ロンリー・スモーカー 2
こっそりドアに付いている小窓から中を確認すると、ザクロは中央のベンチにどかっと座っていて、太平洋が青く輝く地球の実況映像を見ながら煙草をふかしていた。
「……」
だらりと力が抜けた様子で丸まったその背中を見て、ヨルは悲しそうに顔をしかめて言葉を失ってしまった。
「どうだ?」
「……。少し、考えてみたいと思います……」
「そうか」
「まあそうなるよね」
扉を超えるのは憚られる空気感に満ちた喫煙所の前で、口を引き結んだ3人はそのまま引き返してソウルジャズ号へと戻った。
「……」
帰りの道中、ずっと腕組みをして眉間にしわを寄せて思案顔をしていて、第2階層のリビングの一人がけソファーに座り、ヨルは現在進行形でその顔をしていた。
その反対側では、ミヤコがローテーブルの上で座っているケットシーに、通信端末に有線接続されたマイクを向けて、ウサギの耳のかぶり物をつけられて不服そうな彼が鳴くのを待っていた。
「別にさ、これ以上あいつは傷つかねえわけだし、やんなくたって全然良いんだぜ?」
「そうそう。ショートケーキの一つでも店で買ってくるぐらいで十分クローは喜ぶし」
「まあ顔には出ねえだろうけど」
「だろうね」
あまりにも熟考している彼女へ、左のはす向かいの長ソファーにいる2人は妥協策を提案する。
「そ、それは……。……いえっ、こういうことは妥協しちゃだめだと思うんですっ」
バッと顔を上げて数秒考えたヨルは、何度かかぶりを振ってそれを否定した。
「……私はやっぱり、クローさんにとって良い日にして欲しいので……」
私が言うのは違うと思うんですが、と前置きしてから少し視線をさまよわせたヨルは、
「――私が彼女さんの立場ならきっと、クローさんには楽しそうにして貰いたいはずなんです。だから、なんと言われようとお祝いしたいと思いますっ」
ギュッと眉間に力を入れて2人へと彼女にしては力強くそう言った。
「おし。腹は決まったみてえだし、作戦考えるとしようぜ」
「うんうん」
「あれっ?」
「驚くこたねえだろ」
「私たちも大体同じ気持ちだったからね」
「それに、レイもあの世で見てたら同じ事言うだろうよ」
微笑みを浮かべつつ、目を丸くしているヨルへ2人が言うと、ケットシーもそれに同意するように、なー、と少し長めに鳴いた。
「うん、もうそれ取っていいよ」
ジトッとした目で凝視してくるケットシーへ、ミヤコが指で丸を作ってそう言うと、彼は両前足でかぶり物を器用に外してその場に寝転がった。
「やっぱりシンプルに、不幸を和らげられるぐらい幸せな思い出を作れれば良いんですよね」
「だな」
「まあ、問題はその不幸が、〝愛する人の死〟っていうところなんだけどね」
「――いや、無理じゃね……?」
「正直、大分ハードルが……」
「私も思いつきすらなくてね……」
いざこぎ出したところで、初っぱなから完全に座礁してしまい、3人は腕を組んだまま呻くようにそう言ったきり黙り込んでしまった。
「あーもう、こうなったらケーさんになんとかして貰おう!」
「猫にどうやってアイデアを出させるってんだ」
「賢い猫ちゃんなのは知ってますけど、流石にそれは無理筋かと……」
「そうかな?」
「そうだよ。大体、何言ってるのかすら分かんねえだろ」
「なんとなくは察せますけどね……」
「ケーさんには無限の可能性があるんだいっ。きっとこの難題のヒントをくれるはずっ」
と否定的な2人へ、ケットシーを抱き上げつつアリエルはムッとした顔をして言い張る。
知恵を貸してケーさんっ、とテーブルに再度降ろして、その巨体をコンパクトにして土下座の体勢で拝む飼い主へ、ケットシーが冷めた顔を向ける中、
「――それなら、簡単になら分かるかもしれない手段はあるよ」
その横でゴーグル型のモニターを装着しているミヤコは、にこやかに思考操作であるソフトウェアを起動した。
「それがこれさ」
バンジとアリエルの正面にある、テレビモニターに飛ばされた映像には、〝猫語翻訳ソフト『ネコノコトバワカール』〟という、安直すぎる名前なスライドの表紙が映し出されていた。
