4
「このボケっ! なにが故障だ、ばかやろう」
「俺にいうなよ」
困り果てた男たちのかけあいが、何度めかのくりかえしにはいっていた。
「けどどーすんだよ、いったい。俺は知んねーかんなっ!」
「そんなこといわず、なんとか考えてくれよ、ピート」
「男はあきらめが肝心よ」
二人のあいだに、オクターブは高い声が割ってはいって、会話は一瞬とまる。
「シーラ……」
ジェイから、深いため息がこぼされた。
さっきは泣き付いてきたくせに、と思うが声には出さない。
三人は、ぽっかりと真っ暗な口をあけたエレベータの前にいた。いらいらと、ピートが床を踏みならす。
エレベータホールというには、はばの広すぎる通路があり、わずかなカーブをともなって暗やみのむこうにつづいていた。しかし彼らがエレベータに乗る前とは、明らかに異なる場所だ。懐中電灯をすこし振りまわしてやれば、わかる。
天井は高く二階分くらいで、階段とエスカレータが随所にあった。
エデンの玄関。地上に限りなく近いところ。
そもそも、なぜシーラまでそこにいるのかというと………。
ピートはジェイに自分たちが使う一基以外は一度動かしておけ、と指示したのだ。非常用エレベータの無断使用がばれたとき、すこしでも時間がかせげるようにだ。さすがにほかの箇所のエレベータまでは手がまわらないが、手を打たないよりはましだ。
ところが真ん中の二基を使用、停止させ、右端のエレベータも同様にしようとしたところ、それは反応しなかった。
ジェイは素直に、それは壊れているのだと解釈した。
そうして二人は左端の一基に乗りこみ、最上階層の地下二階をめざした。
そこは、ふたつのフロアで構成されているという話だった。ひとつは、かつて百万の人々をむかえいれたエントランス回廊。エデンの外周をなぞる通路だ。もうひとつは、太陽工場。エントランスの内側の広大なスペースだ。太陽工場の出入り口は一般市民には公開されていないが、エントランス回廊とつながっていないことは確かだという。
期待と不安をかかえ、降り立った二人の前にあらわれたのは、相変わらずの闇と、そして少女の泣き声だった。
「ジェイ、よかったあっ!」
懐中電灯の明かりに、彼女は飛びついてきた。
「か、階段おりてね、エレベータに乗って、ついたところで降りたんだけど、エレベータすぐにどっかいっちゃうしっ」
「かいだん?」
ジェイは彼女を受けとめながら、そんなものもそういえばあったな、と思い返す。四つならんだ扉の右どなりにそれらしき空洞が。
「も、もどれないかと…」
涙声でせつせつと訴えるシーラだったが、それに不快をいだくものがひとり。
「ジェイ、ちゃんと押さえてろよ! ここでエレベータにもどられたらおしまいなんだからな!」
エレベータに細工をしていたピートだった。 扉がしまれば、エレベータは最下層の定位置にもどる。そしてもう動かない。退路を残しておくには、このエレベータに彼らを待っていてもらう必要があった。
だから、扉がしまらないように、ピートは開閉ボタンの内側をいじっていた。扉をしめる時間を図るタイマー、そして手動でしめるボタン。その両方の回路を動力部から切断する。
そして、扉があいているかぎり、エレベータはつぎの手順へは移らないのだ。帰りは切断した一方の導線をつなげばいい。非常用で、外部制御がないからこそ使える手だった。
「よし、完了。ジェイ、そこどいてもいいぞ」
ここでようやくピートの頭脳が会話にまわされるようになり、あの堂々めぐりになるわけである。
*
大小、二足のスニーカーが並んでいる。
その先にはそれぞれ、お行儀よく山折りにされたジーンズと、それをかかえこむ腕とがついていた。
懐中電灯が描きだす手近なモチーフは、それだけだ。
