茗将軍
武人さんは占い館に入るなり、小さな椅子にどっかりと座る。
私は準備をしながら彼を分析した。占いの精度を高めるため分析は肝要だ。これは推理ではない。同じ鑑定結果でも、どんな言葉が相手に必要なのか考えるのは占い師の役目だ。
武人さんの質素な袍服に幞頭を被った姿は一見、一般平民男性という感じだ。けれど食事が良いのか平民にしては肌が綺麗すぎるのと、背筋を伸ばした堂々たる佇まいなのが気になる。
少なくともチンピラやごろつきではない。それなりの地位についた武官。それも相当若くして異例の出世をした手合いだ。
——数年前まで国の三分の一を焦土と化した四維侵襲。
西夷と呼ばれる西の騎馬民族が我が国に侵攻してきた戦争のことだ。
騒乱で多くの貴族が命を失い官吏職の席が空いたため、武功を挙げて成り上がった武人も多い。年齢に合わない妙に腹が据わった落ち着きと威厳からすると、彼もその手の武人さんだろう。
占い館に入って椅子に座るまでの間に判断を済ませ、私は卓を挟んで彼の前に着座した。
「お待たせいたしました。それでは生年月日と生まれた場所を」
「……言わなきゃ駄目か?」
彼は挑むように笑って尋ねる。よくある煽りだ。
普通の占い師ならここで命式を求める理由を説明する必要があるけれど、私は違う。
「では、代わりに額を見せていただけますか?」
「それでわかるのか?」
「ええ」
にっこりと、私は微笑む。
天命眼を持つ私は額を見れば生年月日と生まれた場所、そして命式——天命の見取り図を見ることができる。父から受け継いだ嶌家一子相伝の巫覡だ。
武人は素直に前髪をあげ、形の良い額を差し出す。
その額に向けて目ではなく頭の奥で感じるように、意識を集中させる——すると、彼の額から浮かび上がるように、輝く文字が見えてきた。まずは命式の陽占から眺める。
——胸に石門星、右足に天将星。いわゆる人の上に立つ者の配置。
両手には石門星と龍高星。天恍星、天将星、天堂星。
次は陰占に目をむける
数年前の時に日干支と年運が律音。
その命式の上に書かれた、生年月日と生まれた場所。
「『運命』……」
私は無意識につぶやいていた。彼は大きな瞳で私をじっと射抜く。
「どうした?」
一旦命式から目を離し、改めて私は彼を見た。
「……なぜ、こちらまでお越しになったのですか?」
「来た理由か? 噂に聞いたんだよ。宮廷の占術師とは違う独自の鑑定を得意とする『鵲鵲娘娘』が佐州にいるってな。理由あって、一度その実力を確かめる必要があると思った」
「……そうなの、ですね」
鼓動がばくばくと跳ね続け、私は胸を抑えた。深呼吸をして平静を装う。
——だめだ。この話は、私の問題なんだから。占い師としてお客様を不安に思わせちゃだめだ。
私の様子がおかしいのに気付いたのか、師兄さんが片眉をあげて注視している。
武人さんは目をすがめて問いかけてきた。
「で、どうなんだ? 俺の命運は読めないか?」
私は声を振るわせないように努めながら口にする。
あくまで、彼の命式の鑑定だ、これは。
「……申し上げます。貴方がどういう立場の方かにより、読み方が異なりますが——ここまで強すぎる命式を持った方は、運命の波乱と課せられた使命に押しつぶされるか、持て余して腐る人がほとんど。しかし貴方は見事に乗りこなしていらっしゃるようにお見受けします」
「へえ? 続けろよ」
「はい。政に携わる占い師ならば貴方をもって……おそらく、まるで皇帝になるために生まれたような星の方と言うでしょう」
「——っ……!」
皇帝。その言葉に彼が目を見開く。
当然だ、この世で最も喩えに出してはならない尊い相手を挙げたのだから。
師兄さんも驚いた顔をして立ち上がり、何か言いたそうな顔をする。
真面目な顔になった武人さんは、低い声で問うた。
「なあ『鵲鵲娘娘』。そんな星のもとに生まれた俺だが、もちろん皇帝陛下ではない。だがあんたのいう通り、俺は誠心誠意を持って、主上を苦境からお助けしたいと思っている。——あんたなら、どう動くべきだと俺を導くか?」
「貴方様が『主上をお助けしたい』と思われるなら、どんな困難な道だとしても信念を貫くべきです。といいますか、そういう生き方しか貴方はできないでしょう。私が言おうとも、言わざるとも。私を試すという目的がなければ、あなたに占いは必要ない。あなたは自ら、『運命』を乗りこなす人……違いますか?」
沈黙ののち、パン、と小気味良い音が鳴る。
膝を叩いた武人が、満面の笑みで私の頭を撫でた。
「ひゃああ」
「はっはっは! 気に入った! 気に入ったぜ、あんた! 決まりだ。あんたは俺と一緒に来い。一緒に主上を助けようぜ」
「い、一緒に!?」
「ああ悪い。何ひとつ説明してなかったな」
彼は立ち上がると居住まいを正す。
そして懐から出した書状を広げ、朗々とよく通る声で告げた。
「嶌喜鵲。汝、禁軍大将軍、茗朱鷹と共に宮廷に顔を出すことを命じる。……宮廷にて皇帝陛下のもと、後宮人事その他側近占術師として働くこと。勅命である」
「……ダイショウグンってどなたですか?」
「俺俺」
「ああ、あなたですか……って、ええー……?」
あまりに現実感がなさすぎる。情報が多い。
呆然としていると、師兄さんが立ち上がり拱手をし、声を張り上げた。
「茗将軍。礼部侍郎補佐の如子孝が言上奉る。彼女は科挙すら受けていない、ましてやただの婦女。勅命で陛下の側近占術師に就任など俄かに信じがたい」
武人さん——茗将軍は師兄さんを一瞥し、つまらなそうに肩をすくめる。
「今の宮廷では、ンな悠長なこと言ってられないのは、状元様ならわかるだろ?」
前述の通り、状元とは科挙で首席を取った師兄に贈られる称号だ。茗将軍は師兄が何者かもわかった上で、乗り込んできたのだ。
師兄さんは唇を噛み、茗将軍を睨む。
「……喜鵲の身の安全が心配だ。私も同行する。陛下の話は私が代理で承ろう」
「陛下に代理の状元様が話しかけるってか? どれだけ偉いんだあんたは?」
「なっ……」
冷たく言い捨てると、茗将軍はころりと笑顔になり、私にビシッと直立して軍礼をした。
「と言うわけだ、『鵲鵲娘娘』。これからしばらくよろしくな」
「……はい」
なんだかその笑顔が場違いなくらい普通のお兄さんって感じで、私は流されるままに立ち上がり、拱手を返す。
「喜鵲! ……ああもう、天よ……一体どうしてこんなことに……」
師兄さんが悲痛な声をあげ、顔を覆ってため息をついている。
私はふわふわとした、不思議な感覚だった。
父に委ねられた、遺品の書をしまい込んだ胸元にそっと手を当てる。
——茗将軍。彼は父の言う、『運命の人』だ。
父がそれを、どんな意味で言ったのかはわからない。一体彼が何を私に求めるのかわからない。このまま宮廷で、どうなってしまうのかもわからない。
——けれど。
父が託した『運命』の人が笑顔で手を差し伸べるのならば、私は当然ついていく。
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