5、月の神
そして、一体どれほどの時間が過ぎたのだろうか?そんな他愛のない事を考えていた。
月の文明、その中枢部に侵入して俺はどれほど歩いただろうか?内部は複雑に入り組んで、まるで迷路のような有様だった。まあ、別に迷った所で疲れはしないんだけど。
けど、面倒臭い物は面倒臭い。ようは、そろそろ飽きてきた。もう、いっその事適当にすり抜けてしまおうかという適当な事を考えていた時。それは起きた・・・
唐突に、頭の中にノイズが奔る。そして、頭に直接声が響いた。
《其処を右に曲がれ》
「っ‼?」
驚き、慌てて周囲を見回す。しかし、今此処には他に誰も居ない。それに・・・
今の声は、明らかに頭の中に直接響いてきた。それも、俺に直接語り掛けるようにして。
いや、これはもう俺に直接語り掛けているのは明らかだろう。それはつまり、一つの事実を意味しているに他ならないだろう。俺は、僅かに身震いした。口元が、僅かに引き攣る。
「・・・俺の事を知覚出来る奴が、俺の侵入に気付いている?」
———何時から知られていた?いや、何時から俺は監視されていた?
———そもそも、何故俺は此処まで見逃されていた?何故、今になって干渉してきた?
疑問は尽きない。むしろ、あまりの不気味さに混乱を隠せない。
そう、あの狂戦士な霊能力者や幼女な異能者のように、俺を知覚出来る奴が中枢部に居る。しかもそれだけでは決して無い。俺の侵入に気付いた上で、恐らくは様子を見ていたのだろう。
一体、それは何者なのか?ふと、俺は戦慄と共に興味がわいてきた。それは、恐らく今までで初の感慨ではあるだろう。俺は、声に言われるがままに右に曲がった。
右に曲がると、その先に二つの扉があった。右手と、奥。計二つの部屋。
すると、その先で再び声が聞こえた。頭に直接響く、あの声だ。
《右手にある扉はダミー。奥の部屋に入れ》
・・・言われた通り、俺はダミーである扉を無視して奥の部屋に入った。正直、ダミーの部屋に何があるのかは気になっていたけれど。まあ、それは良い。問題は、別の所にある。
其処には、一人の男が居た。部屋の奥、膨大な数のモニターが壁に設置されておりその手前に一人の男が椅子に腰かけていた。その男を見た瞬間、俺は途轍もない衝撃に襲われた。
今まで感じた事のない感覚。まるで、相対しただけで問答無用に畏怖を心に叩きこむよう。
まるで、目前に立ったそれだけで問答無用に平伏し屈服しそうになる。そんな・・・
そんな気配を纏っている。まさしく超越者とも呼べる存在がすぐ目前に居た。
・・・いや、もう此処まできたら表現をオブラートに包むのを止めよう。これは、まさに。
「・・・・・・神」
「・・・そう、私こそこの月の文明の王であり、月の神である。月神シンラ」
シンラと名乗ったその男。彼が言葉を発しただけで、無意識で平伏しそうになる。強烈な言葉の力がその男から発せられていた。幽霊なのに、冷や汗の出る思いだ。
そのプレッシャーだけで、霊体である俺の身体が消し飛びそうになるのが理解出来た。
俺は、硬直したまま動けないでいる。無意識下の強烈なプレッシャー。それに必死に抗う。
しかし、無意識に抗った代償であるかのように身体がガチガチと震えている。それは、恐らく心の底では既に理解しているからだろう。目の前に居る存在が、別格であるという事を。
「・・・・・・っ」
「・・・ふむ、なるほど。これでも駄目か」
そう、シンラが呟いた瞬間・・・強烈な存在感が一気に霧散した。プレッシャーが嘘のように消失するのが理解出来る。俺は、理解出来ずに呆然とシンラを見る。
相変わらず、シンラという男は超然とした様子で椅子に座っている。それだけの事、それだけなのに何故かその姿が強烈な威圧感とも呼べぬ何かを纏っているように感じた。
