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 フィットネスクラブの一般解放がはじまる、すこし前。

 暗やみに沈んだ『ホーム』が、静寂につつまれる時間帯である。エネルギーの有り余った者たちも、一般解放の時間にそなえてどこかでおとなしくしている。

 ジェイは着替えのため、自分の家に帰ってきていた。一日のうちで唯一、心静かにいられる貴重な時間だ。

 しずかに暮らしたい。

 それは、ここ十年来の彼の願いだった。それが太陽工場のシステム・ダウン後なぜか、ハードな仕事に追われ、そのあとも女の子の相手をしていたりする。そして、自分でも一番驚いているのは、そんな自分をわりと気に入っていることだ。

 懐中電灯をつかい、引き出しの中の数少ない着替えをあさりながら、ジェイは複雑な胸中にため息を落とした。

 そこへ。


「おっはようさーん! ジェーイ!」


 ふいに静寂をやぶる声がひびいた。

 インターホンがつかえないため、玄関のドアをたたきながら、ジェイの名を連呼する。 当のジェイは、その日の着替えを思わず取り落としてしまった。その声は、聞き覚えがある、どころではなかった。


「ジェイ、ジェイ、ジェイ、いないのー?」


 悩みなどまるでなし、といった感じの能天気ボイス。無邪気さを装って、大声で名前をくりかえす。いままでもさんざん、ジェイのしずかな生活に間をさしてくれた張本人だ。

 ドアを開けるまで続けるつもりだろう。また、すぐに応じないと、はじまるのだ。一番いやな呼び方が。


「居留守つかう気ぃ? うさぎのジェーイ。ABCDEFG、エイチ───」

「だからそれはやめろっっ!!」

「…アイ、ジェイ。なんだ、いるじゃん」


 ジェイが怒声とともにドアを開けると、手持ちの懐中電灯で自分を照らし、彼はにっこりとほほえんだ。


「遠慮なく、よろこんでくれていいぞ。親友の無事が分かってうれしいだろう」

「ピート……」


  *


「へーえ、大学時代からのおトモダチぃ」

「そう。なのにあいつってば薄情もんでね。親友に無事の連絡ひとつよこさないの。あのことなかれ男が死んでるわきゃないとは思ってたけど、家にいるはずの夜にいっても応答なしだしさ。やっと今朝つかまえたってわけ」


 フィットネスクラブのメインフロアで、三十前後のやさ男と、十代なかばの少女がソファにならんで座っていた。

 ワインレッドのキャミソールワンピを着た少女は、両手をうしろについて重心をかけ、無造作に足を前に投げ出していた。ひざのうえには、薄紅色のレースのカーディガンがある。シーラである。

 一方、やさ男はジェイとおなじ亜麻色の髪をしていた。しかし瞳は若草色で、背も百七十そこそこといった感じ。ロゴいりTシャツとGパンを、ラフでなく、カジュアルに着こなしていた。ジーンズのポケットからは、黒っぽい真鍮の鎖がのぞく。


「ね、聞いていい? その鎖、なに?」

「これ? 懐中時計だよ。腕時計はうっとうしいから」


 男はポケットからそれを取り出し、シーラにみせた。文字盤はインディアンの横顔の金のレリーフだった。


「ふうん。グラサンはしないの? 黄色のかっこいいのとか。いま流行ってるじゃない」

「俺はこうみえても実用本位でね、飾りものはもたない主義なのさ」

「しゅぎ……」


 聞き慣れない言葉に、シーラはぽかんとした。『実用本位』や『主義』なんて、論文の中だけのものだと思っていたのだ。年齢のせいもあろうが、彼女のまわりでこんな単語が会話にでてくることは、まずなかった。

