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南條くんに会いたい

作者: 木漏陽

ある中学校の七不思議の一つに焦点を当てた、ちょいミステリーです。

全く以って意味がわからない……と、橋石拓実きょうせきたくみはため息をついた。月一回の持ち物検査のことだ。抜き打ちが入ると月二回の時もある。

第三金曜日の今日は定例的に行われる日だった。机の上で鞄を開き、ポケットの中身も机に並べさせられるのだが……そんな検査をしたところで俺たち中学生の持ち物が変わるとも思えない。隠す奴は隠すし、見つかって取り上げられたところで厳重注意の上貴重品は生徒へ返すしかないわけで、どうと言うこともないだろう。もっとも、親にバレたら厄介な類いの物などは困る生徒もいるかも知れないが。


「なんだこれは」


先生の声がした。小声だったが、怒気をともなった厳しい声。見ると、南條なんじょうという男子生徒の机だった。

橋石きょうせきの席からはよく見えなかったが、先生と南條は半開きのピアニカの中に視線を落としているようだ。音楽の授業で使っている鍵盤ハーモニカというやつだ。潔癖性気味なところのある南條のことだ、持って帰ってアルコール洗浄でもする気だったのだろう。


( 南條? あいつが持ち物で指摘? 珍しいな )


南條は自閉的な性格で、人と話しているところをほとんど見た事がない。色白で体の線が細く長髪のため、私服姿で会うと女子と見間違えるほどだ。学校も休みがちだが、病弱という訳ではない。いや、ある意味病弱の部類なのか……本人いわく対人恐怖症らしいが、橋石に言わせればただの“人間嫌い”といった感じだ。教師に対しても平気で「気が乗らないので休んでた」と言ったりする生徒だった。


「後で生徒指導室に来なさい」


先生はその言葉とともに何かを南條のピアニカの中から掴み出し、ポケットに入れた。

一年の頃から南條の性格を知っている橋石は、心配したところでうるさがられるだけだろう、とそれ以上気に留めなかった。

そして、この時は思いもしなかった。この一件が、大して興味もなかった“学校の七不思議”の一つに振り回されるきっかけになっていたとは……。


橋石は帰宅後、食事と風呂を鼻歌交じりで済ませると、ノートパソコンを開いた。最近ハマっているオンラインゲームにログインするためだ。これがなかなかに面白い。今日は金曜日。明日、明後日と学校が休みともなれば鼻歌も出てしまうというものだ。携帯電話からでもログイン出来るゲームだが、画面の大きさと操作性は比較にならない。アクション要素もあるハンティングゲームなだけに、パソコンで思う存分プレイ出来るのはこの上ないストレス解消と言えた。


「そろそろ八時か」


オンラインで知り合った仲間と待ち合わせの時間だ。仲間と言っても、その素性は何も知らない。顔はもちろん、年齢も、性別も知らない仲間。四人で一単位のフィールドに入り、狩りをする。ゲームの中で独自に用意された無人島が何パターンかあり、様々なゲームオリジナルの獣が棲息している仕様で、人が操作するキャラクターは一定時間内に食事を摂らないと行動不能になる。また、獣との戦闘で負傷し行動不能になることもある。


カマ実 : 木の実集めからいく?

サーロイン : いきなり魚介系いかね? 海岸近いし

柚子太郎 : なんでもいいよー

虚弱大佐 : バーベキューセット持ってきたら水持ち込めんかった

カマ実 : んじゃ先に湧き水探すか


まずはチャット機能でお互いの装備を確認するのだが、もう何度もこの四人でログインしているので事前準備はスムーズだ。“カマ実”とは橋石のキャラで、青い目にブロンドの髪の女性キャラである。サーロイン、柚子太郎、虚弱大佐は三人とも男性キャラで、得意とする狩り道具や攻撃スキルがそれぞれ違う。


虚弱大佐 : なんだこのでかいトカゲ

サーロイン : 恐竜かよ 飛び道具でダメージ出るか?

