第七話「新たな舞台へ(前編)」
「それでは、お世話になりました。ドルフレッド様」
「うむ、何かあれば召集する。それまではじっくりこの世界に慣れつつ、実力を磨いてくれ」
あの戦いから二日が経ち、俺は新しい家に引っ越すこととなった。とは言っても俺は立場的には一応ドルフレッド様の上級騎士になるらしく、家というよりは隣の山にある屋敷に引っ越すのだが。
正直、俺はドルフレッド様のようにたくさんの召使を持ってるわけでもないし、そもそも生まれが高貴なわけでもないはずだ。屋敷なんて大それたものは必要ないのだが、配下の住居が狭苦しいものだったらドルフレッド様の沽券に関わるらしい。我慢するしかないだろう。
それに、何も大きな屋敷に一人で暮らせというわけではない。たった一人だが、俺には同居人もいた。もっとも、荷物を運ぶ馬車の運転を俺一人に任せるこの石を、人としてカウントするならばの話だが。
「なぁガーゴイル。もう二時間半は俺が一人で運転してるんだぞ? せっかくお前でも乗れるように丈夫な荷台を用意したんだから、少しくらい変わってくれないか?」
荷物の上にちょこんと座っていたガーゴイルだが、俺の言葉を聞くと聞こえないとだだをこねるように耳をふさぎ、首を横に振った。ワイバーンがドルフレッド様の領地に現れたことにより、しばらくの間はアルストル家の周辺は兵が駐屯することになった。それで、護衛係のガーゴイルはしばらくは必要なくなったらしい。
どうやら俺は神様からついでのように馬術の才能も貰っているようだ。今の今まで一度も馬が暴走しなかったことを考えるとそうとしか考えられないが、それでも初めて手綱を握るのだ。不安なものは不安だった。だからこそ、少しくらいはガーゴイルに変わってほしいのだが。
「あら、ルークじゃない。こんなところで何してるの?」
上空から声がする。少し身を乗り出して空を見ると、レイラが透明な羽を広げてこちらに手を振っていた。手を振り返すと、こちらまで飛んで来て、荷台に入ってきた。
「ガーゴイルもいるじゃない。家具を積んで、引越しかしら?」
「その通りだ。だがこいつがさっきから馬車の運転を変わってくれなくてな」
「なら、私が変わってあげようか?」
そう言うとレイラは俺の隣に座り、軽く首を回した。
「いいのか?」
「少しだけならね」
なら、お言葉に甘えるとしよう。俺は手綱をレイラに渡し、荷台の中で力を抜き横になった。
「助かるよ。ありがとう」
「いいのよ、気にしないで」
レイラは振り返り、そう言うと俺に笑顔を向けた。なるほど、レオがこいつのために必死になる気持ちも同じ男として分からなくはない。もっとも、あいつとそういう意味での好敵手になるつもりは毛頭ないが。
「そういえば、お前は何をしにここへ?」
「この近くにレオが修行してる洞窟があってね。たまに私も付き合ってるのよ」
そういうことか。レオがどんな修行をするのかは少し気になる。この近くということは俺の屋敷からもそう遠い距離ではないし、今度俺も行ってみようか。
などと話していると、突然家具に座っていたガーゴイルがすてすてと荷台の壁に歩いていき、壁に耳を当てた。何か聞こえるのだろうか。
「どうしたんだ? ガーゴイル」
俺がそう聞くのと同時に、ガーゴイルは思い切り壁を殴り、大きな穴を空けた。馬車が大きく揺れ、馬たちが驚いたのか叫び声を上げる。そして、馬が制御できなくなってしまったのか馬車は物凄いスピードで走り出した。
「な、何!? 何が起きたの!?」
「ガーゴイル、どういうことだ!?」
ガーゴイルは右手の人差し指を唇に沿え、左手の人差し指を穴の先に指した。その先には、少し遠いところで止まっている一台の馬車があった。
「お、おいガーゴイル、これは……」
ガーゴイルは少し強く俺の口を直接手でふさぎ、そしてすぐにその手を離し耳に手を当てるジェスチャーをした。左手の指はまだ外を指している。あの馬車から、何か聞こえるのだろうか。俺は目を瞑り、耳をすませてみた。
