39.放課後の個人授業
翌日から、私は空いた時間でクロードの元を訪れるようになった。
といっても、クロードは巻戻りについての話はこれ以上話す気がないようで、教えてもらえるのは純粋に魔術についての事ばかりだ。
一応、研究室に行くたびには話題に出してみるが、クロードがその話に乗ることは無かった。
「本日もいらっしゃったのですね。毎日迎えを待たせてしまってよろしいのですか?」
「今までより一時間遅く来てもらうように調整しましたからご安心を。それで、時戻りの魔術についてなのですが」
「その件については、もう私から話すことはありません。他に聞きたいことがないのであれば、お帰りください」
クロードはぴしゃりと言うが、全然怖くない。
時戻りの魔術については教えてくれないが、気がついたら研究室には茶葉と茶器が用意されていたし、こうして話している最中に侍女が準備に向かっても何も言わない。それどころか毎回お菓子も準備していてくれるので、少なくとも迷惑に思われていないのだと思っている。
「今日は気が変わったのではないかと聞いてみただけです」
「気が変わることはありません。学生は学業よりも友人や婚約者との交流の方を優先すると聞いていたのですが、毎日私の所に来てよろしいのですか?」
一瞬、マティアス王子の顔が脳裏に浮かぶ。
でも、王子は王子で公爵令嬢のパトリシアと出かけたり、友人を優先し、私が声をかけても煩わしそうにするだけで時間を取ってはもらえなかった。
「……ええ。魔術を教えていただいておりますし、クロード先生のお話を聞くのは、実技で真似は出来なくとも参考になりますから。そうだ。今日は先日の模擬戦で使った魔術について教えてください」
「それはかまいませんが」
本当に大丈夫だろうかという顔をするクロードだったが、侍女がお茶のセットを運んで来てくれたので、意識がそちらの方に向いてしまう。
「あっ今日は、クッキーサンドなのですね。中身は何なのでしょう」
「苺ジャムです」
心配そうにしながらも中身を教えてくれるクロードに、私は自然と微笑がこぼれる。
「嬉しい。今までのお菓子はどれも美味しく頂きましたが、苺のジャムを使った物が特に美味しいのですよね」
「そう言っていただけると準備した甲斐があります。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます」
遠慮無く紅茶と共にクッキーサンドをつまむ。
クッキーは甘さを抑えて塩気が強い。
そこに苺ジャムの甘さが加わって、何枚でも食べてしまいそうな美味しさだ。
「やっぱり……! とっても美味しいです」
頬を抑えると、クロードは苦笑する。
「教師の本懐としては、ラバール侯爵令嬢が魔術を学びに来て下さるのは嬉しいのですが、そのようなお姿を拝見すると、お菓子の方が目的なのではと思ってしまいますね」
「最初はクロード先生から魔術のお話を伺うのが目的でしたが、今ではお菓子の方も楽しみになっています」
「なら、明日も何か準備しておきましょう」
「明日も来てよろしいのですか?」
クロードから明確に明日の話をされるのは初めてだった。
つい尋ねると、クロードは悪戯げな表情で私を見る。
「駄目だと言ったら、どうします?」
「そう言われても、来てしまうかも……?」
答えると、クロードも微笑む。
「最近、大分侯爵令嬢のことが分かって参りましたので。無駄な抵抗はしないことに致しました」
「そんな風に言われると、なんだかとても人聞きが悪いのですが」
「いいえ。とても可愛らしいですよ。明日のおやつも楽しみにしていてくださいね」
頷くと、クロードは真面目な顔に切り替える。
「それで、聞きたいというのは、模擬戦で使ったどの魔術ですか?」
「水の竜巻を受けて、どうして先生が濡れることなく無事でいらっしゃったのか、わからなくて」
「あれは、結界魔術を使っています」
「結界? ですが、確か地面は先生の足下まで濡れていましたよね」
「よく見ていましたね」
クロードは頷く。
「結界だと、自分の周囲も一緒に覆ってしまうから、あのような濡れ方はしないのではないのですか?」
どういうことだろうと首を傾げる私に、クロードは言う。
「単純に、結界の範囲を自分の体の表面までと指定しました」
「ちょっと待って下さい。結界魔術って、そんなこともできるのですか?」
「はい。魔力の巡らせ方によって発動範囲や結界強度を変化できます」
驚く私に、クロードは何でも無い事のように言う。
「慣れると発動魔力は半分以上カットできるので、重宝しますよ」
なんてことなさそうにクロードは言うが、本当だろうか。
「それは、クロード様だからでは?」
「いえいえ、誰にでも出来ますよ。やってみますか?」
「私でも出来るのですか?」
「もちろん。ですが、座ったままより、そちらでの方がやりやすいと思います」
クロードの誘導に従い、立ち上がって周囲に何もない場所へと移動する。
そこで、やり方のおさらいをしてから魔術を発動させた。
一応、クロードが言うように魔力の巡らせ方を変えようとしてみるが、全くうまくいかない。
普段と変わらない、卵の殻で自分を包み込むような楕円形の結界が形成されてしまう。
「私にはここまでのようです」
「少し補助しても?」
「お願いします」
「なら、一度結界を解いて、お手をよろしいでしょうか」
言われたとおりにして、クロードの差し出す手に片手を乗せる。
「私が調整しますので、私も含めて結界魔術を発動させてください」
言われたとおりに魔術を発動させると、結界を巡る魔力にクロードの魔力が混ざり、結界は静かに形を変えていく。
気がつくと、私とクロードだけを包み込むように結界が発動していた。
「あっ出来てる」
驚きの声を挙げる私に、クロードは当然だというように頷く。
結界を維持している魔力は、私が半分、クロードが半分といったところだ。
私は尊敬の気持ちを込めてクロードを見上げた。
だがクロードはこれで十分とは思わなかったようだ。
「このまま私の魔力を抑えていきます。結界を維持する魔力が減るので、侯爵令嬢の魔力で補ってください」
「あっ待って」
言うが早いか、早速クロードは魔力を減らしていく。
「大丈夫、ラバール侯爵令嬢なら出来ますよ」
クロードの言葉に励まされるように魔力の出力を増やすが、どうしてか結界が波打ってしまう。
「落ち着いて。息を深く吐いて、結界の表面をできるだけ揺らさないように意識しましょう」
クロードの声で、深呼吸をして、再び取り組む。
「…………」
「出来ましたね」
集中していたせいか、クロードに言われてはっとする。
いつの間にか結界魔術を維持する魔力は全て私の物に置き換わっていた。
「この感覚を覚えると、意識せずとも発動できるようになります」
「はいっ……!」
けれど、自分の魔力だけで維持するのは難しく、数分もしないうちに結界魔術はパチンと弾けて消えてしまった。
「まだ、覚えていないのに」
「何度だって、お付き合い致しますよ」
「お願いします」
私はクロードが嫌な顔をしないのをいいことに、その後も何度も練習に付き合ってもらった。