柚子太郎 : 動き遅い 接近戦でいけるかも

カマ実 : 発火落とし穴セット おびき寄せて


時間も忘れてゲーム内の無人島を冒険していく四人。狩りをしては食事をとり、狩った獲物からは新しい装備の材料を手に入れ、島の奥へと進んで行く。


カマ実 : 食事のたびにリアルでも何か食ってます お菓子とか

サーロイン : 食後の一服がたまらんね

虚弱大佐 : うまく出来てるよね 狩りの戦闘アクションから手を休められる


「ん?」


柚子太郎が急に無口になった。何かあったのだろうか、と橋石が心配になった矢先に……


柚子太郎 : 落ちる


キャラの吹き出しにそうチャットログを残し、柚子太郎がログアウトした。時計を見ると夜の十時半頃だった。


「ありゃ。早いな。十二時まではいけるって言ってたのに」


チャットログの雰囲気やログインの時間帯から、急用などに捕まる社会人ではなく学生ではないかと想像していた橋石だったが、リアルで何があったのかまでは知りようもない。

三人になった後、どうしても倒せない獣と遭遇し、無人島の主と言われるボス獣に辿り着けないまま、今回はお開きとした。

翌日の土曜も、柚子太郎はログインしてこなかった。ゲーム内にメッセージも残していない。仕方なく“カマ実”達三名のゲーム仲間は別のユーザーを一人誘い、土日のゲーム時間を過ごした。


月曜日。

南條が学校を休んでいた。またサボりか、と橋石は思ったが、一度引きこもるとテコでも動かないことを知っているため、一週間以上来なかったら彼の家に押しかけてみるか、くらいに考えていた。


橋石の最近恒例の暇つぶし……休み時間のたびに携帯電話からオンラインゲームにログインし、一人でも対処出来る“離島エリア”でソロプレイをして装備の材料集めをすること。

学校の教室なので友達から話しかけられるとゲームに集中出来ない環境だが、ある程度周りに気を散らしていても対応できるレベルのエリアにいれば、そうそうキャラが行動不能に陥ることもない。


そんなゲーム中のことだった。

座席の背後から誰かに覗かれている気配がし、後ろを振り向くと……女子が一人、橋石が振り向いたと同時に顔をすっと背け、すすすっと離れて行くのが見えた。同じクラスの芦沼楓あしぬまかえでだ。二年生になって初めて同じクラスになり、また、特に親しくもない。社交的な橋石は声を掛けたこともあったが、無愛想に会釈されただけだった。


( お呼びではありません系の目、だったな )


ブサイクな男には興味なし。芦沼あしぬまの目はそう言っていた、と橋石の“女子の反応記憶”には保存されている。

間を置かず、また背後から覗かれている気配。

再び振り返ると、芦沼。先と同様、橋石が振り返ると同時に彼女は顔を背け、すすっと離れて行く。


( 何なんだ一体 )


三度、背後に気配。橋石は携帯電話のゲーム画面を見ながらつぶやいた。


「だるまさんが、ころ、ん……だ!」


だ! で振り向くと、芦沼はよろけて近くにあった机に腰をぶつけた。が、やはりプイッと顔を背け、慌てて離れて行く。

橋石は席を立ち、ゲームを続けながら芦沼につかつかと近寄って行った。


「え……」


芦沼は小さく声を漏らすと、近付いてくる橋石から逃げるように廊下に出た。教室の出入口を見ると、橋石も廊下に出てゲームをしながらすたすたと追って来る。


「えあ……」


よろめきながら逃げる芦沼。それを追う橋石。

走り出す芦沼。橋石もゲームに集中しつつ走り出す。

ついに二人は廊下の端まで追いかけっこをし、角に追い詰められた芦沼は立ち塞がる橋石をすり抜けて逃げようとした。だが橋石は身体を寄せ、それを阻む。芦沼は廊下の角に座り込んでしまった。


