表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

 湯けむりの中、気持ち程度の間仕切りの下に、きたえられた男の脚がずらりとならんでいる。フィットネスクラブの、シャワールームである。

 そこでは、一日の苛酷な労働をおえた警官たちが汗を流していた。


「お隣さんはジェイかい? せっかく物をみるのに不自由しない明るさがあるってのに、博物館みたいに野郎どもの足ばっかりならんでるなんて、ナンセンスだと思わないか?」

「まったくだな」


 となりの男に話かけられて、ジェイは応じた。


「ま、暗やみの中でのセックスも、なかなかオツなものだけどさ。おまえは相変わらず、子守やってんの?」

「まあ…」

「ごくろうさんだね、ただでさえ仕事がこんなにハードになったってのに」

「ああ、十二時間労働は勘弁してほしいよな」


 ジェイがそういうと、男は苦笑したようだった。


「じゃ、お先に」

「おつかれ」


 となりでシャワーを使っていた男は、さっさとそこをあとにした。真っ暗な家で、イイヒトが待っているのだろう。

 ジェイは、シャワーの蛇口に手をかけた。湯の勢いを強くする。遠い昔にあの娘と打たれた嵐にも負けないくらい、強く。

 鼓膜を打つ水音が、心地よかった。




 地上にある太陽工場が、落雷でシステム・ダウンしたのは、一週間前のことだった。

 太陽エネルギーに頼っていた文明は、無用の長物と化した。ゴミ焼却にともなう火力発電は微々たるもので、浄化水の供給も制限された。

 エデン政府は、住宅階層に散在するフィットネスクラブのシャワールームと主要エレベータ(交通手段)、それに病院の手術室のみに電気をゆるした。そして、各家庭にはトイレの水の供給だけが行なわれた。

 人々は、暗やみの中で、限られた生活を強要された。フィットネスクラブで食料とお湯、生活必需品──たとえば、トイレットペーパーなどだ──と懐中電灯の充電池が配給された。

 だが、それだけだった。

 学校は休校、大人たちも仕事場が閉鎖。政府は、太陽工場の復旧に全力をそそいでいるというばかり。

 はたしてフラストレーション発散の場をもとめる、時間だけは持てあました連中が大量発生したというわけだ。

 警察官は、フィットネスクラブのシャワールームを一般解放する十二時間、フル体制で警備にかりだされた。そして、シャワールーム一般解放の終了後にようやく一日の汗を流すことができたのだ。(それ以外の時間帯の犯罪に関しては、警察は関知しない。それはエネルギーの余った者同士の、ちょっと過激な運動であるので)


  *


 フィットネスクラブのメインフロアは、白っぽい大理石で、落ち着いた上品さが演出されていた。

 圧迫感のない、適度なひろさをもった空間。ゆったりめのソファが用意され、計算された位置に、計算された形で潅木がならぶ。

 しかしフロア内にもうけられた滝のオブジェに水はなく、代わりににわかづくりの給湯コーナーやコインランドリー利用案内のはり紙などがあった。受付のカウンターも、食料品やトイレットペーパーなど日用品の山に埋もれている。


 ジェイが、クリーム地に青のポイントのはいった制服をきこんで、メインフロアにやってくると、十代半ばの少女が彼を待っていた。

 警察官とその家族が利用する時間帯なので、ほかに人影はまばらだ。

 いったいどんな早業をつかっているのか、ブローとセットをすませて、エントランスにほどちかい潅木のわきに、少女は立っていた。

 栗色の髪をまっすぐ背中にながし、前髪はかるくまいていた。髪と同色の瞳。目鼻立ちははっきりとしていて、将来有望だ。白のミニスカートに紫の花柄のキャミソール、ヒールのある白のサンダルといったスタイルが、またよく似合っている。足の爪には、きれいな空色がぬられていた。


「シーラ」

「おっそい。男のくせに、女を待たせるんじゃないわよ」


 かわいらしい顔をした少女は、開口一番にそう言った。


「もう…髪もかわかしっぱなしだし。だっさださ。これじゃあ三十四で売れ残ってるってのもうなずけるわね」

「洗濯は?」

「終了。水筒にお湯ももらったし、食料の配給もOKだし。帰り支度はできてる」

「じゃあ、帰るか。そのまえに、シーラ…」

「はいはいはい、カーディガンを羽織れっていうんでしょ。いまはアツいの、あとで羽織るわ」


 棒のように細い腕に白いカーディガンをちょんと引っかけて、シーラはジェイを見上げた。

 じつはこれはジェイの再三の要請の結果、ようやくお目見えしたものである。

 インナーはキャミソールしかもってない、と彼女は最初、カーディガンさえも用意してこなかった。しかし明るいフィットネスクラブの中では男どもの注目の的だし、懐中電灯のうすらあかりでは、なお挑発的だった。それで上着をきるようにお願いしたのだ。

