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「このボケっ! なにが故障だ、ばかやろう」

「俺にいうなよ」


 困り果てた男たちのかけあいが、何度めかのくりかえしにはいっていた。


「けどどーすんだよ、いったい。俺は知んねーかんなっ!」

「そんなこといわず、なんとか考えてくれよ、ピート」

「男はあきらめが肝心よ」


 二人のあいだに、オクターブは高い声が割ってはいって、会話は一瞬とまる。


「シーラ……」


 ジェイから、深いため息がこぼされた。

 さっきは泣き付いてきたくせに、と思うが声には出さない。

 三人は、ぽっかりと真っ暗な口をあけたエレベータの前にいた。いらいらと、ピートが床を踏みならす。

 エレベータホールというには、はばの広すぎる通路があり、わずかなカーブをともなって暗やみのむこうにつづいていた。しかし彼らがエレベータに乗る前とは、明らかに異なる場所だ。懐中電灯をすこし振りまわしてやれば、わかる。

 天井は高く二階分くらいで、階段とエスカレータが随所にあった。

 エデンの玄関。地上に限りなく近いところ。

 そもそも、なぜシーラまでそこにいるのかというと………。




 ピートはジェイに自分たちが使う一基以外は一度動かしておけ、と指示したのだ。非常用エレベータの無断使用がばれたとき、すこしでも時間がかせげるようにだ。さすがにほかの箇所のエレベータまでは手がまわらないが、手を打たないよりはましだ。

 ところが真ん中の二基を使用、停止させ、右端のエレベータも同様にしようとしたところ、それは反応しなかった。

 ジェイは素直に、それは壊れているのだと解釈した。

 そうして二人は左端の一基に乗りこみ、最上階層の地下二階をめざした。

 そこは、ふたつのフロアで構成されているという話だった。ひとつは、かつて百万の人々をむかえいれたエントランス回廊。エデンの外周をなぞる通路だ。もうひとつは、太陽工場。エントランスの内側の広大なスペースだ。太陽工場の出入り口は一般市民には公開されていないが、エントランス回廊とつながっていないことは確かだという。

 期待と不安をかかえ、降り立った二人の前にあらわれたのは、相変わらずの闇と、そして少女の泣き声だった。


「ジェイ、よかったあっ!」


 懐中電灯の明かりに、彼女は飛びついてきた。


「か、階段おりてね、エレベータに乗って、ついたところで降りたんだけど、エレベータすぐにどっかいっちゃうしっ」

「かいだん?」


 ジェイは彼女を受けとめながら、そんなものもそういえばあったな、と思い返す。四つならんだ扉の右どなりにそれらしき空洞が。


「も、もどれないかと…」


 涙声でせつせつと訴えるシーラだったが、それに不快をいだくものがひとり。


「ジェイ、ちゃんと押さえてろよ! ここでエレベータにもどられたらおしまいなんだからな!」


 エレベータに細工をしていたピートだった。 扉がしまれば、エレベータは最下層の定位置にもどる。そしてもう動かない。退路を残しておくには、このエレベータに彼らを待っていてもらう必要があった。

 だから、扉がしまらないように、ピートは開閉ボタンの内側をいじっていた。扉をしめる時間を図るタイマー、そして手動でしめるボタン。その両方の回路を動力部から切断する。