「や、やだ、ちかっ、きもい……」


橋石はゲームをログアウトし、携帯電話をポケットにしまった。


「そのキモい俺に、何か御用ですか? 芦沼ちゃん」

「あしぬまちゃん、て……な、馴れ馴れしい……」

「んじゃ、かえでちゃん」

「ち、ちが……ちゃんが馴れ馴れしい」

「おお、悪い。んじゃ、楓」

「呼び捨てもっと無理!」


芦沼は角に座り込んだまま、上目遣いで叫んだ。表情がやや怯えている。

どう見てもこれは嫌がられているな、と思った橋石は、身体を廊下の角から放すと、振り返って教室に戻ろうとした。すると芦沼が立ち上がりながら慌てたような声で言った。


「あ、んの、あま、待って……」

「なんだっつーの」


芦沼は携帯電話を取り出した。手慣れた操作でどこかへアクセスしている。


「い、今やってたの、デザアイ、だよね」

「ん、ああ、デザートアイランド。なに、やってんの?」


彼女はせわしそうに素早く三回頷くと、携帯電話のモニターを橋石の方へ向けた。覗き込んだ彼は驚きのあまり思わず叫んでしまった。


「でえええ! まじすか!!」


そこには橋石も見慣れたゲームキャラクター“柚子太郎”がいたからだ。似た容姿のキャラはいくらでも作れるが、登録されたキャラ名はゲーム内では唯一無二、同じ名前は他者には登録出来ない。“柚子太郎”は間違いなく芦沼楓が作成、登録したキャラクターだった。


「なんと、東大もと早稲田……」

「それを言うなら東大デモクラシー、とかじゃなかった?」

「うんにゃそれも違うけど……ひえー、君だったんか……剣術スキル上げてるし、絶対男だと思ってた……」


橋石はモニターの柚子太郎と芦沼を交互に見つつ驚きと感動が入り混じったような表情をしている。


「私も知らなくて、橋石が“カマ実”とか、今知ったし。デザアイやってるっぽいなって、それは思ってたんだけど……」


その時、授業の予鈴が鳴った。

橋石と芦沼はとりあえず教室に戻り、授業中こっそりとオンラインゲーム“デザートアイランド”にログインした。


カマ実 : なぜ逃げた 普通に話せばいいだろ

柚子太郎 : それは

柚子太郎 : ちょっといろいろ

柚子太郎 : いろいろあって 話しずらいし

カマ実 : 金曜はどうした? 風呂落ちか

柚子太郎 : いろいろあって

カマ実 : まーいーわ 装備揃えとかやりやすくなるな

柚子太郎 : 他の二人知ってるの?

カマ実 : サーロインと虚弱大佐か?

柚子太郎 : うん

カマ実 : オフでは知らん

柚子太郎 : 南條は?


「はあ!?」


橋石は授業中にも関わらず声を出してしまった。慌てて教科書を顔の前に立てる。


カマ実 : リアル名前出すな ここオンラインだぞ

柚子太郎 : やってるのかなって

カマ実 : 知らね やってないと思う

柚子太郎 : なかいいじゃん

カマ実 : 誘ったことあるけど興味なさそうだった

柚子太郎 : サーロと大佐 知らない人?

カマ実 : しつこいな SNS交流もない ゲーム内だけ

柚子太郎 : なんj


( あん? )


中途半端なチャットログが柚子太郎から発せられた。橋石が芦沼の席をチラッと盗み見ると、携帯電話を机の中に投げ込んで必死に取り繕っていた。先生の方を見ると、芦沼を凝視している。


( ドジ…… )


どうやら見つかりそうになって回線を強制的に切ったらしい。柚子太郎はログアウトしていた。


昼休み。

芦沼は橋石を呼び、人気の無い場所を探した。人目につかない場所というのは意外と無いもので、昼休みは誰かしら通り掛かったりする。二人は三階へ上がり、視聴覚室や音楽室が並ぶ西校舎の廊下へ来た。


「なんでこんなとこ来るかな。教室でマッタリとソロしてたいんだけど」

「えっと、私、も、あ……南條、くん、何で休んでるのかな」

「え? 南條? 知らん」

「仲良いんでしょ」

「あーんと、そう見えるかも知れないけど、あいつ自閉症で引きこもりの変わり者だからさぁ、俺が時々一方的に構ってるだけでさ、向こうは仲良いとか思ってないんじゃないかな」


