3、公爵家に潜む影
レイニー伯爵家———その執務室にて。クラウン=オーナー公爵と一人の青年が話していた。
「して、本当にこれで良いのだな?これで、世界は救われるのだな?」
「はい、勿論ですよ。オーナー公爵。これで我らはつつがなく計画を実行出来る」
話の内容こそ解らないものの、それがロクな物ではない事は明らかだ。少なくとも、伯爵家を襲撃して制圧するような計画がロクな物である筈がないだろう。
事実、二人の瞳には危険極まりない光が宿っていた。どう見ても狂気を感じる。正気ではありえない暗い愉悦を二人は瞳に宿していた。ぞっと、背筋の凍るような笑みだ。
そんな時、執務室の扉が勢いよく開く。公爵と青年の二人がそちらを見る。
其処には、木剣を携えた黒髪に青い瞳の少年と金髪に翡翠の瞳をした少年が居た。
黒髪に青い瞳の少年———無銘ことシリウス。
金髪に翡翠の瞳をした少年———アーリア=オーナー。
少年、アーリアは父親である公爵に向かって叫んだ。
「父上!もうこれ以上の暴挙はお止め下さい‼」
「アーリアよ、貴様は一体誰の許可を得て………」
何かを言おうとした公爵を遮り、青年が前に出た。鴉の濡れ羽のような黒髪に黒い瞳。その顔立ちと黄色人種特有の肌。その姿に、無銘の少年は懐かしい感覚を覚えた。
東洋人風のその少年は、無銘を見て笑みを浮かべた。狂気さえ感じるような、暗い笑み。
そして、青年は其処で特大の爆弾を投下する。
「やあ、初めましてかな?シリウス=エルピス君」
・・・・・・・・・
周囲が静寂に包まれる。痛い程の静寂が、場を支配している。誰も何も言えない。
青年の言った言葉が、最初僕には理解出来なかった。今、この青年は何を言った?この青年は僕を何と呼んだんだ?シリウス=エルピスだって………?エルピス?
その言葉に驚いたのは、僕だけではなかった。隣に立っていたアーリアも、オーナー公爵も愕然と目を見開いて見ている。まるで、今の言葉を信じられないとでも言うかのようだ。
実際、信じられないのだろう。何故なら、エルピスとはある伯爵家の名だからだ。
そして、僕のその反応にさも納得がいったかのように青年は嗤った。
「なるほど?どうやら何も教えられなかったらしいな。いや、敢えて教えなかったのか?」
「どういう事だよ………それは?」
絞り出すような声。それに対し、実に嫌らしい笑みを浮かべながら青年は話した。
僕自身、信じられないような事実を。
「俺さ、実は未来予知の能力者なんだよね」
「………未来予知だって?」
「そうだ、そして俺は自身の計画に邪魔になる奴は割と初期の段階から予知して潰した。不確定要素や危険因子は早めに潰しておくに限るだろう?」
「その内の一人が、僕だって?」
僕の問いに、青年は嘲り混じりに頷いた。
そして、その後青年が言った言葉は何より僕を憤慨させるに充分な言葉だった。
そう、僕が思わず冷静さを失うような言葉だった。
「だからこそ、お前を生まれる前に潰す為にお前の母親を殺す事にしたのさ。そう、丁度お前を妊娠している頃の話だよ。言ってる意味が理解出来るかな?」
「っ、お前っ………お前は…………っ‼」
「だが丁度良い時にお前が現れてくれた。お前が俺の障害になる前に、此処で潰しておく」
そう言った青年の影が、膨張し蠢き始めた。そして、青年の影から二体の魔物が姿を現す。
それは、黒い血塗れのオーガにアンデッドの怪蛇だ。どちらも自然には存在しない魔物。特に血塗れの巨鬼は新種の魔物に違いないだろう。それを、影に内包していたと。
「行けっ‼」
「その程度………」
青年は僕に向けて二匹の魔物をけしかける。しかし、その二匹では僕に決して届かない。一刀の許に木剣で打ちのめす。甲高い悲鳴と共に、消滅する二匹の魔物。
しかし、二匹の魔物は瞬時に血肉を影へと取り込まれ再度影から這い出てきた。
「っ、何だと‼?」
「ははは、そんな児戯など俺に効くかよ‼」
「くっ………」
魔物は先程より強く硬くなっていた。