 ジェイのとがめるような視線を受けて、シーラはすぐに折れた。


「わかったわよ。その代わり、ジェイの髪、セットさせてよね」


 美容師志望の少女は、カーディガンを羽織ると、気を取り直し、ムースとコームを取り出した。

 ジェイはおとなしく、メインフロアのソファに腰をおろした。

 正直いうと、こういう時間はきらいではなかった。シーラの真剣なまなざしが、背中ごしに感じられるから。


  *


 光を失ったエデンの朝は、午前八時にはじまる。

 人々の生活の舞台である『ホーム』全館にゆきわたった非常用のスピーカーをとおし、館内放送というべきものがあるのだ。だいたいはその日の配給物資の内容を住民につげるものだった。


「まーいにち、おんなじ内容っ。たまには、『きのうとおんなじです』くらいいえばいいのに。もう一字一句覚えちゃった」


 暗やみの中、少女の声が放送に対抗した。

 ちかごろ、ジェイの目覚ましは館内放送とこの少女のモーニングコールであったりする。足首から先がはみだしてしまうやわらかなベッドも、自分のものではない。

 なぜこんなことになったのか。それは神のみぞ知る、である。太陽工場がシステム・ダウンしたのも、シーラの家に通うようになったのも、偶然のなりゆきだった。


「ね、ジェイってば」


 あわいモスグリーン色だというサテンのつるつるしたシーツを引っぱって、少女が返答をもとめた。彼女はもうベッドから起きだしていて、着替えもすませている。真っ暗でなにもみえなくても分かる。それがここ一週間の日常なのだ。


「ジェイ、もしかしてまだ寝てるの?」

「……ええっと、なんの話だっけ?」


 しつこくシーツの端をつかんでくるまりながら、ジェイは声だけ返した。


「館内放送のことに決まってるでしょっ! 起きてるんなら、身動きぐらいしてよね。音がしないとなんにも分からないんだから」

「ああ……『きのうとおんなじです』とかいうやつ? いいんじゃねえの? どんな文句でも、時報とおもえば──」

「しぃっ! ちょっとだまって」


 ふいにシーラがさえぎった。

 ジェイが不平をならす間もなく、ベッドがきしむ。シーラが腰をおろしたのだ。そこに人がいると気配で確認できる距離だった。

 館内放送は、時報から日々変化する尋ね人の放送に移っていた。


『……どこかでこの放送を聞いていますか。連絡を待っています……』


 シーラがシーツの端をきゅっとにぎりしめる。引っぱられるシーツの感触とともに、ぴんと張り詰めた気配がジェイにも伝わってきた。

 太陽工場がシステム・ダウンした日、混乱の中でたくさんの死傷者がでた。しかしままならぬ文明のもとでは、正確な統計もなにもなかった。遺体は、身元確認なしに処分された。けれど、重傷で病院に運ばれたものもいる。

 この放送は、混乱の日から行方不明の家族をさがす人々のものだった。最後の望みのつなだ。


『……は、ここまでです。読み上げられなかった方はごめんなさい。また明日のメッセージにご応募ねがいます。では、みなさん、家をでるときはくれぐれもお気をつけて』


「今日はなかったな。おまえの」


 放送が終了したところで、ジェイが言った。シーラは答えない。

 ジェイはベッドの上で身体を起こすと、華奢な少女を抱きこんだ。

 自分のメッセージが流れようと流れまいと、彼女は泣くのだ。一向に帰ってこない父親を、たったひとりの家族を想って。

 抱きしめると、視界がきかない分、たがいのぬくもりだけが伝わった。夜、眠れないと訴える彼女にそうするのとおなじように、ジェイはただ抱きしめた。


「シーラ」


 少女の肩がかすかにふるえる。彼女は、ちいさな両の手でジェイの腕をかかえこみ、あつい雫をこぼした。

 このちいさな身体で、彼女はずっと不安に耐えている。このままでは永久に一人になってしまうという不安に。

 いつか真実をおおう暗やみは明け、審判の日はやってくるのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