1、優しい世界からの脱出
・・・この世界に転生を果たしてはや十年の時が経過した。十歳になった僕は、この世界に対する知識をある程度深めていった。
渾沌世界、ウロボロス———それが、この世界の名前だ。この世界は、生態系など地球とはかなり異なるようでゴブリンやオーク、オーガなどが普通に存在するファンタジーな世界だ。
世界地図も地球とは大きく異なっている。この世界は、七つの大陸と大海で構成されている。
まず人大陸、アース。
人類の住む大陸で行政王オーフィス、立法王ウルト、司法王メサイアの三人が治める統一国家が存在しておりそれぞれの王が三権を司っているようだ。
次に魔大陸、クリフォト。
魔族の住む大陸で、魔王が支配する。魔王の絶対王政により統治されている。代々魔王が優れた才を有して生まれてくる為に、絶対王政でも問題が無いらしい。
次に幻想大陸、オルム。
幻想種の棲む大陸で、獣の楽園。竜王が支配している。
次に焔大陸、カルデラ。
灼熱の火山地帯。炎巨人達が住んでおり、炎王が支配しているようだ。
次に氷大陸、コキュートス。
極寒の永久凍土。氷の巨人達が住んでおり、氷王が支配する。
次に神大陸、デウス。
神々の住む神域。神王の治める約束の地。何を隠そう、僕をこの世界に転生させた神王デウスがこの大陸を治める王だという。神域には神々を除き、神に認められた者しか基本入れないらしいが?
そして、最後に未開の大陸。
他の六つの大陸に囲まれた中央大陸で、未だ未開の大地。不可侵領域となっている。
中央の未開の大陸を除いた六つの大陸。六つの大国。それ等、六つの国々は均等なパワーバランスを保ちつつ決して戦争を起こさない条約を結んでいるらしい。遥か古代に結ばれた契約だ。
惑星ウロボロス———己の尾を喰らう蛇の名を冠した世界。その人大陸の山間部、エルピス伯爵領に位置する村落に僕は生まれた。とても小さな村だけど、平和な良い村だと僕は思っている。
僕は母親に似た黒髪に青い瞳の少年に育った。我ながら顔立ちはそこそこ整っていると思う。
そして、僕の双子の妹。名前をミィという。僕にべったりと良く懐く、少々ブラコンの気があるのではなかろうかという程に良く引っ付いてくる。少しうっとうしい。妹も、母に似て黒髪に青い瞳だ。
そんな僕達兄妹を、母親は優しく接してくる。優しくて良い人なんだろうと思う。
そんな母の名は、マーヤーという。村でも有名な魔女で、調薬で生計を立てているようだ。
母さんは魔女だが、魔術を使う所を僕は滅多に見た事がない。一度だけ、あったくらいだ。
そんな僕達は、母と僕と妹の三人暮らしだった。三人で、慎ましく暮らしていた。
父親は知らない。名前も教えては貰えなかった。しかし、母さんに聞いたら優しくて良い人だとそう微笑みながら答えた。愛しているとも言っていた。その懐かしそうな笑みから、嘘ではないのだろう。
きっと、父さんも優しくて良い人なのだろう。僕は、素直にそう思った。
優しい世界。暖かな世界。
・・・けど、何故だろうか?僕には此処が居心地が悪かった。此処に居るだけで、胸が苦しくて息苦しくなるのは何故だろうか?
こんなにも優しい人達なのに。こんなにも暖かな世界なのに。僕には、とても居心地が悪かった。
居心地が悪くて、息苦しくなる・・・
何故?
・・・ああ、そうか。
僕は、すぐに理解した。僕はこの世界を信じていないんだ。この人達の事を、全く心の底から信じていないんだと思う。だから、居心地が悪いんだろう。
結局、僕は生まれ変わっても無感動で人間不信なのだろう。無感動で、無関心なんだ。だからこそこの世界が居心地悪いんだと思う・・・
要するに、場違いなんだ。この場所が・・・
母親が優しく接する度に、妹が僕に擦り寄る度に、僕の中にどす黒い感情が湧き上がる。僕の中に嫌な感情が際限なく湧き上がってくる。それが、たまらなく不愉快だ。
こんな世界はもう嫌だ!僕は逃げてやる!
