまった。
「失礼しました。忘れてください」
彼は『運命』を知らないまま、私の元に来たらしい。
偶然だろうか。いや、今は偶然としか言えないだろう。
「顔真っ赤だけど大丈夫?」
「だだだ大丈夫ですって」
「あはは、余計真っ赤になった」
彼は笑って、頭をぽんと撫でる。
「まあ、俺は俺の行動全部が運命だと思ってるけどな。だからある意味運命は信じてるさ。この答えでいいか?」
「……はい……ありがとうございます」
「あ、見えてきたな。あれがあんたの住まいだ」
私に用意されていたのは、後宮の中ではかなりこじんまりとした、それがかえって住みやすそうないい感じの殿だった。
「どうだ、ボロ屋だけど住めるか?」
「私にとっては贅沢なくらいです」
「家具調度品は全て完備、三日に一度は掃除が入る。三食おやつ付き、女官もつくぞ」
「最高です」
「説明はだいたい以上だ。あんたには隼家が占いで牛耳った宮廷に風穴を開けてほしい。頼んだぜ?」
「はい」
私は拱手して頭を下げた。
そう、勅命ならやれるやれないじゃない。やるしかない。
背筋を伸ばし気持ちを切り替え、屋敷へと入る。すでに女官たちが片付けを初めてくれていた。
「喜鵲」
入ろうとしたところで、呼び止められ、私は茗将軍を振り返った。
「怖くないのか、いきなりこんなことになって」
先程までと打って変わって、真面目な声音で将軍は尋ねた。
私は首を横に振って肩をすくめた。
「生きてて怖いことがあって、いつ死ぬかわからないのはどこにいても同じですよ。なら役に立ちたいって思います。せっかく父さんに占いを教えてもらったんですから」
国は数年前まで滅亡の危機に瀕していた。
明日には全てが灰燼になってもおかしくない、そんな日々だった。この平和な状況だって、当たり前のものだとは思わない。どこにいたとしても怖くない。失うものもない。
——運命と出会えたことの方が、よほど私には興味深い。
「……そうか」
茗将軍は、静かな顔で私の言葉を受け止めていた。
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