芦沼は目を泳がせながら、橋石の顔を一瞬見た後、窓の外へ視線を向けた。

西校舎の三階からは部室棟がよく見える。部室棟は校庭の端に独立した棟として建てられており、棟の後ろ側には植樹が並んでいた。植樹は部室棟の端に行くにつれて冬でも葉の茂る針葉樹になっており、棟の端はその針葉樹がちょっとした林のように生い茂っており隠れて見えなくなっている。


部活に入っていない橋石にとっては近付いたこともない部室棟だったが、ふとある噂を思い出す……“開かずの部室”と言われている閉鎖された部屋が棟の端にあり、その部屋から不気味な物音がする……だったか、学校の七不思議の一つだ。

橋石にしてみれば興味もないし関わりたくもないが、“不気味な物音”の話は今もしょっちゅう耳にする。

彼は窓からぼーっと部室棟を見ている芦沼に言った。


「おーい、南條が休むのは別に珍しくないだろ」

「え、あ、そうだっけ……」

「オンするなら協力してやった方がいいから、もしよければ……」

「あのさ、橋石」

「え?」

「怖いよね、“開かずの部室”」


芦沼もたまたま目に入ったからか、気にし出したようだ。それほどこの奇怪な現象に遭遇したという生徒は多く、後を絶たない。


「部活入ってたっけ、芦沼」

「軟式テニス。サボってばっかだけど」

「お前も聴いたことあんの? 物音とか」

「ん、うん、だってテニス部の部室……」


芦沼はゆっくりと橋石の方へ顔を向けつつ、言った。


「“開かずの部室”のすぐ隣、壁一枚隔てて隣接してるし」


彼女の言葉は淡々としていた。それは『怖いよね、“開かずの部室”』という先の発言を裏付ける怯えた感情を押し殺しているかのように、橋石には感じた。無表情とも言える芦沼の目が、じっと橋石を見ている。


「ま、帰宅部の俺には関係ねー話……」


橋石の言葉が終わらぬうちに芦沼はぷいっと向きを変え、中央階段の方へ歩き出した。


「な、なんだよもう……」


女という生き物は全く以って意味がわからない。南條の休みの理由を知りたければ先生に聴けばいいだろう。なぜわざわざこんな所まで俺は連れて来られたのか……橋石は頭の中に『?』をふわふわと漂わせたまま、仕方なく芦沼を追って教室に戻った。


翌日、火曜日。

一限目が終わった後、芦沼はまた南條のことを橋石に聴いてきた。


「知らねぇってば。先生に聴けよ」


今日も南條は休んでるいるようだが、橋石にとって知ったことではない。教室の後ろに生徒用の小さなロッカーが設置されているのだが、芦沼は南條のロッカーを覗き込んでいるようだった。


( ん? もしかして…… )


二時限目が終わった休み時間に、橋石は芦沼の席に行った。空いていた椅子を引き寄せ、どかっと座る。


「な、なに」

「お前さ、好きなのか。南條のこと」

「ちがっ、いきなり何よ」

「いきなりじゃねーだろ、昨日から南條、南條って」

「二日も休んで、ど、どうしたのかなって……」

「あいつが休むのなんか珍しくないだろ。ロッカーなんか覗いて何してたんだ」

「ピア……べ、別に覗いてたわけじゃ……」


( ピア?…… )


「気になるなら連絡取ってやろうか?」

「え、い、いいよ別に、話したことないし」


この時初めて橋石は不自然さを感じた。不思議に思った、ではなく、不自然。話したこともない異性のクラスメートの欠席に、好きでもないのなら、なぜこうもこだわるのか。


( ピア、っていい掛けたな……ピアニカのことか? )


