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『脅威』

 プロイは毎日、朝早くから夜になるまで遺跡を見て回っていた。

 僕の目には今でも使われている石造りの塔が並んでいるだけなのだが、不思議な力で守られていると伝えられている。作られた時代はわかっていない。はるか昔、何万年も前に作られたのではないかと言われているが、その説の根拠も知らなかったし、知りたいという気持ちもなかった。

「ただいま!」

 プロイは日が暮れる頃に僕の家に戻ってきた。

「あ、おかえり」

 数日ではあるが、話をしていううちにプロイのかしこまった雰囲気はなくなり、口調も軽くなっていた。僕も気軽に話をする。

「『失われた技術』は何かわかった?」

 僕はそれまで読んでいた本を片付けながら声をかけた。

「全然。力は感じるんだけど、何があるのかわからないのよ」

 プロイが感じる力というのはわからない。僕にはただの石の塊にしか見えない。

「いろんな文献も見てきたんだけど、前の氷期の前に造られたものだっていうことは確実みたいなのね」

「氷期?」

「そう。氷河期とも言うんだけど、地球って何度も氷期と間氷期を繰り返していてね、前の間氷期に造られたみたいなの」

「間氷期?」

 なにがなにやらさっぱりだ。僕の頭の中にはプロイの言葉が入ってこない。これも勉強をサボったからだろう。興味のないものはさっぱりだ。

「うん、氷期は地球上の全部が氷の世界になることもあって、それが溶けて、またしばらくしたら氷の世界になって。それを繰り返しているのね」

「そうなんだ」

「で、一番最後は五万年前に氷期に入って、三千年前に終わったことが古文書に書かれていて、地層の研究でもそれが裏付けされてるの」

「ふむ」

 さっぱりわからない。研究でわかるものなのだろうか。

「でね、五万年前の氷期に入ったときに、人族はもう存在しててね、そのときにいろんなものが失われたみたいなの。それが何かがわからないからそれを調べている人もたくさんいるのね」

「考古学っていうやつ?」

 僕が知っているのはこれくらいだ。

「そうそう、考古学。それで氷期の前は今と違う文化があったみたいなの。でも氷期が長く続いたせいで失われたというのが定説。火と雷を自在に使っていたらしいというのが、あちこちの遺跡で発見されてて、でもその技術は今の私達には想像できないのよね」

 プロイはこの手の話になると饒舌になる。

「火って、この火とは違うの?」

 僕は机の上のランプの灯りを指差した。

「うん。そうだけど、もっと大きな火を作っていたみたい。それを何に使っていたのか、何を使って大きな火を燃やしていたのか、さっぱりわからないみたい」

「古文書とかないの?」

「それがないの。氷期に暖を取るために燃やしちゃったんじゃないか、なんて言われてるけど」

「そんなことあるんだ」

「わからないけどね。でも燃えた紙も発見されているから、そんなこともあったかもね」

 プロイは笑いながら話を続ける。

「それで『失われた技術』は、金属加工がすごかったみたい。ちょっと前に、錆びていない剣が見つかったでしょ」

 僕は、しばらく前に古代遺跡で剣が見つかったという話があったことを思い出した。

「ああ、あったね。鋳物屋のおっさんが興奮して話してた」

 世間には疎い僕だが、剣術をやっている関係で鋳物屋にはよく顔を出す。そこでたまたま聞いた話だった。

「魔術がかかっていない普通の剣なのに、不思議よね。知られてない金属でできてたって話なんだけど、石の一種という説も出てるの」

 それは初耳だった。

「『失われた技術』って、すごいね」

「でしょ。いつか私も発見したいなぁ。ロマンよね」

 プロイは遠い目をして、思い出したように話題を変えた。

「そう。それでね、明日出発することにしたの」

「え? 寂しくなるな」

 僕はちょっとうつむき、呟く。急な申し出だが、初めから数日だけという申し出だった。

 プロイはそれに気が付かないふりをした。プロイも名残惜しいが、それでも自分が進みたい道がある。またしばらくしたら遊びに来よう。

「それでね……」

「グオォォォォォ」

 プロイが話を続けようとしたとき、遠くから獣の叫び声が響いた。断末魔のような苦しみと怒りが込められた叫び声が繰り返し続く。

「!」

 僕はプロイと顔を見合わせた。

「水牛?」

「多分」

 このあたりでは水田や畑の作業に水牛を使う。大切な労働力として大事に使われているが、過酷な労働で怪我することも少なくない。場合によっては骨折などの重傷を負うこともある。そうなると屠殺することになるが、そのときの叫び声に似ていた。