 話題もオシャレやおいしいお菓子の話、それに恋の話で一日がすぎた。


「…お兄さん、かっこつけ?」

「文筆家といってくれないか。やつとちがって、線も細いだろ?」


 そういって、彼はにっこりとほほえむと、どこからかマジックを取り出した。

 キャップをはずし、シーラの腕をつかまえる。


「覚えておいて」

「わっ、くすぐったい」


 シーラが笑い声をあげたとき、彼女のホゴシャはやってきた。


「ピートっ!? おまえ、なにしてやがる!! その娘は知り合いのあずかりもんで…」

「俺にそんな嘘をついてどうする。おまえの知り合いなんか、この寛大な俺サマくらいなもんだろうが。あいかわらずだな、アルファベットのジェイ」

「バカといいたいなら、素直にそういえっ」

「じゃあ遠慮なく、ばかジェイ。俺はサインをしてただけだ」


 ピートは、ほらみろと、少女の右腕をジェイの前につきだした。

 そこには大きく走り書きで、Peteとあった。


  *


「ジェイ、その質問、もう七回目だよ」


 フィットネスクラブからの帰り、シーラはうんざりしたように言った。ピートはもう退散してしまっていた。どうも顔見せにきただけらしい。

 ジェイは、二人になったとたん、なにか余計なことを聞いていないかとそればっかりだ。だれでもいい加減にしてと思うだろう。


「ほんとうに、なにも?」

「ジェイが期待するような話はしてないわよ」

「なあ、シーラ。たのむよ」

「しつこいっ! なにを知られたくないのか知らないけど、あの人とは世間話しかしてない。なにそんなカリカリしてんのよ? おかしいよ、ジェイがこんなしつこい人だったなんて思わなかったっ」


 最後は怒り口調でたたきつけた。この話はこれで終わり、と口をつぐむ。

 それきり、ちがう話も出ず、暗やみの中に沈黙が横たわった。懐中電灯の明かりだけが多弁に、つぎからつぎへと照らしだす対象を変えていった。

 もう慣れたはずの、道行き。けれどあたりの闇とは正反対にまぶしい光に、シーラはめまいを覚えた。


 ほんとうは、すこし聞いていた。

 ピートが最初にいった言葉が、ずっと頭の中でまわっている。音楽をエンドレスで流すように、くりかえし。


『お嬢さん、ジェイと一緒にきた人だろう? やつは核爆発のときに家族も恋人もなくしてるって、知ってた?』


 彼は、もしシーラが望むなら、くわしい話をしてあげる、とも言った。彼女はそれに飛びついて、約束をした。それからようやく彼が何者かというところに考えがいった。

 そして彼は、大学のときの友達だとこたえたわけだ。ジェイとピートの大学時代。まだ、世界が放射能にしずむ前の話だ……。


  *


 ピートは約束どおり、ジェイが仕事にいったあと、シーラの家にやってきた。

 シーラは彼に、ダイニングの椅子をすすめ、インスタントのコーヒーをいれた。いまどき木製のテーブルと椅子はめずらしい、と彼は言った。


「左を照らしてみて。食器棚も木製だから」

「ほんとだ。統一されてるんだね」


 ピートは、懐中電灯で他人の家をしげしげとながめまわした。そこには他愛のない興味だけがある。

 シーラはすこし皮肉な気持ちになり、理由を教えることにした。


「母が好きだったのよ」


 つめたく突き放すような『母』の言葉には、さすがのピートもとまどったようだ。


「へえ……お母さんは、いまどこに?」

「あたしのパパを探す放送を聞いて、ママのところへおいでって放送をかけてたけど…再婚相手がいるし、異父弟もいるしね……」

「それ、ジェイには」

「ママは死んだって言ってる。だって、あたしにはジェイのほうがずっとずっといいもの。さあ、あたしは本当のことを話したわ。今度はあなたが話して。ジェイのことを、教えて」