橋石は視線だけチラッと南條のロッカーへ向けた。見える限りでは、南條のロッカーの中にピアニカは無い。先週の金曜に、やはり持って帰ったのだろう。

芦沼がこだわっているのは南條本人ではなく……


ガッ


その時、芦沼が橋石の腕をいきなり掴み、席を立って廊下へと彼を引っ張っていった。


「なに」

「今日さ、放課後、調べてくれない?」

「何を」


芦沼は橋石の腕を掴んだまま、上目遣いで、声を押し殺して言った。


「“開かずの部室”」


彼女の目は真剣だった。だが、橋石には一ミリも興味はないし、関わりたくもない。


「唐突だなぁ、なんだよ、嫌だよ。テニス部なら自分で……」

「テニス部だからっ! 怖いし、私がサボり勝ちなの、怖いからだし」


橋石には恐怖心のようなものは無かったが、単純に面倒臭かった。どうせ置いてある物が倒れたとか、もしかしたら猫が住み着いているとか、そんな落ちに決まっている。


「んー……んじゃあ、しゃあない、昼休みにでも見てみるか」

「鍵、部室棟の、昼休みじゃ借りられない。放課後なら」


気が進まない。だが、橋石は渋々引き受けることにした。

芦沼の話では、“不気味な物音”とは“ブランコが往復するような金属音”だったり、“不規則な扇風機のようなバタバタ音”だったりするらしい。伴い、首吊り死体が揺れているだとか、陸上部員の幽霊が走り回っているだとか、そんな尾ひれの付いた妄想話までくっ付いている。

もちろん橋石は信じていない。彼は教室で放課後、ソロでオンラインゲームをしながら芦沼が呼びに来るのを待った。


芦沼が呼びに来たのは午後五時近かった。おかげで橋石はゲーム内でなかなか落とさないとされているレア材料“フライパキリノの翼爪”を入手した。


「おい、これ、ほら、パキリノの爪、これ、鎌形の武器が作れるやつ。カマ実の装備グレードアップ!」

「よかったね。部員、先輩も帰った。鍵、預かってきた」

「冷めてるなぁ。カマ実にカマだぞ、もっとこう……」

「ほら、行こ」


芦沼に引っ張られるように、橋石も校庭へ降りて行った。

十月の風は残暑も落ち着き、程よい心地よさで二人の頬を撫でる。西陽は傾きかけているが、まだ夏の面影を残す明るさが部室棟をほんのり赤く照らしていた。それでも、部室棟の裏側に並ぶ植樹は大きくざわめきながら、黒い影を演出している。生徒はもう帰る時間だよ、とでも言わんばかりに。


「なんかここだけジメジメしてるな」


部室棟の一番端の部屋、軟式テニス部の部室の隣に位置する“開かずの部室”は、棟の屋根より遥かに高い針葉樹に囲まれ、屋根に覆い被さるように影を作っており、地面は常に湿度を帯びている。確かに不気味な感じがするな、と橋石は思った。そのドアは他の部室と同じ、ドアノブの付いた分厚い鉄の開き戸だ。ここだけ南京錠も掛けられている。


「ここの鍵は?」

「生徒は持ち出せない。見て、蝶番ちょうつがいのとこ」


芦沼が指差したドアの蝶番は完全に錆びており、ボルトなども含めてドアと一体化してしまっている。橋石は指で触ってみた。


「なるほど……鍵が開いたとしても、多分ドアが開かないな。錆びついて固まってる」


橋石は棟の側面に回ってみた。地面から高さ百八十センチくらいの場所に小窓がある。ガラスは曇りガラスで、二枚窓の片方はヒビが入っていた。よく見ると、茶色い紙か何かが内側から貼られている。


「よっ!」


ギリギリ手が届くので、開けてみる。だが小窓はピクリともしない。内側からロックされているようだ。

棟の裏側、ドアの付いている面の反対側に回ってみると、鉄骨や材木が棟の壁に沿って外に積まれていた。植樹の陰になり部室棟の裏側は結構暗い。そして大きなガラス張りの二枚窓があり、一枚はガラスが無くベニア板が貼られていた。もう一枚は曇りガラスが残っているが、そちらも内側からベニア板が充てがわれている。

橋石は積まれている鉄骨に足を掛け、ベニア板が貼られた方の窓から中に入れないか、板を押してみようとした。すると、芦沼が小声でつぶやいた。


「聴こえる……」


キイィィ……キイィィ……


橋石の手が止まる。彼も耳を澄ませた。


キイィィ……キイィィィ……


ブランコが揺れる、鎖と鉄柱が擦れるような音。


キイィィ……キキイィィ……


( どこからだ? 本当にこの中からなのか? )