二足のあいだに据えられた光源は、それより遠くを見つめ、まっすぐな光の道を形成した。しかし照らしだす対象をえられぬままかすれ、闇の前に霧散していた。
「ジェイ、どこまで行ったのかな」
じっと光のさきを見つめながら、シーラがいった。胸のうちの不安を素直に吐露したものだった。
ピートは、ほっと安心する自分を意識した。発言の内容に、というよりは、沈黙がやぶられたことに。
「さあ……ただ、君がエレベータでお留守番、ってのは変わらないよ。ゲームじゃないんだから」
そう、へたをすれば生きて戻れないという、これは文字どおり命懸けの取材だ。政府の秘密をあばこうという、政府への挑戦なのだ。
いくらピートが頼むと言ったからといって、よくジェイがついてきたなと思うくらいだ。
「わかってるってば。ピートって、もうちょっと嫌味のないしゃべり、できないの?」
「俺は必要最低限の確認をとってるだけなんだけど」
よくもまあいけしゃあしゃあと、とシーラは思ったが、言葉にはできなかった。
ピートが──沈黙に耐えかねてだろうが──どうやらなにか話したかったらしい。
「ジェイには言ってないんだけどさ、ほんとは俺、君を母親のもとに返そうと思ってたんだよね」
「えっ!?」
「知人にたのんで、あさっての…たぶんもう日付変わってるから、あしたの朝の尋ね人の放送にさ、君が一人でいるから迎えにきてほしい、みたいなメッセージをね」
「そんな、勝手にっ!」
「うん、でもそれが君に一番いいと思うからさ。常識なんかクソくらえの俺が推奨するんだ、間違いない。だから、なにがあっても、それまでにはお家にお帰んなさい」
普段のピートにはまるで似合わない、やさしく子どもに言い聞かせる調子だった。反論の出せない持っていき方だった。
「ずるいっ…! ずるい、ずるい、ずるい。だからオトナってきらいよ!」
「うん、きらいでいいから、帰りなさい」
おだやかに、つつみこむように彼がいう。
まだ親に守られてしかるべき子どもなのだから。在るべきところにお帰りと。いっぱしの大人ぶって。
感情の問題を置き去りにして、倫理だけを諭すのだ。
「きらい、きらい、だいっきらい! 最初っから、あたしからジェイをとっていくつもりだったんだ!? ママのことなんて、話さなければよかった!」
叫びながら、シーラは子どもじみた言葉しか出てこない自分を呪った。
彼女と同レベルで口論をしながら、ピートは大人の一面を隠しもっていた。だまされた気分だった。
そう思うと余計にみじめで、シーラは口をつぐんだ。ピートも、それ以上なにかを言おうとはしなかった。
沈黙が、また二人の間に横たわる。
けれど胸にいだいた気持ちは、一刻前のものとは変わっていた。シーラのうちには、煮えくりかえるような不条理な怒りが。そしてピートには、後悔にも似た罪悪感が。
三時間待っていてくれ、と通路のむこうに消えたジェイは、一向に帰ってくる気配がない。すぐ近くにある階段の終わりに、外につながるらしいハッチがあったのだが、ジェイはこれは開けないほうがいいようだ、と解放を断念したのだ。
そうして今、ジェイは外へつながる道を探しに行っている。まだ放射能汚染の濃い地上へ。手段を選ぶには、あまりにも時間も人脈もなさすぎたから。
静寂の時間が、流れているのかいないのか、わからないほどゆったりとした足取りでゆく。どうせなら止めてくれ、とピートは思う。それならば、思考も止められる。
結局さきに音をあげたのは、ピートだった。
「君にこれだけの気持ちがあるってわかってたら、やつを誘ったりしなかったよ」
言い訳めいた台詞がこぼれた。
口にして、その瞬間に後悔した。沈黙をくずすだけなら、ほかにいくらも言葉はあったろうに!