 そして、扉があいているかぎり、エレベータはつぎの手順へは移らないのだ。帰りは切断した一方の導線をつなげばいい。非常用で、外部制御がないからこそ使える手だった。


「よし、完了。ジェイ、そこどいてもいいぞ」


 ここでようやくピートの頭脳が会話にまわされるようになり、あの堂々めぐりになるわけである。


  *


 大小、二足のスニーカーが並んでいる。

 その先にはそれぞれ、お行儀よく山折りにされたジーンズと、それをかかえこむ腕とがついていた。

 懐中電灯が描きだす手近なモチーフは、それだけだ。

 二足のあいだに据えられた光源は、それより遠くを見つめ、まっすぐな光の道を形成した。しかし照らしだす対象をえられぬままかすれ、闇の前に霧散していた。


「ジェイ、どこまで行ったのかな」


 じっと光のさきを見つめながら、シーラがいった。胸のうちの不安を素直に吐露したものだった。

 ピートは、ほっと安心する自分を意識した。発言の内容に、というよりは、沈黙がやぶられたことに。


「さあ……ただ、君がエレベータでお留守番、ってのは変わらないよ。ゲームじゃないんだから」


 そう、へたをすれば生きて戻れないという、これは文字どおり命懸けの取材だ。政府の秘密をあばこうという、政府への挑戦なのだ。

 いくらピートが頼むと言ったからといって、よくジェイがついてきたなと思うくらいだ。


「わかってるってば。ピートって、もうちょっと嫌味のないしゃべり、できないの?」

「俺は必要最低限の確認をとってるだけなんだけど」


 よくもまあいけしゃあしゃあと、とシーラは思ったが、言葉にはできなかった。

 ピートが──沈黙に耐えかねてだろうが──どうやらなにか話したかったらしい。


「ジェイには言ってないんだけどさ、ほんとは俺、君を母親のもとに返そうと思ってたんだよね」

「えっ!?」

「知人にたのんで、あさっての…たぶんもう日付変わってるから、あしたの朝の尋ね人の放送にさ、君が一人でいるから迎えにきてほしい、みたいなメッセージをね」

「そんな、勝手にっ!」

「うん、でもそれが君に一番いいと思うからさ。常識なんかクソくらえの俺が推奨するんだ、間違いない。だから、なにがあっても、それまでにはお家にお帰んなさい」


 普段のピートにはまるで似合わない、やさしく子どもに言い聞かせる調子だった。反論の出せない持っていき方だった。


「ずるいっ…! ずるい、ずるい、ずるい。だからオトナってきらいよ!」

「うん、きらいでいいから、帰りなさい」


 おだやかに、つつみこむように彼がいう。

 まだ親に守られてしかるべき子どもなのだから。在るべきところにお帰りと。いっぱしの大人ぶって。

 感情の問題を置き去りにして、倫理だけを諭すのだ。


「きらい、きらい、だいっきらい! 最初っから、あたしからジェイをとっていくつもりだったんだ!? ママのことなんて、話さなければよかった!」


 叫びながら、シーラは子どもじみた言葉しか出てこない自分を呪った。

 彼女と同レベルで口論をしながら、ピートは大人の一面を隠しもっていた。だまされた気分だった。

 そう思うと余計にみじめで、シーラは口をつぐんだ。ピートも、それ以上なにかを言おうとはしなかった。

 沈黙が、また二人の間に横たわる。

 けれど胸にいだいた気持ちは、一刻前のものとは変わっていた。シーラのうちには、煮えくりかえるような不条理な怒りが。そしてピートには、後悔にも似た罪悪感が。

 三時間待っていてくれ、と通路のむこうに消えたジェイは、一向に帰ってくる気配がない。すぐ近くにある階段の終わりに、外につながるらしいハッチがあったのだが、ジェイはこれは開けないほうがいいようだ、と解放を断念したのだ。

 そうして今、ジェイは外へつながる道を探しに行っている。まだ放射能汚染の濃い地上へ。手段を選ぶには、あまりにも時間も人脈もなさすぎたから。

 静寂の時間が、流れているのかいないのか、わからないほどゆったりとした足取りでゆく。どうせなら止めてくれ、とピートは思う。それならば、思考も止められる。

 結局さきに音をあげたのは、ピートだった。


「君にこれだけの気持ちがあるってわかってたら、やつを誘ったりしなかったよ」


 言い訳めいた台詞がこぼれた。

 口にして、その瞬間に後悔した。沈黙をくずすだけなら、ほかにいくらも言葉はあったろうに!

