陽の当らない栄光
“国民的スター”になる人間というのは、予め運命で決まっているのだろうか。
「運も実力のうち」とはよく聞くが、どれほど努力を重ねても、運命に愛され、そういう星の下に生まれてきた人間には、結局勝てないものなのだろうか。
少なくとも私の世代では既に一人、スター選手が確定している。
メディアや皆が取り上げたがるのは、いつでも“天才少女”や“天才少年”の物語だ。
幼い頃から才能に恵まれていたり、優れたDNAを受け継ぐサラブレッドだったり……ドラマになりそうな“話題性”のある人間ばかりだ。
何ひとつ持たない私に、陽の光が当たることはない。
たとえ表彰台に上がる成績を収めたとしても、メディアが時間を割いて伝えるのは「不調でまさかのメダル無しに終わった“天才少女”」の涙と苦悩の声ばかり。
正直、鬱々とした気分になる。「どうせ私の活躍なんて、誰にも望まれてないんだ」「『試合に調子を合わせるのも選手の大事な務め』って言われてるのに、どうしてあの子の不調は最悪の災難みたいに皆が同情するの?」と、ネガティブな思いばかりが頭の中をぐるぐる回る。
青春なんて、全然キラキラしてない。
高みを目指して必死になればなるほど、綺麗事だけでは済まなくて、時に心がドロドロになる。
だけど、カメラとマイクを向けられれば、そんな本音は胸の奥底に封印して、笑顔で前向きなことばかり話すんだ。
たとえそのインタビューが、ほんの数秒しか使われないものだったとしても……。
昔は、テレビに顔が出るというだけで、大興奮してなかなか眠れなかったこともある。
大勢集まった“将来のスター選手の卵たち”のうちの一人として、ドラマのエキストラと大差ない扱いだったとしても、録画したニュース映像を何度も何度も見返して喜んだりしたものだ。
だけど今は、とてもそんな気分にはなれない。
割り当てられた時間の差は、世間からの注目度の差だ。取材を受けた時間自体は長かったとしても、それがまるまる放映されることなど、まず無い。
撮ったはずなのにカットされたそれは、「要らない」と言われ捨てられた、私の言葉、私の表情、私の時間だ。
興味を惹かない人間に対する世間の目は、こんなにも冷めている。
それなのに……そんな一分にも満たないニュース映像や試合のダイジェストを、いちいち細々とチェックし、せっせと録り貯め、ディスクに保存までしている人がいる。
映像だけじゃない。新聞だって、名前と結果しか載っていないほんの小さな記事も、見逃さずに切り抜き、スクラップ・ブックに貼り付けていく。「そんなの保存してもディスクとスクラップ・ブックのムダでしょ」と言っても、一向にやめる気配がない。
嬉しそうに作業するその後ろ姿を見るたびに、私はいたたまれない気持ちになる。
こんなにも応援してもらっているのに、私は未だ、その熱意に応えることができていない。
あの子のようなスター選手になれれば、誰もが知るほどの有名人になれれば、きっとこの人も自慢できるのに。
今はまだ、何ものにもなれない無名の存在。「いつかは陽の当たる場所へ行ける」という希望ですら、あやふやな状態だ。
このまま競技を続けていて良いのかと、いつも思う。
どんなに頑張っても、認められない。表彰台に上がっても、ほとんど注目されない。
それなのに……そんな私の競技生活は、この人の――母の犠牲の上に成り立っているのだ。
どんな競技でも、ただの遊びでやるのと真剣に上を目指すのとでは、かかるお金が雲泥の差だ。
単純に道具や練習、遠征にかかる費用だけではない。地元に充分な練習環境が無ければ、それの整った都市部への交通費もかかる。食事や消耗品などの雑費も、細かくちょこちょこ出ていって、積み重なれば結構な額だ。
実家が裕福だったり、スポンサーがついてくれたりということでもなければ、家計にとって相当な負担となることは間違いない。
それに、金銭面だけではない。
行きは朝早くに、帰りは夜遅くに、駅まで送り迎えしてくれたり、学校が無い日でもお弁当を作ってくれたり、試合があればどんなに遠い場所でも駆けつけてくれる。そして、観客席で手作りの応援グッズを掲げてくれる。
