開店①
3月27日
AM10:34
俺は、一之瀬が一人で住まうアパートに招待されている。彼女のお願いに付き合い体力の大半と殆どの精神力を失った俺は、リビングの折りたたみ式のテーブルに突っ伏している。
朝からお洒落カフェで朝食をしながら精神力をガリガリ削られることから始まる。理由は一之瀬が大半だったりする。
可愛いというより、綺麗の方が似合う一之瀬はカフェで嫌というほど目立った。
すべての視線が一之瀬に集まり続けるのならいいが、彼女を見たあとに俺に集中するのが非常に厳しかった。一部は羨望の眼差し、一部は嫉妬の眼差し、何故か男からの熱い眼差しも感じて背筋が粟立ったが、存在を無理矢理かき消した。
そんなカフェで精神力の大半を失ったあとは、ショッピングの荷物持ち。
講師の実習が余程キツかったのか、ストレスを発散するように買い物をする一之瀬の姿はラスボスの風格さえ感じた。
ストレスを品物へと変換したあとの一之瀬は晴れやかな顔をしていたが、あとあと後悔の表情へと変わるのではないかと俺は思っていたりもする。
だって財布ほぼ空っぽなんだぜ?
まぁ、そうなるのは俺が帰ったあとだろうけどな。
閑話休題。
一之瀬の部屋には今回初めて入る訳だが、掃除も行き届いていて綺麗だし男の俺が、入っても落ち着かなくなるような変な色の壁紙を使ってないから変に緊張することなくリラックスできた。その形が今の状態だったりもする。
「先輩いくら何でも気を抜きすぎだと思う」
「お前のお願いに応えたんだから多めに見てくれ」
俺の姿に呆れた顔をする一之瀬に疲れた声で反論すると小さな溜息を漏らすのが聞こえた。
そして、俺の目の前に置かれたカップからコーヒーらしきこうばしい香りがする。
「ほら、コーヒー、冷めないうちに飲まないと美味しくないよ?」
「ああ、そうだな有難く頂くとしよう」
漸く上体を起こすことにし、ゆっくりと動きだす。
そんな姿にヤレヤレと言いたげな顔で見る後輩は、向かい側に腰を下ろし可愛らしペンギンのイラストが描かれたマグカップを両手で掴んでいた。
ふむ。これがギャップというやつなのだろうか?普段は凛とした態度をしている一之瀬が可愛らしいマグカップを両手で掴み、ふうふうと息を吹きかけてコーヒーを冷ましながら飲む姿は、まるで小動物みたいだ。
「先輩、私の顔に何か?」
「すまん。何でもない」
怪訝な顔をし俺を見る一之瀬。
散々イタズラをして困らせてるもんだから警戒も半端ないのは間違いない。
彼女から視線を外し、カップを手に取るとコーヒーを1口含み喉を潤す。
未だに訝しげな顔をする一之瀬にどうしたものかと思い、話題を依頼した話にすり替えることにする。
当初の目的は、これなのだから問題はないだろう。
「で…一之瀬。俺が頼んだ件はどうだった?」
1度わざとらしく咳払いをし話を変更すると一瞬目を丸くし納得いかない顔をするも立ち上がり机の上からカード型の端末を手に取りテーブルに置く。
「一応ここに大雑把に纏めたデーターが入ってるけど…」
「けど?」
何故か歯切れの悪い物言いをする一之瀬に首を傾げる俺。
「はっきり言って参考にならないよ?私や先輩が子供の頃にあった駄菓子屋みたいな感覚のものばかりだから」
「まあ、それは見てから判断する」
一之瀬にとっては依頼遂行に失敗したも同然なのだろう。
あまり気の進まない表情をしているが、俺は短い返事を返してカード型の端末を受け取り起動させる。
起動後飛び出すデジタルフレームをタッチして操作をし、一之瀬がまとめたレポートに目を通す。
内容を確認して思ったことは、一之瀬の言う通り俺達が幼少期に通い詰めた駄菓子屋を彷彿させるような内容ばかりだった。
一之瀬が参考にならないと言うのも頷ける。
「こりゃ、駄菓子屋風をベースに独自の色を出してくしかないな」
「それしか方法はないかもしれないね」
だが、その回答が見つからないのも事実。
俺が唸り声を漏らし悩んでいると一之瀬がキモいから唸るなと言われ凹んだ。
時間の流れは早いもので、一之瀬と二人で購買の進むべき道を模索していると気付けば陽が半分ほど沈んでいた。これ以上長居するのも相手に悪いので、いそいそと帰宅の準備を始めれば一之瀬も時計に目をやる。
「もうこんな時間なんだ…楽しい時間の流れというのは瞬く間に経過していくんだね」
「そんな嘆くようなことでもないだろ?お前はまだ就活まで約1年くらい残してる学生だろが」
「先輩は分かってないな就活してる人間は先輩の3倍以上の速さで時間を消費してるんだよ?」
んなアホな。
週の終わりを嘆いてネガティブになる一之瀬の言葉に何の冗談だと思うのと、3倍の速さは1世紀以上前の名作ガンダムの赤い人型ロボに搭乗してる人だけだろと思うが、一之瀬本人が言うのだから間違いではないのだろう。
「まぁ、楽しい時間がそこにあったのは間違いないんだから、それをエネルギーにして週末まで頑張れ」
「ふむ。という事は週末にまた先輩が私にエネルギーを与えてくれるという解釈でいいのかな?」
「え…?」
想定外の返答に思わず疑問形で答えてしまう。何故俺が?
悪戯好きな子供のように笑顔で質問をする後輩に回答を窮した俺は、立ち上がり上着を羽織る。
「まぁ。気が向いた時くらいなら」
「よし、言質取った」
苦し紛れの回答ではあるが、とりあえず逃げることは出来たので良しとする。今後のこと?それは知らん。なるようになれだ。