そう思い、僕はある日家出を決意した。皆が寝静まった夜、一人僕は家を出た。
そっと村を出ようと歩を進めた時、背後から声が掛かった。
「何処に行くの?シリウス?」
「っ⁉」
振り返る。其処には、母さんとミィの二人が立っていた。ミィなんか、今にも泣きそうだ。僕は思わず息を呑んで黙り込んだ。どうすれば良いのか、解らなくなった。解らなくて、黙り込んだ・・・
ミィが、僕に向かって駆けてくる。胸元に縋り付いて、僕を見上げてくる。
「お兄ちゃん、何処に行くの?帰ろうよ、家に帰ろうよ・・・」
「僕、は・・・」
僕、は・・・
何も言う事が出来ず、黙り込む。黙り込む事しか出来ない。やがて、母さんが静かに溜息を吐きながら少しだけ悲しそうに僕を見た。その顔は、少し悲しそうな笑みだった。
そんな顔をさせる僕が、少しだけ嫌になった・・・
けど、どうすれば良いんだ?どうすれば良かったんだ?一体何が正しかったんだ?
「そんなに、私達との暮らしが嫌だった?」
「それは・・・」
「そんなに、私達との暮らしが苦痛だった?」
「・・・・・・・・・・・・」
何も答える事が出来なかった。本当は、そんな事は無いと言いたかったのに。けれど、そんな事は口が裂けても言えなかった。言う事が出来なかった。
何故なら、全部本当の事だったから・・・
僕は只、そっと顔を逸らす事しか出来なかった。ミィが、絶望した顔をしたのが解る。ああ、どうして僕はこんなにもどうしようもないんだろうか?
こんなにも、普通の幸せすらも享受出来ないのか?普通に暮らす事すら、僕には叶わない。
そんな僕に、母さんはそっと近寄ってくる。そして、そっと僕を抱き締めて耳元で何かを呟いた。
瞬間、僕の脳裏に膨大な何かが敷き詰められる感覚がした。それは、恐らくは知識だろう。
膨大な知識の数々が、僕の頭の中に流れ込んできた。僅かに、頭の中が焼けるような感覚がする。
僅かな苦痛に、呻く。
「こ・・・れは・・・・・・?」
「私の、魔術の知識よ。貴方の今後の為に必ずなるから、だから貴方は必ず此処に帰ってきて」
「・・・・・・・・・・・・」
そっと、母さんの顔を見る。母さんは、泣いていた。泣きながら、笑っていた。その顔に、僕は思わず目を見開いて黙り込む。僕は、実の母親を泣かせたのか。
そっと、僕から離れると母さんは懐から一振りの短剣を出した。柄頭に、青い宝石をあしらった儀礼用の短剣だった。一目で解る、これはかなりの業物だろう。
僕は、そっと母さんの瞳を見詰める。母さんは、何処か覚悟を秘めた目をしていた。
覚悟を決めたような、そんな目をして僕を見ていた・・・
「何れ、この日が来る事を私は予見していたわ。これは貴方の人生に必ず役に立つ筈よ・・・」
「母さん・・・」
「これを、貴方に授けるわ。だから、貴方は必ず生きて帰ってきて」
必ず帰ってきて。そう言う母さんの瞳は、涙に濡れていた。僕は、僕は母さんのその言葉に逆らう事だけは絶対に出来なかった。それだけは、断じて出来なかった。
「・・・・・・解ったよ」
それだけ言うと、僕は黙って短剣を受け取って二人を背に駆け出した。背後で二人が泣いているのが僕の胸を強く打ち据えた。しかし、今度こそ僕は立ち止まらなかった。立ち止まる事は無かった。
走って走って、走り続けて・・・
その後、僕は裏山の麓で大声で泣いた。泣き喚いた。
これ程泣いたのは、前世でも無かったかもしれない。胸が、締め付けられるように痛かった。
この日、僕は優しくて暖かい世界から脱出した。
・・・・・・・・・
私とミィはシリウスの立ち去った後、二人して泣き続けた。二人抱き締め合って泣き続けた。
何事かと村の人達が飛び出してくるけど、私達は構わず泣き続ける。泣きじゃくる。
・・・この日、私達はかけがえのない存在を一人失った。