「分かった」


 ピートは懐中電灯をOFFにした。シーラもそれに異を唱えなかった。コーヒーの香りだけが、空間を支配した。


「その前に聞くけど……核爆発については、どう認識してるの?」

「たぶん、ちゃんと分かってると思うわ」

「エデンがモデル都市だったことも?」

「うん。未来型の…地下モデル都市だったんでしょ? 未来都市博覧会が行なわれる予定だったって」


 核爆発以前、世界は限界にきていた。

 紫外線や、温暖化も深刻だった。しかしもっとも深刻だったのは、人口爆発だった。人の住める場所が足りなかった。食料が、畑が足りなかった。反対に砂漠化や汚染が原因で居住不可能な土地は増える一方だった。

 そこで、地下に百万人都市をつくろうという『楽園』プロジェクトが生まれたのだ。その結果をみて、第二、第三の地下都市ができてゆくはずだった。


 そして十一年前。

 エデンが未来型地下都市として完成。記念都市博が企画された。たくさんの著名人が招かれ、博覧会の期間中、住民の役をするエキストラが公募された。あなたも未来都市の住民になってみませんか。そういうコピーだったと思う。

 けれど、ついに博覧会が開催されることはなかった。

 その前日に、世界中で核爆発が起こったからだ。核施設もあったろうし、核爆弾もあっただろう。とにかく、生物のいきる場所は、エデンのほかになくなった。


「実際、思い切ったもんだと思ったよ」


 ピートは、軽い口調でシーラのあとをつづけた。


「あ、俺はエキストラに当選して、ここに来たんだけどね。新聞記者の役でさ」

「いまだって新聞記者なんでしょ? 好きな時間に起きて、文章を書くだけのいいご身分だってジェイが言ってたわ。新聞記者って、情報集めに走りまわるたいへんなお仕事だと思ってたけど、ちがうのね」

「基本的にはそうなんだけどね、俺の場合はネタ集めの天才と一緒に仕事しててさ、そいつが文才ゼロだから、俺が文章を請け負ってるの」

「なんか、ピートのほうがラクしてない?」

「だんっじて、ちがう。古くなったスシネタをだれが食う? そいつが調達してきた魚を俺が新しいうちにさばいて客に出してんだから、俺のほうがダイジな仕事してんに決まってるでしょ」

「へんなたとえ」

「シーラちゃん…」


 自称、文筆家の力説を十代の少女に一蹴され、ピートは言葉をつまらせたが、それはそれ、持ち前の切り替えのはやさで、すぐに気をとりなおした。


「話を戻そう。きみの中で、核爆発はどんな事象?」

「…ジェイの話をしてくれるんじゃなかったの?」


 いいかげん、じれったくなっていたシーラは、そうふった。核爆発がどうのとかそういう議論を聞きたいわけではなかった。彼女にとってそれは、物心つく前の、おとなたちの勝手なふるまいであって、それ以上のものではありえなかった。