「まあ、祖母がわす――制作途中で行方不明にしていたデータを発掘しただけなんだけど」
「あんまり意味変わってなくねえか?」
「うんまあ、ちょっとでも名誉のためになるからさ」
そのなんとも言えない、安っぽさとダサさあふれるフォントでほかの3人を困惑させつつ、ミヤコはからからと笑ってスライドをめくった。
「まあいろいろ書いてあるけど、要するに猫の鳴き声と脳波のサンプルをかき集めに集めて出来たものさ。ちなみにケットシーさんのご協力で今し方完成したんだよね」
いろいろと書いてあったが、ミヤコが極めて簡潔にまとめて言い、ケットシーへお礼を言って猫用のジャーキーを渡した。
「ケーさんボランティアしてたの?」
元の位置に戻ったアリエルの問いかけに、両前足でおやつを保持して食べつつ、短く鳴いてケットシーは返事をした。
「あっ、このかぶり物って脳波測定器なんですね」
「ああ」
1人だけスライドを真剣に見ていたヨルは、サンプル収集の手法を説明している文章を見て、適当に転がっているかぶり物を指さして訊くとミヤコは頷いた。
「じゃあ早速行ってみよう」
「ケーさん、ザクロを喜ばせるにはどんな風に祝えば良いと思う?」
ケットシーに指向性マイクを向け、どうぞ、とミヤコが手でアリエルに合図すると、眉間に力を入れているアリエルは、座って前足をなめている彼へ目線を合わせて訊く。
すると、なめるのをやめて数秒止まったケットシーは、んにゃー、と少し高い声で鳴いて顔をこすり始めた。
かなり懐疑的な目線のバンジと、両拳を握って固唾を飲むアリエルとヨル、祖母の作ったソフトが動き、感無量、といった様子で目を閉じているミヤコに、テレビモニターが表示した答えは、
「なるほど。〝普通〟が95%、〝面倒くさい〟が5%だそうだ」
「は?」
「えっ」
「普通?」
なんとも抽象的なもので、正常に機能した事を見届け、小さくガッツボーズするミヤコ以外の3人は首を傾げた。
「やっぱり猫には難しかったんじゃねえの?」
「そんなはずは……」
「でも実際この通りじゃねえか」
「まあ、これはあくまでデータでしかないからねぇ。結論は人間が出さないと」
バンジからの指摘で頭を抱えるアリエルに彼女が追撃をかけると、ミヤコは両肩を小さく上げながらそう言ってフォローした。
「――つまり、面倒な事は置いておいて、気にせず普通に祝えば良い、ということなのでは……?」
耳の裏をカリカリ後ろ足でかいているケットシーをじっと見つめていたヨルは、ハッと顔を上げてそんな3人へと言う。
もう一度ケットシーがあくびしながら短く鳴くと表示が更新され、〝はい〟が75%〝眠い〟が25%と表示された。
「ありがとうございますケットシーさんっ」
「多分そう! きっとそう! さすがケーさん天才だっ」
アリエルは超絶にこやかな表情になってケットシーを抱き上げ、キスしようとしたが両前足を額に突っ張られてブロックされた。
「ええー……」
もだもだ暴れて床に降りたケットシーは、ブンブンッ、不満そうに尻尾を振ってからキャリーの中へと上のハッチからにゅるっと入った。
「ああ、お昼寝――うわっ」
気を利かせて閉めようとしたアリエルは、ケットシーに中から猫パンチをくらって手を離した。
「ごめんてー……」
「し、しばらくそっとして置いてあげましょうか……」
「うん……」
ご機嫌斜めな様子のケットシーから粗雑な扱いを受けて、彼へ平謝りするが完全に無視され、アリエルは意気消沈のため息を吐きヨルに慰められた。
「という事だそうなので、ひとまず、プレゼントを買いに行きましょうっ」
「じゃあ煙草だ……」
「煙草かな?」
「あいつ半年分ぐらいため込んでるぞ」
「そんなに」
「じゃあ、ライターとか灰皿ですかね」
「そこの辺は我々喫煙者に任せてもらって――」
先ほどまで、高いハードルのせいで全く議論が進まない状態だったが、ケットシーの答えでそれが蹴り倒され、後はトントン拍子で話が決まっていく。
行き詰まっていた人間達を導いたケットシーは、ゴロゴロと喉を鳴らして丸くなって目を閉じた。




