『さっちゃん』
決戦の朝だ。時計の短針は4を少し過ぎていた。勢いよく体を起こし、洗面台で顔を洗う。
歯磨きをしながらふと思い出す。歯を磨けと注意していた母の姿が。小さい頃はめんどくさがっていたが最近は身なりも気になるのでちゃんとしている。ジャージに着替え、リビングにある昨日スーパーで買ったパンを頬張り気合いを入れ直す。師匠からもらった小袋を開けてみるとそこには目薬サイズの瓶が入っていた。こんなものでどうにかなるものなのかと心配になったがそこは信頼をしてポケットに突っ込む。
いつもの朝のコースを順調に進んでいく。しかし、その足取りは重く、あいつと出会った場所に近づくごとに心臓の鼓動は高まっていく。
自分の足音が二重に重なったり、違う足音が聞こえるとかいう幻聴が聞こえるぐらいびびっていた。もし、掴まれたりしたら殴ってやろうと怒りに変えることで恐怖を和らげていた。
中学の頃、友達と喧嘩をした日に父に言われた言葉を思い出す。
『怜は強くならないといけないな』
優しそうに呟く父の姿が今でも忘れられない。
その言葉を聞いて、色々な護身術を習ったが今ではやめてしまった。
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もう少しで、昨日の場所だ。こんなことがあったのが春休みでよかったと思う。
歩いているとふと違和感に気づく。
鳥の鳴き声がしない、もうしてもいい時間なのにと周りを見渡すと時間が止まっているように草木は固まっていた。
冷や汗が出る、鼓動が早まる。深呼吸をし、なんとか落ち着こうとするが全く治らない。
自分の土を踏む音と心臓の音だけが山に響いて、自分以外の生命が死んでしまったかのように思えた。
右手に畑が見える所まで来た。静かだ。まだそこは薄暗い。足音が多い気がする。
また幻聴か?と思うがそんなはずはないと顔をしかめる。
バッと後ろを振り返る。視界がぼやけてよく見えない。
すこし向こうに何かが立っている。…あいつだ!
ビクッ!っと体が勝手に反応し、全力で走る。
やつだと確信する。さっきは焦って走ってしまったが、徐々に落ち着きを取り戻した。これも師匠からもらった小袋のおかげである。
後ろの状況は確認できていないが確実に追っていている、体からの危険信号は止まっていないのだ。
息が荒い。鼓動も早い
寒い。
でも大丈夫だ、まだ奥の手はある。
とにかく走れ!走れ!。
自分に言い聞かせ、足を動かす。
まだ薄暗い山道を怜は必死に走る。
ーー追いつかれた!、やるしかない!
右手をポケットに伸ばし、小袋を取り出す。
しかし、少し先に広い敷地が見えた、能力を使い一気にそこに走り込む。
今だ!体を捻らせ急停車する。すぐさま小袋から瓶を取り出す。
オンナはすぐそこに立っていた。172センチある自分より少し背が小さいから168といったところだ、幽霊に身長というのがあるのかはわからないけど。薄汚れた白い服に長い黒髪、王道の幽霊といった感じだ。向こうはこちらをじっと見て立っている、いま塩をかけるべきか迷ってしまった。
オンナが足を動かす、怜は手を瓶に伸ばす。
そして中身をオンナに向かって投げつけた
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急にあたりが明るくなった、それは自分の目の前が光っているからだ。瓶からでたきめ細かい粉は一粒一粒が淡い光を出し消えていく、妙な光景が広がっていた。
「なんだこれ……」
その光は目の前にいる、オンナに吸い込まれているようだった。
「お前…なんで泣いているんだ?」
そこにはすすり泣いているオンナの姿が見えてあった。
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さっきとは違う雰囲気を感じ取り、怜はゆっくりと口を開く。
「お前は、何故俺を追いかけたんだ?」
自分でもわからなかった、普通なら話しかけるなど論外な行為だが自然に行動に移してしまう。
「もう一度言う、何故俺を追いかけたんだ?何か理由があったんじゃないのか?」
「さみし......かった、でも、あなたを、見つけた」
「ちょっと待ってくれ、お前は俺と会ったことがあるのか?」
長い髪を揺らしながら首を縦に振る。少しばかりか服も綺麗になっている気がする。
「お前、、じゃない、さっちゃん」
「さっちゃん?それはお前の名前か?」
予想外にもベタで可愛い名前が飛び出してきて驚く。しかし、何故幽霊に名前があるのか生前の名前だろうか。
太陽が昇ってきた、辺りはだいぶ明るくなっていて、光っていた粉はいつのまにか光を失い地面に散りばめられていた。
「あした、またきて」
そう言うと有無も言わせず彼女は姿を消した。
「なんだったんだよ...とりあえず師匠のところに行かないとな」
色々とありすぎて頭がパンクしそうになる。春休み中で本当によかった。
聞かないといけないことが増えたな、とりあえず家に帰るか。
怜の心の中は憂鬱と好奇心がせめぎ合っていた。