閑話、物質界と精神世界
まず、始まりに精神世界があった。精神世界には、思考と認識がただ漠然と存在していた。
思考と認識は、名を神霊種といった。神霊種はただ観測するだけの存在だった。ただ、観測するだけで極大の大爆発を起こし、無数の泡を発生させる力を持った。即ち、物質界の創造だ。
物質界と精神世界は、云わば表裏一体だった。精神世界あって、物質界がある。されど、物質界無くして精神世界などありえない。そのような関係だった。
———色即是空、空即是色。
あらゆる物質は空であり、本来明確なカタチなど無いに等しい。しかし、確かに存在すると認識された以上はそれは存在するのである。我思う、故に我在り・・・つまりはそういう事だ。
精神と物質は、表裏一体だ。精神あって、物質がある。しかし、物質無くしても精神は無い。
物質と精神は、互いに互いを補完しあい。そして互いに互いを必要とする。
故に、正しくそれは裏表の関係と呼べるだろう。一枚のカードの、裏表。表裏一体。
精神生命である神霊種には生きる為に信仰は必要ない。しかし、物質界に直接干渉するならば話はまた異なるだろう。物質界に直接干渉するには、肉体が必要になってくる。つまり、物質体。
物質体無くして、物質界に干渉は出来ない。
そもそも、観測され明確なカタチを得た物質は精神活動のみで干渉は出来ないのだから。
そして・・・
精神を主体とする神霊種が物質体を形成するには、物質界の存在である人類に信仰という名の観測をされる必要があるのだ。故に、神霊種は信仰を必要とする。
神霊種には観測するだけで物質界を創造する能力があるが、肉体を持たない為に物質界に直接干渉する権限を持たないのである。それは、至極単純な道理の話だ。
何故なら、神霊種は本来精神世界の住人であり、物質界に住まう者ではないからだ。
なら、神霊種とは厳密には何者なのか?物質界の住人である人類とは、どのような関係か?
それは、物質界に住まう全ての生命のオリジナル。全生命体の精神体、その始まり。
つまりは人類を含めた全ての生命体、その魂と霊の起源だ。故に、神霊種とは全生命の父であり母でもあると言えるだろう。まあ、物質界においてどのような進化を辿るかには関与しないが。
そもそも、全ての生命のオリジナルといえど。全ての生命が同じ進化を辿る訳では無い。
故に、多様性が生まれるのだ。
あらゆる多元宇宙には、それぞれの純精神世界が存在する。そして、それぞれにそれぞれの神霊種が存在しそれを祖とする生命体が存在する。故に、あらゆる多元宇宙には必ず神霊種が、少なくとも一体は必ず存在している。それが、原則だ。
そして、精神世界と物質界は表裏一体であり、互いに互いを補完しあっている。それも、原則であり決してその大原則の例外となる世界は存在しない。そう、そんな世界はありえない。
何故なら・・・その大原則に背く世界が存在するとすれば、それは精神と物質の関係性の崩壊にも繋がりかねないからだ。故に、そんな世界など何処にも存在しない。
例え、あらゆる多元宇宙。あらゆる可能性。あらゆる物理法則の存在を容認しようともだ。
その大原則だけは、覆る事はあり得ないのである。それが、世界のシステムなのだから。




