5、レイニー伯爵家
「すみません、父さんの申し出は断らせて貰います」
そう、父さんに正式に断りを入れる。父さんは一瞬だけ残念そうな顔をしたが、それでも理解は示してくれたのか穏やかな笑みを浮かべ頷いた。
或いは、父さんなりに既に解ってはいた事なのかもしれないけれど………
「そうか、一応聞いてもいいか?何故だ?」
「………これは僕なりのわがままですが。一度家族を捨ててまで旅に出た身ですので、僕にはその資格が無いと思うのです。それに———」
そう言って、僕はいっそ清々しいとも言える笑顔を浮かべ言った。
「もっと、僕個人としてもこの世界を楽しみたいという思いがあるんですよ」
「………そうか」
そう言って、父さんは僅か口の端に笑みを浮かべた。その笑みは、ほんの僅かだけ寂しさのようなモノを感じたけれど。それも一瞬の間だけだった。
その次の瞬間には伯爵家の当主としての顔になっていた。やはり、彼も貴族家の当主なのだと僕はこの時そう理解した。理解し、納得した。
そんな僕と父さんのやりとりを、先程からリーナと一部の兵士達は黙って見ていた。
その直後、どたどたと騒々しい物音が部屋の外から響いてきた。
・・・・・・・・・
どたどたと騒々しい物音が響き、やがてその音は部屋の手前で止まる。
そして、部屋のドアが勢いよく開き兵士が大声で言った。
「報告します!レイニー伯爵及び、伯爵夫人を地下倉庫にて発見しました!」
「っ、お父様!お母様!」
その報告を聞いたリーナが真っ先に地下倉庫へと走ってゆく。まあ当然だろう、あんな怖い思いに遭遇して本当はずっと心細かったに違いないのだから。
いや、それを度外視してもずっと両親が心配だったに違いない。きっと、彼女はとても優しい性格をしているのだろう。そして、そんな彼女の両親も。
………或いは、それは家族とはそうあって欲しいという僕の願望かもしれないけれど。
………そして或いは、僕自身そんな家族だった母と妹に対する心残りがあるのか?
解らないけど、少なくともリーナの家族は———
そう思いながら僕と父さん、そして兵士達は地下倉庫へと向かっていった。
・・・・・・・・・
果たして、屋敷の地下倉庫には伯爵夫妻が居た。酷い拷問でも受けていたのか、傷だらけの姿で家族三人抱き締め合い泣いている。泣きながら、三人で抱き合っていた。
しかし、身体中傷だらけではあるものの伯爵夫妻の顔には苦痛の色はない。むしろ、娘が無事で心底安心したような表情が伺えた。その表情に、僕の胸の奥底が僅かに痛むような感覚がする。
いや、別にこんな痛み気のせいでしかないだろう。別に村に残してきた母と妹の事なんか。
母と妹の事、なんか………
「……………………」
「………シリウス?」
父さんが僕の方を見て何か言っている。しかし、僕は………僕は………
心の奥にぽっかりと開いた虚しさ。そのまま、僕はその場を後にした。
………
………………
………………………
気付けば、僕は屋敷の外へ出ていた。空はどんよりと曇り空。まるで、今の僕の内心を現わしているようだとそう感じた。そう、感じていた。
「…………ああ、虚しいよ。本当に」
嫌になるくらいに、虚しい。心の中に、ぽっかり穴が開いた気分だ。
本当に虚しい。いっそ、このまま………このまま?
このままどうすると言うんだ?また逃げるのか?また、生きることから逃げるのか?
また、死んでしまうと?
死んでどうすると言うのか?生きる事から逃げて、どうする?それとも、逃げてしまいたくなる程に何もかもが嫌になってしまったというのだろうか?本当に?
そんな事を、頭の中でぐるぐると考えていた時。
「ムメイっ‼」
声が聞こえ、振り返る。其処には、リーナが居た。
いや、リーナだけではない。父さんやレイニー伯爵夫妻。そして兵士達の姿も。どうやら背後に立たれても気付けないくらいに自失状態だったらしい。果たして、どうした物か?
そう思っていると、
「君がシリウスくんだね?」
「………はい」
レイニー伯爵が、一歩前に進み出た。そして、何を思ったのかそのまま頭を下げてきた。その光景にエルピス伯爵家の兵士達は皆ざわつく。ざわついて、僅かに騒ぎ出した。
当然、僕も怪訝な顔をしている。少なくとも、顔にはそう出ている筈だ。
「………なんのつもりですか?」
「娘を二度も助けてくれて、ありがとう」
「………それ、は」
それは………
僕は、返す言葉もなく呻くしか出来ない。果たして、此処はどうするのが正解なのか?少なくとも素直にそれを受け入れるなんて、僕には出来なかった。
そんな僕に、レイニー伯爵は僅かに苦笑を浮かべた。どうやら、僕は相当歪な顔をしていたらしいと今更ながらに理解した。理解はしたが、どうしようもない。
果たして、此処はどう答えるべきなのか?果たして、此処はどうするのが正解なのか?
何も、解らなかった。何も、解る気がしなかった。
そんな時、何故か意を決したような顔をしたリーナが前へと進み出た。
見ると、レイニー伯爵夫人がにこやかな顔で僕とリーナを見ている。何故?
「………えっと、リーナ?」
「ムメイ………私、どうしても貴方に言いたかった事があるの」
「うん………」
リーナは一呼吸分間を置いて僅かに深呼吸をした後、僕を真っ直ぐと見据えた。
その視線の圧力に、僕は思わず威圧される。気圧される。
そして、
「ムメイ、どうか私を一緒に連れていって。ムメイの傍に居させて欲しいの」
そう、真っ直ぐと告げた。その真っ直ぐな視線に、僕は威圧されるような感覚を受けた。
いや、きっとこれはリーナなりの覚悟の現れなのだろう。彼女は彼女なりの覚悟を決め、そして僕に一緒に連れていって欲しいと願ったのだろうと思う。
しかし、僕の傍に居たい………か。其処まで想われていたんだな、僕。
しかし、僕はつい先程一人で旅に出るとそう決めたのだ。だからこそ、此処でそれを曲げる訳にはいかないだろうと思う。そう、僕は思い………
それを、彼女に真っ直ぐ伝える。
「え、えっと………うん」
あれ?
気付けば、僕は縦に頷いていた。いや、何故?何故に?
どうして今、僕は頷いたのだろうか?何故、僕は今?
我ながら混乱してしまう。しかし、一度言った事を今更に撤回する訳にもいかず、そのまま呆然とするしか出来ないでいる。
一方、リーナの方はぱあっと表情を明るくして僕に抱き付いてきた。混乱の表情をしている僕と心底嬉しそうな顔をしたリーナ。中々混沌とした状況だった。
いや、本当に何故?何故僕は頷いたんだ?自分で自分が解らない。理解出来ない。
意味が解らない。何故?どうして?
そんな僕達を他所に、レイニー伯爵夫妻は心底嬉しそうな顔で僕達を祝福していた。
「シリウスくん、リーナをよろしく頼んだ」
「ふふっ、リーナったら本当に嬉しそうにして。娘をよろしくね」
「え?あ、いや………ええ?」
混乱して言葉を上手く言えない僕。そんな僕を、父さんは微笑ましげに見守っていた。
いや、そんな表情で見られてもなあ?
結局、僕はリーナと一緒に旅をする事になった。本当、どうしてこうなったのか?
何も解らなかった。解る気がしなかった。もう、どうにでもなれ!