それをなかったことにすることは、できなかった。
少女がすぐに反応したからである。
「なにそれ…」
反射的にとびだした言葉は、すぐに本心からの糾弾に変わった。
「なにそれ! あたしじゃ役不足だと思ったから、ジェイを連れてきたっていうの!?」
彼を一人、エデンに残すくらいならと。
「バッカじゃない?」
シーラからは、手加減なしの非難がくりだされた。
「親友だなんて、ジェイのこと分かってないの、ピートの方じゃない! ジェイなら言うよ。親友が走るときは、ともに走りたいって! どんなに危険だって、たとえ──あ、あたしのことがあったって!!」
ああ、とピートは自覚する。
ジェイが、なぜ彼女を選んだか。その理由。本能の領域で嗅ぎつけた、その匂い。彼女がエデン生まれの少女ならば、まず信じたろう。核爆発で失くした、あの娘の生まれ変わりだと。
二人して想いをよせた、セイラ。
おなじ魂が、ここにある。
──ジェイ、俺たちは救われるのか?
「そんなこと、君に言われなくても知ってるさ」
「うそ。知らないでしょ。ううん、信じられないんでしょ、言ってもらえないと。だから、あたしが代わりに言ったげる」
「なんか、ひどい言われようじゃない、俺?」
「だって……言わないかもしれないじゃない」
「おや、自信のないことだね。ご心配なく、やつはそーゆー赤面もんの台詞は、意外と好きなんだぜ。超のつくお人好しだからな」
その存在に救われてきたのは、自分のほうだとピートは再確認する。
「なんの話? あたしはピートがジェイに弱音を吐かないんじゃないかって言ったのよ」
「!」
見事にやられた。
くっとのどもとに昇ってきたものを、ピートは押さえられなかった。また、押さえようとも思わなかった。
笑う。腹の底から、こみあげてくるままに。
「ピート…そこまでウケる?」
以前ひっかけられた、その仕返しのつもりだったのに。自分はどうしたらいいのか、と困ったシーラの言葉は、ピートをさらに笑わせた。
そして笑いころげながら、彼はふいをついて彼女を抱きよせた。
「ピートっ」
「しばらく、このままで」
きつく抱きしめられた中で、シーラはなにか言いかけたが、それは声にはならなかった。抱きつぶされてしまいそうな激情の中で、彼女はあらがわなかった。
あきらめたのか、許したのか。…知っていたのかもしれない。彼が泣いていると。
もうすぐ約束の三時間がやってくる。午前六時。地上では夜が明けているころだろう。
ピートの頭が現実に戻るのと、それはほぼ同時だった。
ドォン…と、暗やみのはるかむこうで地響きがした。ジェイが去っていった方角だ。
「な、なんの音?」
おどろいたシーラが顔をあげるまもなかった。
地鳴りとともに闇は突然、襲ってきた。その触手をふりあげて。
かたい、粒子の波がひとたび、二人をたたきつける。ピートがシーラをかばうようにして、数メートルくらいだろうか。流された。
静かになったところで、二人はそろそろと目をあけた。
懐中電灯が、二人よりもさらに後方に流されて、二人と、そして波の正体を照らしていた。
波は、砂の山だった。一瞬にして通路に流入してきた大量の砂だった。
「ジェイっ…!」
少女が、悲痛な叫びをあげる。
あいつ、とピートが事態を理解して体を起こしたとき、彼女はもう砂の山をのぼっていた。
「シーラ、やめろっ! これは汚染された砂だ!!」
ジェイが、彼女にだけは、ふれさせまいとしたものだ。
頑丈なハッチの向こうは砂だと判断した彼が、わざと遠くまでいって、開いた扉だ。
「そのとおりだ。俺の努力を無駄にしないでほしいな」
ふいに彼らのうしろで、耳慣れた声があがった。
「ジェイっ!?」
「きつかったぜ、ここまで流されるなんて思わなかった」
すこしもこりたところのない、いつもどおりの口調。手にした照明のスイッチを入れて、自分のいる位置を教える。
ピートがおそるおそる照らしてやると、そこには、たしかにジェイがいた。