 しかし、夜に畑仕事をするとも思えない。僕もプロイも何が起きたのか想像する。と、人の声が遠くから聞こえてきた。

「……」

 小さな声で聞き取れないが、遠くで叫んでいるのがわかった。慌てて僕達は窓から顔を出してその方向を見る。声は近付いてきた。段々と大きくなる。

「ノイ! ノイ! 早く来て!」

 叫びながら来るのは、中学の同級生だったオォだ。村のはずれで農業をやっている。あの叫び声はオォのところの水牛だったのだろうか。

 僕は窓からオォに向かって叫ぶ。

「どうした?」

「白い! バケモノ! でかいの! 二匹!」

 オォはそう言うと足を止め、肩で息をして下を向いた。ここまで走って息があがったのだろう。僕はそれに応える。

「畑の水牛小屋か?」

「そう! 頼む!」

 オォは下を向いたままそう言いながら来た方向を指差した。

「わかった」

 僕は部屋の奥に飾ってあった鞘に収まった剣を掴む。その鞘の上下には革の肩紐が結ばれていた。それに頭を潜らせ、肩からタスキ掛けに剣を背負う。

「プロイさん?」

「準備できたわ」

 プロイは部屋から木の杖を持って出てきた。木でできた杖の柄には大きな赤い宝石が飾られている。ルビーのようだが少し違う気がする。僕は気になり、尋ねてみた。

「それ、精霊石?」

「そうよ。サラマンダの石なの」

 そういえばプロイのことをほとんど聞いていなかったことに気がついた。あまり関わらずにおきたいというのはあったが、失礼なくらいに無関心な通常運転の僕。

「サラマンダですか」

 僕も冒険者の端くれだ。炎を司る精霊の一族をサラマンダと呼ぶことは知っていた。しかしそれがどういうものなのかは脅威百科事典でしか知らない。

「あとで紹介するわね。今はバケモノが先」

 そうだった。白い大きなバケモノ。正体はなんだろう。

 僕は玄関のドアを開けた。今日は満月だ。月明かりで足下もよく見える。

「その畑の水牛小屋ってどこなの?」

 プロイが尋ねた。

「この先の小川を渡った先にある小屋だよ」

 僕は暗い道の先を指さして答える。

「ちょっと遠いのね」

「まぁね」

「それじゃ、ちょっと待ってね」

 プロイは杖を右手で掲げ、何かを唱えるとそっと降ろす。

「どうした?」

 僕が尋ねると同時に、プロイが地面を突いた杖の先から柔らかな光の波が現れた。それが僕とプロイの足に触れると、足が柔らかい緑色の光に包まれた。それはすぐに二人の身体を覆う。

「え? これは?」

 僕は怪訝そうな顔をしてプロイに尋ねる。

「早足の魔法よ。一歩が広くなるの」

「へ?」

 実感がない表情をしている僕を見て、プロイは微笑む。と、左足を一歩前に出して踏み込み、そのまま右ひざ上げて勢いよく身体を前に押し出した。

 トンッ

 軽い音を奏でたプロイの身体はそのまま、玄関から庭を超えて道路まで飛んでいった。身体を覆っている緑色の柔らかな光が、少し散らばりながらプロイの軌跡に残って、そして消えていった。

 プロイは足下を確かめると振り返り、僕に向かって笑顔で話しかけた。

「どう?」

 僕はそれを見て真似てみる。試しに一歩、大きく踏み出してみると、普段の倍以上の距離を飛べた。

「……これすごい」

「便利でしょ」

 プロイはそう言うとそのまま水牛小屋に向かって走り出した。速足の魔法に包まれたプロイはもうずっと先にいる。僕は慌ててその後を追う。

「これは何なの?」

 全力で跳び、横に並んだところでプロイに尋ねてみる。

「私の魔術よ。精霊に力を分けてもらうのが精霊使いの術。自分の身体から出すものじゃないから安定しないけど、でもいろんなことができるのよ」

「自分の力じゃないって、これはプロイさんの術でしょ?」

 術を使うのは己の力量だし、熟練すれば一層うまく使える。僕は、それが冒険者の力だと思っていた。

「あはは。精霊に頼むことができる力はあるけど、足を早くしてくれたのは風の精霊と地の精霊。地の精霊が私達の足を地面から離してくれて、風の精霊が私達の身体を前に進めてくれるの」