母は、私が目覚めた時には、もう起きて動き回っていて、私が眠ろうとする時にも、いつも何かしら作業をしている。この人は一体いつ眠っているのだろうと、何度も思ったものだ。
母と違って父は、私が競技を続けることに、あまり良い感情を持っていない。
私の前で直接口に出したりはしないが、私は知っている。
あれは、小学校高学年の頃か、中学に入ってすぐの頃だったか……夜中にふと目が覚めて、トイレに行こうとした時、偶然聞いてしまったのだ。
父と母が、私のことで口論しているのを……。
父は、私に競技を辞めさせ、もっと普通で堅実な人生を歩ませるべきだと言っていた。普通の学校を卒業し、普通に結婚し、普通に子を産み育てればそれでいい、それが結局女の子にとって一番幸せなんじゃないか、と。
だけど、普通に学校を卒業し、普通に結婚し、普通に私を産んでくれた母は、決して譲らなかった。
何が幸せかを周りが押しつけるべきじゃない、あの子には、自分の好きなことを周りに言われて諦めたり我慢したりせずに、思いきりやらせてあげたいのだ、と。
話はそのうち、お金のことや、母が私にばかり時間を割くことへの不満へと移っていった。
それまで聞いたこともなかったような険しいやりとりや、扉の隙間から見えた母の涙に、今よりずっと子どもだった私は、怯え、震えた。
そのまま逃げるように部屋に戻り、頭まで布団をかぶって丸くなったけど、身体の芯が冷えきったような感覚で、上手く眠れなかった。
あの日のことを、私は未だに見なかったフリをしている。
たまに、何気ないフリで訊いてみることがある。「お金がかかって大変なんじゃないの?」「毎回送り迎えするの、大変なんじゃないの?」と。
母は必ず「大丈夫」「気にしなくていいんだよ」と笑う。
だから私は何も言えなくなる。競技を辞める・辞めないという決断自体をズルズルと先延ばしにし、「母がそう望んでくれているから」と言い訳して、母に犠牲を強い続ける。
私はズルい子だ。私自身が誰より、そのことを知っている。
競技を続けている以上、私にできるせめてものことは、表彰台の一番上に上がること。よりメジャーな大会で、より良い成績を収めることだ。
だけど、それさえきっと、母のためなんかじゃない。
だって、他の誰のためでもなく、私自身が一番になりたがっていることを、私はよく分かっている。
今までの努力が報われもしないまま終わるなんて、我慢できない。一番になって皆を見返してやりたい――心の中でそう叫ぶ私自身を、知っている。
私の中は綺麗なんかじゃない。醜い我欲のカタマリだ。
だから、母のためだなんて思わない。母の期待を重荷に感じて、それでプレッシャーに潰されるなんて、そんな本末転倒はゴメンだ。
母の犠牲を知りながら、それでもこの道を選んでいるのだから、母の存在を何かの言い訳にしたりはしない――それだけは強く心に誓っているのだ。
いつか、一番権威ある大会の、一番高い場所に上って、陽の光を浴びる。
元からの人気も前評判も関係ない、誰もが認めざるを得ない実力と結果を攫んで、本物のスターになる。それが私の夢だ。
だけど、いつかそんな日が来たとしても、きっとその陽の光は、母にまでは届かない。
“スター選手を育てた母”として、多少取り上げられることがあったとしても、母自身がその苦労と犠牲に見合った称賛を受けられるわけではないだろう。
それでもきっと、あの人は、私の攫んだ栄光を、自分のことのように喜んで笑うのだろう。
母のためでも何でもなく、ただ自分自身のために、私はそれが見たいと思う。
今日も、観客の目はただ一人、スターのあの子に注がれる。
今はまだ、陽の当らない場所にいる無名の私。
だけど、少なくともただ一人、私を見てくれている目があることを、私は知っている。
会場の空気がどれだけアウェーでも、めげずに、折れずに、ただベストを尽くす。
栄光を攫むために。私自身が見たい笑顔のために。
私は、今日も戦場へ向かうんだ。
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