橋石は鉄骨から足を降ろし、部室棟のドアが並んでいる方、校庭側に出てみた。校庭側は音が拡散するのか、聴こえている“音”は小さい。だが、やはり部室棟の中から聴こえる。


「芦沼!」

「え?」

「テニス部の部室、入っていいのか?」

「う、うん、鍵開いてる」


橋石はテニス部の部室に入った。続いて芦沼も入ってくる。ドアの中は男子用ロッカーになっており、大きなテーブルとパイプ椅子がいくつか置かれていた。更に奥はカーテンで仕切られており、『女子更衣室』という札が下がっている。内壁の隅は剥がれて破損しており、それを見て橋石はこの部室棟の壁構造を知った。


「ブロックを積み上げたブロック塀、それにベニアみたいな合成板が貼られているだけ、か」


橋石は“開かずの部室”との境目の壁に行き、耳を付けてみる。その直後、慌てて身体を壁から離した。そして芦沼に顔を向ける。


「……ね」


芦沼が怯えた表情で言った。橋石の額に、いつの間にか油汗が浮いている。


キィィ……キキイィィ……


間違いない。この“音”は“開かずの部室”から聴こえている。さすがに恐怖心というものがじわじわと気持ちを侵食し始めていることに、橋石も気付いた。

何が恐怖かと言うと、常識的に考えたらあり得ないからだ。仮に、ブランコのようなものが“開かずの部室”に置かれているとしよう。橋石が知る限り約一年半、誰も入っていない場所に置かれ、風も入ってこない密室で、ブランコが独りでに揺れ出すだろうか。それとも何かの振動か。この中学校の周辺に鉄道は走っていないし、大きな車道も無い。


キイィィ……キキイィィ……


「いや、何かが揺れてるなら理由があるはず。何が音を出してるんだ……」


橋石は“開かずの部室”に面する壁を観察し始めた。壁の四隅は完全にブロック塀が露出しており、合板の継ぎ目も所々破損している。彼は向こう側が覗ける穴が無いか探した。


( ん? この臭い…… )


壁に染み付いているある臭いが気になったが、今は関係無い。とにかく穴だ。ブロック塀が貫通している程の穴は四ヶ所あったが、角度的に“開かずの部室”の真ん中辺りが見えるのは一ヶ所しかなかった。それも床から三十センチくらいの高さで、橋石は四つん這いになって覗いてみた。


「真っ暗だな……芦沼、懐中電灯とかないか?」

「あ、あるけど」


芦沼は部室の壁に必ず一個づつ設置してある赤い懐中電灯を取り外し、橋石に手渡した。


「見ずらいな……」


穴が小さく、懐中電灯を当てると覗くことに苦労する。橋石は制服のまま這いつくばって見える角度を探した。

何かが揺れている。

穴からの視界を右に、左にと振り子のように往復している。


キイィィ……キイィィィ……キキイィィィ……


「!」


橋石は懐中電灯をいきなり放り出し、慌てて逃げるように穴から離れた。息が荒くなっていく。心臓が破裂しそうなほど速く脈打ち出す。


「ハッ、せ、せ、ハッ、先生、ハッ、先生呼んで、せ、先生よ、呼べって、芦沼!……」

「え、なに、何が見えたの……」

「ああし、あし、誰かの、ハッ、足、ぶら下がって、ハッ、足が、誰かが……」


橋石はやっと立ち上がった。橋石が見たものは、左右にぶらぶらと揺れながら往復する人の足の先だった。この学校のジャージを履いており、スニーカーのようなシューズも見えた。

二人はテニス部の部室の鍵も閉め忘れたまま、職員室へ駆け込んだ。橋石は見たものをテニス部顧問に、息も切れ切れに話した。


「ああ、ははは。そういう、なんだ、七不思議ってやつか、あるなぁ。私も五年この学校にいるが、無いよ。開かずの部室が開けられたところは見たことが無い」

「じ、じゃあ確認して下さいよ! し、死体だったら事件……」

「確認か。まあ、私もあの部室は開けようがないから見れないが、テニス部の部室を閉めるついでに部室棟の周りも見ておこう。二人とも気を付けて帰りなさい」


テニス部顧問になだめられ、納得いかないまま橋石と芦沼は帰宅した。


「見た……はっきり見た……首吊り死体……」


橋石は湯船に浸かりながら独り言をつぶやいていた。


「芦沼は見たことあんのかなぁ、あれ……」


確かに見た。間違いなく見た。懐中電灯の灯りが照らした、左右に揺れる人の足。学校ジャージにスニーカー……


「俺の学年だったな、あのジャージの色……」


誰かが本当に自殺をしたのだろうか。その幽霊が、見つけてももらえずに、何年もあの“開かずの部室”でぶら下がって……ん?