こちらの馬車が揺れる音、風を切る音、向こうにある馬車がゆっくりと走り始める音。そして、かすかに「助けて」という声が聞こえた。
「!! レイラ、この先を真っ直ぐだ! 悪いが先に行っててくれ!!」
穴から飛び降り、全速力で馬車を追いかける。どうやら身体能力もある程度この世界に合わせて超人的なものになっているようで、かなりのスピードで走っている馬車に距離を離されることはなかった。
「助けてください!! 助けて!!」
荷台の中から、今度ははっきりと声が聞こえる。拘束されているためか姿は見えなかったが、あまり歳は取っていないであろう少女の声だ。
「待っていろ! すぐに助けてやる!!」
俺の声に反応し荷台の中から豚を思わせる頭を持った二人の大きな男が現れる。あれはオークという奴だろうか。とにかくその二人組みは、俺に向けて弓を引き絞る。何本もの矢を同時につがえており、散弾のように放つつもりだろう。
「その程度……乱撃の魔光……!」
俺は矢を迎撃し、そのまま二人組みを倒すために乱撃の魔光弾を撃とうとするが、直前で踏みとどまる。乱撃の魔光弾は光弾のばらつきが激しく、流れ弾が馬車に当たってしまうとも限らない。そうなれば馬車は壊れ、捕まっている少女が怪我をしてしまう。それ以上に、もし少女本人に当たれば最悪死んでしまうかもしれないのだ。
しかし、俺の迷いをオークが待ってくれるはずもない。同時に俺に向けて十数本もの矢を放ってきた。よく見れば飛んで来る矢の先には見覚えのある紫色の液体が滴っている。間違いない、オークはワイバーンの毒を矢刃に塗って放っているのだ。
「くっ……!!」
こうなれば仕方がない。できるかは分からないが、乱撃の魔光弾を地面から突き上げるように放つことで矢を一本残らず焼き払ってみよう。
結果として、この戦法は成功だった。飛んで来る弓を全て焼き焦がし、撃ち落したのだ。流石に蒸発とまでは行かなかったが、これだけやれば十分毒も死ぬはずだ。それを見たオークは驚いたような表情を見せるが、またすぐに矢をつがえようとする。
「もう好きにはさせんぞ! 闇穿つ光の魔弾!!」
左右の手で同時に放った俺の光は一瞬で片方のオークの右腹に突き刺さり、もう片方のオークの左肩に叩き込まれた。そのまま二人のオークは軽く吹き飛び、荷台の壁に叩きつけられ気を失う。俺はその隙に加速し、荷台に飛び込むようにして入ったのだった。
そこにいたのは、冷たい鉄の手械と足枷を付けられ、床に繋がれるようにして拘束されていた耳の尖った少女だった。肩甲骨まで伸びた雪のような白い髪と、そこに血を落としたような深い赤色の目。どうやら俺が元居た世界でいうところのアルビノのようだ。
「大丈夫か?」
「ま、まだあと一人……」
少女が俺の後ろを指差す。急いで振り返ると、そこには青い長髪の男が、まるで幽霊のように無言で立っていた。黒いマントを纏っており、その胸元には竜を模したエンブレムが描かれている。
「何ッ!?」
俺は後ろ回し蹴りで攻撃するも、男はやはり何も言わずに後ろに飛びのき、俺の蹴りを回避する。そして男はフッと不適に笑い、親指で自身の後ろ、つまり荷台の外を指差した。それと同時に、俺の後ろで走り続けていた馬が吼え、馬車は停止した。
「……手加減できる相手じゃないな。いいだろう、受けて立つ」
男はニヤリと口角をつり上げ、マントをはだけさせると腰に差していた剣を抜いた。マントの下には輝く黒金の鎧を纏っており、どうやらこの男は騎士のようだった。俺も対抗し、ドルフレッド様から頂いた剣を抜く。
次の瞬間、男は一跳びで間合いを一気に詰め斬りかかって来た。そのあまりの速さに、発生した途轍もない衝撃が辺りの木々を襲う。まさに神速と表現するべき速さだった。