 僕にはよくわからなかった。剣技や武術では届かない世界だということはわかったが、それがどういうものなのか理解ができない。

「魔法もいろいろあるのよ。自分の身体や精神から術を生み出すのもあるし、この世以外の世界から力を引き出す術もあるし、この世の力を膨らませる術もあるし、いろいろよ」

 腑に落ちない表情のままの僕を見て、プロイは跳びながら説明する。

「ノイ君、武術も棒とか剣とか拳とか、いろいろんな道具があるでしょ」

 これはわかる。

「棒を武器にする人もいれば、剣を武器にする人も、体を武器にする人もいるよね」

 これもわかる。

「棒は殴るし、剣は斬るよね」

 これもわかる。

「精霊は武器と同じなのよ」

 これはわからない。僕はまた悩む。

 それを見たプロイは話題を変えた。そろそろ目的地が近い。

「あの小川のところよね?」

「え、あ。そう、そこ」

 僕は慌てて跳ねる足を押しとどめた。

「大丈夫。そろそろ魔法も消えるから」

 気が付けば身体を覆っていた光が消えかかっている。

「え?」

 不思議そうにしている僕をプロイは笑う。

「あはは、分けてもらった力だからね。ずっと効果があるわけじゃないのよ」

 また難しいことになった。これをどう理解していいのかわからない。

 僕の不思議そうな表情を見てプロイはおかしくなった。しかし、続けて何かを言おうとしたとき、プロイの視界に月明かりに照らされている白い身体が映った。

 それまでの笑顔は消え、厳しい表情と視線に変る。声も小さくなり、それでいてはっきりとした口調になった。

「続きは後で。そこにいるバケモノの気配がする」

 プロイの術にすっかり気を取られてしまっていた僕は、その視線の先を見る。

 月明かりの下、倒れた水牛の腹に手を入れ、貪り食う白い大きな身体があった。水牛の大きさから比較すると、バケモノは僕の倍以上の背丈になるだろう。

「でかい、な」

「あれは」

 僕は背負った剣の柄に手をやり、鞘からその刃を抜く。そのまま両手で柄を握ると刃を前に向け、刃先を右下に構えた。

 その剣は片刃で緩やかな弧を描く形。プロイはその剣の美しさに魅せられた顔をした。

「その剣、変ってるね。綺麗」

「うん。父親の形見なんだけど、元々は母親が持っていたらしいけどよくわからないんだ。それより一匹しかいない」

 周囲の気配を読むが、何も得られない。いない。

「二匹って言ってたよね」

 白い大きなそれが僕達の気配を察したようだ。ゆっくりと起き上がり、振り向く。三メートル以上の背丈が月明りに照らされる。白い顔と手が、水牛の血で真っ赤に染まっていた。

「トロル?」

 プロイはその姿を見て驚いた表情になる。トロルは雪の降る北の国に生息していると冒険者組合の脅威百科事典に書いてあった。でもあの身体と肌と顔は間違いない。それがこの常夏の南国にいる?

 疑問が浮かんだのは、丁度、僕が昼間に読んだページに書いてあったからだ。でもそれ以外に覚えていない。熱帯雨林のこの土地にもいると書いてあったかどうか覚えていない。興味がないとさっぱりだ。

「トロルって硬いんだっけ」

 なけなしの僕の知識からの問いかけにプロイは答えた。

「トロイの皮は硬いって聞いてるけど、試したことない」

「それじゃ試すしかないか」

 僕は手に持つ剣に力を込めてトロルを睨み、呼吸を大きく吐き出し、そして大きく吸う。剣を握る手に更に力を込める。今までも脅威はこの村に何度か現れた。巨大な蟲や熊も苦も無く倒してきた。やれるはずだ。