橋石は湯船の中で上体を起こした。


「幽霊にしても死体にしても、ずいぶんリアルな、ってか、綺麗なジャージだったな……」


確かにはっきり見た。はっきりと、自分と同じ学年色のジャージと、割と手入れされているようなスニーカーだった。

壁の穴からの視界。最初は真っ暗だったが、懐中電灯を向けて、その灯りがはっきりと見せてくれた。

気持ちが落ち着いてくると、いろいろと細かい記憶も甦ってくる。

壁を調べている時に気付いた、ある“臭い”。あの場では関係ないと思っていたが……


「不自然……なのは……あいつ……」


橋石の頭を“意味わからない”と感じた全てが次々と想起され、繋がりを求めるように絡み合っていく。

南條の休みを気にする芦沼。

ピアニカ。

いきなり連れ出された昼休み。

調べてよ、と唐突に言われた“開かずの部室”。

金曜日の“柚子太郎”の唐突なログアウト。

もしかして……


「一杯食わされたってやつか、俺」


ザバァ!


湯船から勢いよく上がると、橋石はオンラインゲーム“デザートアイランド”にログインし、柚子太郎宛に個人メッセージを入力した。そしてベッドに潜り込む。明日は早い。なんと言っても、テニス部の朝練より先に部室棟へ行かなければならない。いや、それよりもっと早く、だ。


水曜日、早朝。

部活の朝練も始まっていない時間に、芦沼が息を切らせながら教室に飛び込んで来た。それを、一人ゲームに没頭していた橋石が迎える。


「おはよ。あ、芦沼のジャージとスニーカーなら置いてあるよ、君の席に」

「……」


芦沼は慌てて自分の席を見た。彼女は何か言いたそうだったが、言葉が出ないようだ。


「あ、そうそう、学校から帰った後、ゲームにログインした?」

「え……してない……けど……」

「あっそ」


芦沼が後ろめたさそうに自分の席でジャージとスニーカーを確認しているところへ、ゲームを中断して携帯電話をしまいつつ橋石が歩み寄って来た。


「まあ、そう構えるなって」

「……」


橋石は手近な椅子に座り、話し始めた。


「金曜日、南條のピアニカに入っていたもの、あれ、タバコだろ」


芦沼の警戒するような表情が、更に硬くなった。泣き出しそうな顔にも見える。


「多分、南條のピアニカに入れたのはお前、芦沼だ。南條はタバコを吸わない。だけどな、あの後生徒指導室に呼ばれた南條はこう言ったと思う。僕のです、とね。深い意味はないんだよ、あいつの発言も。自分のピアニカに入ってたから自分のだ、と面倒だから言っただけだろう。まあ座れって」


芦沼は眉間にしわを寄せたまま、自分の席に座った。


「で、金曜の夜、ゲーム内の話だ。お前の柚子太郎が落ちたのはあるチャットログの後だった。サーロインの“食後の一服がたまらんね”という発言。このログが芦沼には“君もタバコを吸っているのだろう”という遠回しな皮肉に見えた。どこの誰かも知らない人の言葉なのに、芦沼はそれをリアルの自分を知っている人の言葉かも知れないと勘違いしたんだ。そうだろ?」


芦沼は口をきゅっと硬く閉じた。


「でだ、更にお前は、サーロインは南條なのではないか、持ち物検査でタバコを押し付けた南條かも知れない、と考えた。なぜなら、俺が“デザアイ”をやっているらしいと知っていたことと、南條と俺は親しい仲だと思っていたからだ。あのさぁ、思い込み激し過ぎだってば。実際、南條はゲームやってないし、そもそもピアニカに突っ込まれただけのタバコ、誰の仕業かも南條にはわからんよ」