しかし、俺にはそれが見えている。それどころかまるでスローモーションのようにゆっくりと、この男が俺の肩口から脇腹までを斬り裂こうとしていることまではっきりと分かる。今までの戦い以上に、負ける気が全くしなかった。
俺が持っているのは力そのものではなく才能だ。そして、恐らくこの男はレオやガーゴイルよりも遥かに強い。俺が戦ってきた中で最強の存在は間違いなくこの男だろう。だからこそ、その才能が刺激され力となって開花されつつあるのかも知れない。何にせよ、俺はこの男に勝てると確信したのだ。
俺は男の斬撃をかわし、振り抜かれた剣を足で踏むようにして止めると、そのまま男の首をはねるようにして斬りつけた。しかし、男はそれを避けることも防ぐこともしない。直前で止めるつもりだった俺の斬撃は、その予想外の動きに思ったよりも早く止まってしまう。
すると次の瞬間、男は剣から手を離すとほんの僅かに後ろに飛び退いて間合いを開く。見ると、いつの間にか男の手には一振りの真っ黒な剣が握られていた。そしてそれを俺が見た、まさにその瞬間のことだった。
「迅雷の如し」
そう呟いたかと思うと、全身から雷を迸らせた男が突然目の前に現れたのだ。それと同時に男は斬りかかって来る。それも、残像で剣が数百本にも見えるほどの超高速で。
「くっ……!?」
流石に見切れない。そう思っていた。そう、現に俺の目は全く反応できていない。しかし俺の体は俺自身の目ですらも全く追うことができない超高速で、その剣を全ていなしたばかりか一突き、男の右肩を貫いたのだ。
「何だとッ……!!?」
男はそう呻くように呟くと後ろに飛び退く。その直後、音と共に途轍もない衝撃波が俺達とその後ろを除く全てをなぎ倒したのだ。どうやら俺達は、音速すらも遥かに超えた速度で斬りあっていたらしい。
すると突然、男が血を流している肩を震わせながら低く笑った。
「やるではありませんか。何者かは存じませぬが、全力の剣を見切られるのなら、今の私では万に一つも勝ち目がない」
そう言うと男は剣を投げ捨て、両手を挙げた。どうやらこの世界でもこれが降参の合図らしい。
「あの子をさらって何をするつもりだった?」
俺も剣を納め、男に質問する。もう既に負けを認めているこの男を斬るよりも、今はその方が遥かに大切なことだった。
「……すぐに分かりますよ。そう、すぐにね」
男はニヤリと笑い、そしてマントをはためかせると一瞬で消えてしまった。逃げられたか。
しかし、今は男を追っている場合ではない。俺の後ろに停まっている馬車には、今も手足を繋がれた少女が怯えているに違いないのだから。俺は荷台に急いで戻った。怖がらせないように気絶しているオークを外に運び、少女に話しかける。
「今度こそもう大丈夫だぞ。安心するといい」
繋がれている少女の鎖を剣で切断し、開放してやる。すると少女は、恐怖の抜けきらない赤く揺れる瞳で俺を見つめると口を開いた。
「あ、ありがとうございます……」
「怖かっただろう。とりあえず、俺の屋敷に来ないか? 俺もきっと友達を心配させてるだろうし」
恐る恐るながらも少女はこくりと頷き、俺は馬車の手綱を握った。その時だ。
「うわぁ、すげぇ戦いだな。こりゃ好戦的なオークも逃げるわ。何匹か気絶してるし」
知っている声がこちらにかけてくる音がした。後ろを振り向くと、声の主、レオが気絶しているオークをまじまじと見つめ、足の先でつついたりしている。
「れ、レオ!?」
「ん? ルークじゃねぇか。この戦い、まさかお前がやった……の…………か?」
レオの声はどんどん歯切れが悪くなり、こちらを見る瞳はどんどん大きくなっていった。何か信じられないようなものを見ているかのような、そんな顔だ。
「お、おい!! その子、エンシェントエルフじゃねぇか!!?」
「エンシェントエルフ? それは何だ?」
ふと、まだ名前も聞いていないその少女のほうへ目をやる。愁いを帯びた瞳は、ただ下ばかりを見つめていた。