5.婚約者との顔合わせへの準備
部屋には一度目の時と同じようにケイトが待ってくれていた。あの時はケイトに慰めてもらったのを覚えている。ケイトがいなかったら、私はもっと早くに心が折れてしまっていただろう。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
彼女の気づかわしげな視線に、微笑みで答えると継母達との対面は大丈夫だったと伝わったようだ。
「ケイトが教えてくれたおかげで、動揺せずにご挨拶できたと思う。ありがとう」
「滅相もございません」
ケイトもほっとした表情を浮かべている。
「それで、お父様に晩餐まで勉強をしているように言われたの。ケイトは休憩できていないでしょう? 私は部屋から出ないから、今のうちに休んできて」
「ありがとうございます。では、何かありましたらお呼びください」
ケイトに休憩を伝え、私は机に向かった。
といっても、勉強するつもりはない。覚えている限りの一度目の記憶をノートに書き出していく。
私が行動を変えたことで、一度目とは違う結果になった。まだ義母との対面を終わらせたばかりだが、私の行動で結果が変わるのなら、きっと婚約や、処刑された未来についても結果を変えられるかもしれない。
一通り書き終わると、新しいページに今後の目標を書き出す。
絶対に大事なことは、処刑を回避すること。そして、今度こそ私を愛してくれる人を探すこと。
処刑回避はこのノートがあれば大丈夫そうだ。ただ、もう一つの問題については、目標を設定してみたものの、叶えられる自信はない。候補もいないし、何をどうやったらいいのかわからない。
今はケイトもいてくれるけれど、いずれケイトは遠いところにお嫁にいってしまう。私の側にずっと縛りつけるわけにはいけない。
ふと、左手の小指の指輪が目についた。
記憶に無い指輪は、この不思議な現象に関係があるのだろうか。
(誰かが私に二度目のチャンスをくれたの? それとも、ただの偶然?)
答えの出ない謎に、私は息を吐いた。
『もしかしたら私を気にかけてくれる誰かが居たのでは』なんて都合の良い方に膨らみかける妄想を振り払う。
一度目の王太子の婚約者なんて立場に居た時だって、巻き戻りなんておとぎ話に出てくるような魔法が使える大魔術師のお話は聞いたことがなかった。王宮に仕える魔術師とさえ知り合うことはなかったのに、都合が良すぎる。
「このノートには、確実なことだけを書きましょう」
飛躍しそうな思考を振り払い、一度目の記憶を書いたノートを鍵のかかる引き出しに仕舞った。
それから数日後、婚約者となる王太子殿下との顔合わせを兼ねたお茶会に招待された。
その日はお父様には王宮でのお仕事があるけれど、その時間だけお仕事を抜けて来られるそうだ。
一度目の時と同じ流れだ。
婚約者との初めての顔合わせということで、ケイトも気合が入っている。
「お嬢様。本日のお召し物はいかが致しますか」
ケイトの声にそちらを向くと、王宮へ出向くのに問題ない格式のドレスや装飾品が並べられていた。
「これにするわ」
その中から濃い藍色のドレスを選択すると、ケイトが心配げな顔をする。
確かに、桃色や薄い水色のドレスがある中で、この色は少し大人し過ぎるかもしれない。
でも、一度目は私を好きになってもらえるよう、私の金色の髪に映えて一番可愛く見える薄い桃色のドレスを選んでいたが、好かれることはなかったのだ。
だから今回は侯爵家の令嬢らしい格を満たし、そこそこの仕上がりになるものでいいと思った。
「ええ。それでいいのよ。婚約者に決まったといっても、まだ私は未熟だもの。殿下には、婚約が決まったと浮ついている姿より、これからのことを真剣に考えている落ち着いた人だと思ってもらいたいわ」
「そういうお考えでしたら確かにこちらがよろしいでしょうね」
ケイトはもっと私の魅力を引き出す色はあると言いたげだったが、最終的には頷いてくれた。
「ええ。それに、ケイトならどんなドレスでも私に似合うように着つけてくれるでしょう?」
「もちろんでございます」
ちょっと調子がいいかもと思ったけれど、ケイトへの信頼は本当だ。
それから、ケイトは私にドレスを着つけ、お化粧をしてくれた。
化粧台の鏡には藍色のドレスを着た少女が映っている。金色の髪はドレスが大人しい分、編み込みを取り入れて華やかに結われていく。アクセサリーは瞳の色に合わせた青色の宝石で、ドレスの色との相性も悪くなかった。
「うん、思った以上に素敵よ。ケイト、ありがとう」
「もったいないお言葉です。私はお嬢様の魅力を引き出すお手伝いをしただけですから」
「ケイトがいてくれるから、私も頑張ってこれるわ」
そう言うと、内心王宮に行きたくないと思っているのが伝わったのだろう。ケイトが言う。
「緊張なさっておいでですか?」
微かに頷くと、ケイトは私の耳元に顔を寄せ小声で囁いた。
「では、お帰りになった時に、お嬢様のお好きな『シュクリ』のお菓子を用意しておきますね」
「怒られない?」
「特別です」
ケイトが出したのは、気に入っている洋菓子店の名だった。家にパティシエもいるから、お客様でも無い限り外のお菓子を食べる機会は滅多にない。それだけケイトに心配をかけているのかもしれないが、ケイトの気遣いのおかげで帰宅が楽しみになる。
「ケイトが居てくれてよかった」
思わず漏れた私の言葉に、ケイトは頬を染めた。
「お嬢様、私に出来ることなら何でもおっしゃってくださいね」
「ううん。何もしなくても、ケイトが居てくれるだけでいいの」
心から信頼できる人が側に居てくれるというのは、とても恵まれたことだ。
もちろん、ケイトが大好きな婚約者にお嫁に行くのを引き留めたりはしないけれど、それまでの時間を大切にしたい。
「シュクリのお菓子は、ケイトの分も買っておいてね。一緒に食べましょう」
「私の分まで、ですか」
「一人で食べてもつまらないもの。食べながら、お話を聞いてほしいわ」
「そういうことでしたら、御相伴に与りましょう」
帰宅後の約束をし、ケイトに見送られて王宮から迎えに寄越された馬車でお茶会へと向かった。