 彼女のいまの関心は、ジェイにあった。赤の他人である彼女に救いの手を差しのべてくれた、やさしい人に。


「言ったろ、核爆発で家族をなくしたって」


 気のない声で、ピートが応じた。


「それから?」

「それだけさ」


 まるで当たり前のことをわざわざ確認するなとでもいいたげに、彼は突っぱねる。

 そしてつぎにきた言葉は、シーラの想像を越えたものだった。


「ちょっと期待はずれだったな。きみは好意をもってくれたんだと思ったのに」

「は? なに、それ」


 とまどう彼女に、ピートはなんの前触れもなく懐中電灯の光をぶつけた。木製の机を差しはさんだ向かいで、少女がまぶしそうに腕で顔をかばった。


「ピート!?」

「ほら。きょうはボーダーのTシャツに…したはジーンズだったよね?」

「それがなに!?」


 わけのわからない質問ばかりをぶつけられて、声のトーンも跳ねあがった。

 ピートは、つけたときと同じように、気紛れに懐中電灯のスイッチを切った。


「明るい電灯の下で、あれはだれの気を引くためのおしゃれだったの?」

「!」


 そのとき駆け抜けた戦慄を、シーラは忘れない。

 だれか適当な男を引っかけたくてしてたんじゃないの? だから家を訪ねると約束したのに。

 そうピートは言ったのだと思った。あとは言葉が口をついて出てきてくれた。


「だ…だって、あなた言ったじゃない! ジェイの話を聞かせてくれるって!! 親友なんでしょ!? ジェイと仲良く話してたし、あたし、まだおいしくないしっ」

「なんの話? 俺は、きみがジェイに好意をもってるんじゃないかと思ったんだけど」

「……え?」

「ちがうの? まあ、いいや。知ってる? ジェイは、私服は三着しかもってないんだ」

「えっ!?」


 ピートのふった話題に反応してから、シーラはハッとした。はめられた。

 彼のペースに乗せられている。


「あなた……そうやって、いつもはぐらかすの?」


 そのまま流されるのでは気持ちが収まらないので、問いかけた。つとめて冷静に。


「俺はいつも紳士だよ」

「よくいう」

「ジェイの話が聞きたいっていうから、したのに。なにがご不満?」

「ぜんっぜん不満よ。あたし、ほんとにあせったんだから」

「ああ、おいしくないとかいうやつ?」


 ご丁寧に繰り返して、おまけに含み笑いまで付け加えてくれる。のどもとまでこみあげた怒りを、彼女はかろうじて嫌味にすりかえた。ここで感情にはしったら負けだ。


「いい性格ね。友達がいないのって、ピートのほうじゃないの」

「残念でした。友達なら携帯の電話帳におさまりきらないほどいるよ」

「あ…そ。それは良かったわ。あたしがふたりめの友達だなんて、お断わりだもの」

「安心してくれ。俺も十代の女の子には興味ないから」


 にこにこ、にこにこ。

 嫌味なピートの笑みが視える。

 シーラは、手探りでマグカップをすくいあげると、コーヒーをひとくち含んだ。真っ暗でなにも見えないというのに、表情が分かってしまうというのは嬉しくない。…いやな相手のいやな表情だからだろうけれど。

 ふっと軽く身動きする息づかいが暗やみをゆらした。


「んで、ジェイのやつなんだけどさ」


 説明的なひびきをもって、テノールの声が口火をきった。


「あいつ、エデンにきた当初は私服の一着も持ってなかったの。でもそれで飲みにこられちゃ、俺がたまらない。だから俺が選んで買わせてやったんだ」

「でもあたし、制服のジェイしか見たことないよ」


 シーラも今度は、素直にピートの話に乗った。


「あいつ、俺がいわなきゃ私服なんか来てこないから。あんなものぐさ、そうそういないと思うね」

「ね、ジェイの家族の話は?」

「家族? 両親と弟がひとり。仲よかったな。いい家族だったよ。でもおかげでやつは、うさぎになっちまったんだろうな」

「うさぎ?」

「そ、知らない? うさぎはさみしいと生きていけないんだって。俺がいなきゃ、いまごろやつはいなかっただろうな」


 さみしくて、生きていけない。

 さらりといわれた分だけ、その事実は重いような気がした。現実のジェイは、一人を好んだふるまいをしているのに。

 孤独の少女を見捨てられない。

 それは、彼自身がかさなるから?

 核爆発を、彼はいまでも恨んでいるのだろうか。なくした過去を胸にだいて、泣いているのだろうか。


「あ…あたしでは埋めてあげられない?」


 自分でも驚くほど、かぼそい声がもれた。


「むりだね」


 あっさりとピートが否定する。彼女の何十倍もジェイをみてきた、その人が。


「きみでは、やつを動かしきれない。はやいとこ、あきらめたほうが賢明だと思うよ」


 ひざの上に置いたこぶしを、少女はきゅっと握りしめた。

 自分になにが足りないのか、分からなかった。そしてそれ以上に、ジェイの心が分からなかった。

 彼は、シーラにただやさしいだけだった。 そして彼女は、彼に父親を求めていただけだった。


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