「だ……だって……」

「だから芦沼はまず南條がタバコのことをどう先生に話したか知りたかったんだろうけど、さっきも言った通り多分その心配は無い。お前だって、今もバレてねーよ」

「……」

「サーロインも虚弱大佐もオフの知り合いではないのか、としつこく聴いてきたのもそれが理由だろ。南條はなかなか学校に来ないし、先生にタバコがバレてる様子はないけどどうなっているのか、といろいろ心配しているうちに、別のかたちの心配事が膨らんできた。いつもお前が喫煙場に使っている場所、そこに先生達の手が入ってしまわないか……多分、月曜の昼休みの時にそんな被害妄想が起きたんだろ。西校舎から部室棟を見降ろしてた時だ」

「被害妄想って……」

「だって言ってることが不自然だったぞ。いろいろ考えが混乱してた感じだった。俺を呼び出しておいて、何を聴きたいのか要領を得なかった」

「だ……だって……」

「お前の喫煙場、つまり……」


芦沼の目が充血してきた。今にも涙を落としそうだ。


「“開かずの部室”だ」


耳が真っ赤になり、彼女は小刻みに震え出した。それは今目の前にいる橋石に、騙しやがったな、と思われて咎められていると感じたからだろう。


「俺は裏側の大窓のベニヤ板を調べ切っていなかった。ちょっと手こずったけど、持ち上げてスライドさせればベニヤ板は開く。今朝も首吊り死体……に見せかけたジャージ人形は大型扇風機に揺られていたよ。古い錆びた高鉄棒に吊られね。テニス部側から壁を調べた時に、タバコの臭いには気付いていた。テニス部の男子が吸ってるのか、くらいに感じて気に止めなかったけどな」


芦沼の瞳から遂に涙がこぼれ始めていた。


「まあ、今思えば昨日の火曜、俺が部室棟を昼休みに見に行こうって言った時、放課後にってお前が指定してきたのは“仕込む”ためだったんだな。部室棟の鍵くらい忘れ物したとかなんとか言えば昼休みでも借りられるだろうしな。“開かずの部室”を使っているのはお前だけじゃないな。落ちていた吸い殻の銘柄、種類が複数あったよ。バタバタと変な音をさせるのは大型扇風機を弱にした時だ。接触が悪いのか壊れているのか、不規則でランダムに……」

「……んでしょ……」


芦沼が嗚咽しながら何か言った。橋石は説明をやめ、聞き返す。


「え、なに」

「言うんでしょ、先生に……」


橋石は一瞬真顔になり、直後、ぷっと吹き出した。


「ばーか、そんな面倒臭いことするわけねーだろ、この俺が」

「え?」

「何人いるかも判らない“開かずの部室”使用者諸君を敵に回して告発? は! 馬鹿ばかしいにも程がある。自分に利益の無いことはスルーだよ、俺も、南條も!」

「言わないの?……」

「つーか、女の子はタバコやめろ。赤ちゃん産めなくなるぞ」


そう言うと橋石は自分の席に戻り、机に突っ伏した。


「眠いし、寝る。起こすなよ」


数秒後、橋石はいびきをかき始めていた。


芦沼は学校からの帰宅後、気分が優れないまま“デザートアイランド”のログイン画面をぼーっと見つめていた。南條には本当のことを話して謝った方がいいのか、それで先生に言われたら自業自得……そんなことを考えていると、個人メッセージが“カマ実”から一通届いていることに気付いた。


カマ実 : 柚子太郎がいないとアタシ生きていけない……これからも宜しくね ちゅっ


「きもっ……」


芦沼は優れなかった気分が一気に吹き飛ばされたような気持ちになり、ゲームにログインした。



南條くんに会いたい

【終劇】

事件とは誰かが何かを隠そうとして起こるものですが、いつか、登場人物に隠す意図が全く無いけどいろいろ絡まって事件になってしまった、という物語も書いてみたいです。とても解決が難しそうですが……。

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