その正体は、まるで理解出来ないが。理解出来ないが、それでも一つ理解出来る事はある。
この男は、正真正銘の神だ。それだけは、頭の芯から理解出来た。
「・・・貴方は、一体・・・・・・?」
「では、改めて名乗り直そう。私こそ、この月の文明の王であり、月の神シンラ」
「月の・・・神・・・・・・?」
そう、この男は正しく神だ。神という概念を具現した超存在だった。
この男に比べれば、以前出会った狂戦士な霊能力者や幼女な異能者など木っ端に過ぎない。それ程の格の違いが存在している。純然たる、格の差だ。
先程感じた、強烈なプレッシャーも理解出来る。これは、単なる一幽霊である自分とは比べ物にすらならないだろう。そも、比べる事すらおこがましいに違いない。
しかし、月の神シンラは俺に向かって心底嬉しそうに。まるで、この時を心の底から待ち焦がれていたかのように告げた。俺にとって、信じられないような言葉を。
「ようこそ、次代の神霊種。次なる神候補よ。私はお前の誕生を、ずっと待っていた」
「神霊種?神候補?貴方は一体・・・」
「そうか、まだ気づいてはおらんか。ならばよろしい、お前には其処から教授しよう」
そう言い、シンラはパチンと指を鳴らした。瞬間、モニターに映る映像が切り替わる。
モニターには、神霊種と書かれた簡易な人型が大きく移っていた。どうやら、モニター映像を交えて説明する方針のようだ。何とも解りやすい?
「神霊種とは、まあ簡単に説明するとお前等が神と呼ぶ存在だ。しかし、別に神話に語られるような存在では断じて無いとだけ言えるだろう。私はそもそも、天界などという場所に住んではない」
「はあ、では神霊種とは一体・・・?」
「神霊種とは、即ち純精神世界に住む精神生命の事だ。純精神世界とは、まあ簡単に説明するとこの物質界とは異なる精神を主体とする世界の事を差す」
モニターに、一つの光景が映し出される。それは、何だろうか?
恐らくは、これが純精神世界の光景だと思われるが。よく理解出来ない。
簡単に説明すると、海にも見える。或いは、何らかのエネルギーに満ちた空間か?よくは解らないがそれでも恐らくその感覚に間違いはないだろう。そう、感じた。
・・・つまり、これは。
「量子的、エネルギーの海?」
「そうだ、良く理解出来た。流石は次代の神霊種よな。つまり、神霊種とはその純精神世界に住まう生命体の事を差すのだ。より厳密に説明すると、量子的エネルギーの海に住む思考と認識か」
其処まで言われたら、後は何となく理解は出来る。つまり、だ・・・神霊種の正体とは。
「神霊種とは、純精神世界で物質界を観測する存在。という訳ですか?」
「その通り。そして、純精神世界において観測するという行為はそのまま世界の創造に通ず」
なるほど、と俺は何となく納得した。実際、モニターに映された映像と一緒に説明されると解りやすいとそう感じた。神霊種についても、何となく理解した。
恐らく、純精神世界とは量子の世界の法則が関わっているのだろう。故に、巨視的な法則よりも思考や認識に寄る部分の方が大きいと言えるのかもしれない。
この世のあらゆる物質は、観測される事により存在を確定する。つまり、世界という巨大な物質界を確定させる存在こそが神霊種なのだろう。それを、俺は理解した。
しかし、解らないことはまだある。俺が次代の神霊種という言葉だ。
シンラは俺を、次代の神霊種と呼んだ。単なる幽霊ではなく、月への侵入者でもなく。
次代の神候補だと。そう、呼んだのだ。
「俺が、次代の神霊種というのは・・・どういう事ですか?」
「そのままの意味だ。お前には、次の神霊種になる資質がある」
「・・・次の、神霊種?」
シンラは、静かに笑みを浮かべながら頷いた。モニターの映像が、切り替わった。
それは俺の身体的、或いは精神的、霊的な情報の羅列。パーソナルだった。




