人体改造男女と愛、恋
近未来のこと、サイボーグ化した人間が、意識を入れ替えることが流行になった。
といっても、それは疑似的なものでサイバースペースを利用して疑似的にお互いを操作するという
簡易的なものだった。まるで、お互いの身体の一部をラジコンのように操作できるような簡易的なもの。(肉体の機械的拡張はこの時代では当然のこと)
そして、それは、恋人同士の流行だった。
操作できる範囲と時間が、違法改造によって極端に拡張されるまでは。その裏の違法な拡張が、その流行に思わぬ副作用をもたらした。
それを利用した男女の立場がいれかわると、長所が短所になることもあり、短所が長所になることもある。長時間いれかわった者たちの中には感覚や感情さえもお互い入れ替わったように感じられ
人格にさえ変化をきたしたものもいた。その中で不和がうまれることがあったのだ。
やっぱりおれたち、ていうか私たち……。
やっぱり私たち、いや、俺たち……。
男らしさが女らしさにかわることはなく
女らしさが男らしさにかわることはなく、
属性にもとめられていた期待が逆の形で帰ってくることが多くなり……。
そのうち、そのゲームの趣旨は変わり恋人同士がお互いを試す試練のように扱われるようになる。
そのゲームを乗り越える恋人同士はまれで、立場がかわっても愛し合う存在が、まるでタレントのように稀少な存在として扱われることさえもあった。
ただもうひとつ、それを別の形で利用する人々がいた。
喧嘩別れのような状態を演出して、もともと恋人でなかった人々が……。
(これでやっと自由になれるのね)
(こうすれば、このネットワークの中にいれば、延々と身分を隠しつづけられる)
意識のみならず、脳や体さえも入れ替え、それによって自分の身分や過去を抹消しようとする
人々がいたのだ。アンダーグラウンド系のメディアの取材の中で、その中の一組の言い分が最も有名なミームとなった。
“幸福とはお互いの過去を忘れるほど互いや自分を愛することができることだ”
“そういう意味では本当の恋人同士より恋人的だわ”
恋人とは、愛情とは、機械の介入やその方法によって形を変えるものなのか、そうではないのか、
未来ではそんなことが、ひとびとの恋愛的関心や話や議論の対象になっていた。