 それをなかったことにすることは、できなかった。

 少女がすぐに反応したからである。


「なにそれ…」


 反射的にとびだした言葉は、すぐに本心からの糾弾に変わった。


「なにそれ! あたしじゃ役不足だと思ったから、ジェイを連れてきたっていうの!?」


 彼を一人、エデンに残すくらいならと。


「バッカじゃない?」


 シーラからは、手加減なしの非難がくりだされた。


「親友だなんて、ジェイのこと分かってないの、ピートの方じゃない! ジェイなら言うよ。親友が走るときは、ともに走りたいって! どんなに危険だって、たとえ──あ、あたしのことがあったって!!」


 ああ、とピートは自覚する。

 ジェイが、なぜ彼女を選んだか。その理由。本能の領域で嗅ぎつけた、その匂い。彼女がエデン生まれの少女ならば、まず信じたろう。核爆発で失くした、あの()の生まれ変わりだと。

 二人して想いをよせた、セイラ。

 おなじ魂が、ここにある。


──ジェイ、俺たちは救われるのか?


「そんなこと、君に言われなくても知ってるさ」

「うそ。知らないでしょ。ううん、信じられないんでしょ、言ってもらえないと。だから、あたしが代わりに言ったげる」

「なんか、ひどい言われようじゃない、俺?」

「だって……言わないかもしれないじゃない」

「おや、自信のないことだね。ご心配なく、やつはそーゆー赤面もんの台詞は、意外と好きなんだぜ。超のつくお人好しだからな」


 その存在に救われてきたのは、自分のほうだとピートは再確認する。


「なんの話? あたしはピートがジェイに弱音を吐かないんじゃないかって言ったのよ」

「!」


 見事にやられた。

 くっとのどもとに昇ってきたものを、ピートは押さえられなかった。また、押さえようとも思わなかった。

 笑う。腹の底から、こみあげてくるままに。


「ピート…そこまでウケる?」


 以前ひっかけられた、その仕返しのつもりだったのに。自分はどうしたらいいのか、と困ったシーラの言葉は、ピートをさらに笑わせた。

 そして笑いころげながら、彼はふいをついて彼女を抱きよせた。


「ピートっ」

「しばらく、このままで」


 きつく抱きしめられた中で、シーラはなにか言いかけたが、それは声にはならなかった。抱きつぶされてしまいそうな激情の中で、彼女はあらがわなかった。

 あきらめたのか、許したのか。…知っていたのかもしれない。彼が泣いていると。

 もうすぐ約束の三時間がやってくる。午前六時。地上では夜が明けているころだろう。

 ピートの頭が現実に戻るのと、それはほぼ同時だった。

 ドォン…と、暗やみのはるかむこうで地響きがした。ジェイが去っていった方角だ。


「な、なんの音?」


 おどろいたシーラが顔をあげるまもなかった。

 地鳴りとともに闇は突然、襲ってきた。その触手をふりあげて。

 かたい、粒子の波がひとたび、二人をたたきつける。ピートがシーラをかばうようにして、数メートルくらいだろうか。流された。

 静かになったところで、二人はそろそろと目をあけた。

 懐中電灯が、二人よりもさらに後方に流されて、二人と、そして波の正体を照らしていた。

 波は、砂の山だった。一瞬にして通路に流入してきた大量の砂だった。


「ジェイっ…!」


 少女が、悲痛な叫びをあげる。

 あいつ、とピートが事態を理解して体を起こしたとき、彼女はもう砂の山をのぼっていた。


「シーラ、やめろっ! これは汚染された砂だ!!」


 ジェイが、彼女にだけは、ふれさせまいとしたものだ。

 頑丈なハッチの向こうは砂だと判断した彼が、わざと遠くまでいって、開いた扉だ。


「そのとおりだ。俺の努力を無駄にしないでほしいな」


 ふいに彼らのうしろで、耳慣れた声があがった。


「ジェイっ!?」

「きつかったぜ、ここまで流されるなんて思わなかった」


 すこしもこりたところのない、いつもどおりの口調。手にした照明のスイッチを入れて、自分のいる位置を教える。

 ピートがおそるおそる照らしてやると、そこには、たしかにジェイがいた。


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