どうやら、一度消滅して影に戻った際に更に強化されたらしい。厄介な。そう、僕は僅かに愚痴を零したくなり舌打ちした。しかし、愚痴を言っている場合ではない。
僕は僅かに本気を出す事にした。ほんの少しだけ、本気の力を開放する。
「魔力解放———第二階層」
瞬間、解放された魔力により僕の全能力は急激に上昇する。圧縮された高濃度の魔力により僕の力は更に高次元へと上昇を果たす。それは、僕が神山での修行で身に付けた新しい魔術だ。
僕の魔力は段階的に封印処理をされている。そして、その階層ごとに高濃度に圧縮され溜め込まれた魔力は別次元のエネルギーへと変質しているのである。
その魔力封印は、全十階層まで存在する。全ての魔力を開放すれば、その力は神域にまで到達するだろうとミコト本人が太鼓判を押したくらいだ。
しかし、無論それだけの力にはリスクがある。
段階的に開放しなければ、僕の身体が耐え切れないという点。そして———
それだけの高濃度のエネルギーにより、周囲の空間自体が耐え切れないという点だ。
周囲の空間が、放電現象と共に軋みを上げる。それは、高濃度の魔力に周囲の空間が悲鳴を上げているからに違いない。故に、この力を開放したら即座に決着を付ける必要がある。
でなければ、周囲に甚大な被害が及ぶからだ。
「へぇ?中々やるじゃないか。でも、それでも俺にはまだ勝てないぞ?」
「なら、魔力解放———第三階層っ」
更に、高密度高濃度の魔力が僕の身体から解放される。空間が更に悲鳴を上げ軋む。
その魔力の在り方は、まさしく小規模のブラックホール。重力崩壊した死の星だ。
その高濃度の魔力に、隣に立っているアーリアが苦悶の声を上げて膝を着く。あまりに高濃度すぎる魔力に僕自身も過負荷が掛かっている。身体が悲鳴を上げる。
その魔力の開放だけで、二匹の魔物が悲鳴を上げる暇もなく爆ぜる。
しかし、それでも青年は余裕を崩さない。
「なら、こういう絶望はどうだ?」
青年の影から這い出す更なる暴虐。それは、あまりに巨大すぎる。巨大すぎて、その身体をこの室内で全て出す事が不可能だ。ほんの僅かに身体を出しただけで、その威圧感が周囲を圧する。
それは、血塗れの黒い巨竜だった。口から灼熱の火を呼吸と共に噴き出すドラゴン。
なら———僕は魔力を更にもう一段階解放しようとした瞬間。外から騒ぎが聞こえてきた。
「………こっちだ!こっちの方から凄まじい魔力を感じるぞ‼」
「何だこの魔力は!あまりに出鱈目ではないか!」
「臆している場合か!レイニー伯爵を救出しなければ!」
「っ⁉おい、こんな場所に伯爵令嬢が寝ているぞ‼大丈夫か‼?」
その騒ぎを聞き、どうやらエルピス伯爵家が駆け付けた事を僕は理解した。
まあ、僕が此処に来る前に呼んでおいたのだけれど。
「ふむ、どうやら此処までのようだな」
そう言い、青年は魔物を影へと引っ込める。
その言葉に、オーナー公爵は息も絶え絶えに喚く。どうやら、この高濃度の魔力の中でまだ気を失わずに済むほどの精神力を持つらしい。中々やる。
「お、おいっ‼俺を放って何処に行くつもりだ‼」
「ああ、貴方はもう用済みですよ?公爵」
そう言い、青年は懐から出した短剣でオーナー公爵を突き刺した。
公爵の脇腹に抉り込まれる短剣の刃。その刃には、ぬらりとした何かが塗られていた。
「な、あっ………ごぅっ………ぐぅぅっ」
「父上っ⁉」
オーナー公爵は、くぐもった声を上げて膝を着く。どうやら毒を塗られた短剣らしく、公爵はびくびくと身体を痙攣させながらやがて動かなくなった。
そんな父親の姿に、這う這うの体で傍に寄るアーリア。しかし、もう遅いだろう。
公爵は、もう助からない。もう、彼は間に合わない。
そして、そのまま笑みを浮かべながら青年は僕に向かって告げた。
「俺の名はハクア———外法教団総代表、終末王ハクアだ」
「外法教団………ハクア?」
「そうだ。全ての世界を滅ぼし、全ての世界を新生させる者だ」
そう言い、ハクアと名乗ったその青年は姿を消した。
直後、室内に雪崩れ込むように兵士達が押し寄せてきた。




