プロローグ
こんなにたくさんの人をみるのは、核爆発さわぎのとき以来だと思う。
みな、われさきにと建物の外をもとめた。おそらくは本能の領域で、建物の中に閉じこめられたら終わりだと感じたのだろう。
ジェイは、すこし出おくれて、建物の中の通路をうろうろとしていた。
非常階段にはすでに人が殺到していて、とてもその群衆の中に割ってはいることができなかったのだ。いや、実際問題、彼が人をかきわけてゆくことは可能だった。
高さ三メートルの天井に、あと一メートルというところまで迫った長身。きたえぬかれたボディは、三十なかばにさしかかったいまも健在である。ついでに腰には拳銃もある。
ただ、人よりも頭ひとつ分以上は高いところにある亜麻色の目は、小動物のもつものだった。そしてクリーム地を基調とし、袖口やポケットなどにポイントとして青がはいる制服は、警察官のものだった。
彼をよく知る人物なら、彼をうさぎの目をしたライオンにたとえる。人をおしのけるなど、うさぎ目のジェイには考えられなかった。
ついでにいうと、非常時にはパニック状態の人々をうまく誘導するという警察官の職務も、彼の仕事ではありえなかった。
「きゃああああっ!」
あちこちで悲鳴があがり、ついにおそれていた事態はおきた。非常灯が消え、視界が暗転した。非常用の電源もつきてしまったのだ。
人々を、より一層のパニックがおそった。どこへむかうともわからぬままに押し合い、つきとばす。あるいは、手近にいるものに殴りかかる。
惨劇は目にはみえず、それがさらに人々の恐怖と凶暴性をあおった。
群衆から距離をおいていたジェイは、その混乱の叫びを、ただ聞いていた。
「きゃっっ!!」
ふいに耳もとで、まだ大人になりきっていない少女の声があがった。同時に、ジェイの足にぶつかってきたものがある。
どうやら、少女がおとなたちに弾きだされたらしい。
「大丈夫か?」
ジェイは、目がきかないながらも、少女をおこそうと手をさしのべた。幸いすぐに少女のものらしい、ほっそりとした腕をつかむのに成功する。とたん、女性特有のかん高い悲鳴攻撃にあった。
「どこさわってんのよ、このちかん!」
「いや俺は、きみを起こそうとおもって…」
「あ、足をさわりながらいうセリフじゃないでしょっ!」
「あし?」
「はなしてよ、立てないじゃないっ! すけべっ」
なおもまくしたてる彼女に、ジェイはようやく事態を理解し、手をひいた。
「す…すす、すまんっ! いや、つかんだ感じが細いからてっきり…」
「つかんだ感じ? いやらしい、もうっ! さいってーっ」
解放された少女は、遠慮なくジェイの足をつかまり木がわりにして、立ち上がった。
ぱんぱんとスカートかなにかをはたく音がそれにつづく。
どうしたものかと、こまってジェイが立ち尽くしていると、少女のほうが口火をきった。
「…さっきは、ちょっと言い過ぎたわ。あたしを助けおこそうとしてくれたのよね」
ジェイがなにもしてこないので、誤解をといたというところだろう。実際、自分の手を目の前にかざしてみても、暗やみはさっぱり動かないのだ。
「あたし、シーラ。十四歳。ねえ、なにがおこったの? とつぜん太陽が消えたって大騒ぎになって、電灯も消えちゃうし。友達ともはぐれちゃうし」
少女はすなおな不安を、ジェイに訴えた。この混乱にまきこまれていない、そしてとりあえずは安全そうな男に。
「いや、それは俺も…パトロール中で、なにがなんだか」
人々の混乱の叫びは、まだ収まっていない。
「そうだな。こういうときは、混乱がおさまるまで、待つことだろうな。俺は、ジェイ。三十四歳。一応、警察官だ。しばらく様子をみてみようか」
『エデン』は、十一年前の核爆発を乗り越えた唯一の地下シェルター都市だった。
エデンの造りは、野球のドーム球場にたとえられる。
球場のグラウンドにあたる部分は『フィールド』と呼ばれ、畑とみどりの草原だった。また、池もあった。畑では作物が育ち、草原では牧畜が飼われた。池はちいさな海として、魚や海草、プランクトンなど多種多様な生き物を育んだ。
球場の観客席にあたる部分は、巨大な一連のドーナツ状の建物だった。
『ホーム』という。ひとの居住区である。
採光をよくするため、階段状に外側にむかって階層が積みかさねられていた。建物の屋上はバルコニーで、人々の身近な公園として色とりどりの植物が育てられた。
そして、球場内をあかるくするたくさんのライトのかわりに、エデンには『太陽』があった。ドーム状の有限の『空』のまんなか、もっとも深いところでかがやく光の球が、エデンの昼と夜を采配した。
エデンは、まさに人類最後のちいさな『世界』だった。いや、本物の大地の浄化をまつあいだの、ノアの箱舟であったのだ。
その日、太陽工場がシステム・ダウンするまでは。