 トロルはその様子を見ても警戒する様子もなく、ゆっくりと歩く。その余裕は、自身を生態系の頂点だと知っているからだろうか。ゆっくり手を広げて近付いてくる。

「捕まえるつもりみたいだな」

「そうね」

 そのまま僕はトロルの動きを見ながら近付きながら、自分の準備不足に気が付いた。普段着のシャツとパンツだ。普段着のままあの腕に掴まれたら無事にすまない。せめて革鎧だけでも身に付けてくればよかった。いや、掴まらなければいいんだ。掴まらないことを優先しよう。頭の中で、自分の動きとトロルの動きを想像する。これならいける。

「フッ」

 整えた呼吸から息を軽く吐き出し、僕は左足で地面を蹴り斜め右に跳ぶ。トロルの動きから目を離さずに反応を見ると、思ったとおり左手が近付いてくる。

(ここだ!)

 想像したタイミングで着地した右足に力を込めて踏ん張り、逆の左方向に跳ぶ。トロルの腹が目の前に来た。ここまではイメージ通り。

「フンッ」

 身体の右に構えた剣を振り抜こうとその目の前の腹に叩き付けた。

 ガンッ!

 僕は剣と共に弾かれた。その勢いで僕の身体も後ろに弾かれる。トロルを叩いた手がしびれている。それを見たトロルがニヤリと笑ったように見えた。

「なんだ」

 剣のぶつかった場所には傷一つなかった。剣を握っていた手が痛い。硬いのは想定していたが弾かれるのはイメージになかった。身体ごと弾かれ、トロルの手が届くところで止まらなかったのはラッキーだったのかもしれないと思いながら、どうしたものか思案する。

「硬いね」

「大丈夫?」

 プロイは心配そうに声をかける。その声を聞きながらも、僕の脳裏に浮かび上がるものがあった。

「硬い皮」

 思い出した。そう、硬い皮だ。

『硬い皮は引いて斬るんだ』

 父親の言葉を思い出す。相手に当たるかどうかのところで刃を押し付けながら脇を締めて手前に刃を引く動作を仕込まれた。

『手元に引いた刃を返して、また刃を当てて体重をかけて脇を抜けるんだ』

 手元に戻ってきた刃をそのまま返して逆から切裂く動作を何度も繰り返す型を仕込まれた。

『同じところに当てれば、いつかは骨まで届く。骨を断てば動きが止まる。そうしたら急所を狙うんだ。首を狙えば確実だ』

 どんなに巨大な『脅威』でも、首と心臓を斬れば倒せると父親は笑った。強い父親にほめられるのが嬉しくて、言われた通りに型を身に付けた。

 しかし、父親は『脅威』に敗れた。父親の言葉は絶対ではなかったことを知って僕は絶望し、冒険者になることに抵抗を感じた。勇者と呼ばれた父親が敗れたことに絶望し、冒険者になることに恐怖を感じていた。そして僕が勇者の称号を継がないことに決めたのは、勇者の無力を感じ、絶望したからだった。

 しかし、僕が今感じているのは、その絶望だけではない。今までとは異なる『脅威』に接した恐怖心と勇者の力を試して通用することを確かめたいという思いとが絡まり、複雑な気持ちでいた。

 僕は腕と剣を頭上に構えた。この上段の構えが得意だ。

 その構えのまま、僕は間合いを探る。さっきのトロルの反応は、注意しなければならないほどの早さはない。大丈夫だ。今度こそ倒せる。

「大丈夫」

 僕は小さくはあるが、確信を持った返事をした。それにプロイは安心したようだ。

 自分の間合いに少しずつ近付く。トロルは変らず小さな冒険者を捕まえようと手を開く。トロルにしてみれば小動物にしか見えないのだろう。油断しているのがわかる。その見下した目を見た僕は、村の水牛を殺された怒りも、得体の知れない脅威に対する恐怖も、何も感じずに冷静になった。

「あと半歩」

 相手に剣が触れ、引き抜ける位置に飛び込めるまでの距離になるまで、トロルの目を睨みつける。

 息を少しずつ吐きながら、僕はその瞬間を待つ。

(ここだ)

 トン

 トロルが反応するよりも手前、さっきよりも少し離れた距離から飛び込み、僕は頭上に掲げた剣を右に傾けてそのままトロルの腹に剣を触れさせた。

 ザッ

 剣が触れるとそのまま押し出す。

 ザザッ

 剣からトロルの皮膚の硬さが伝わってくる。硬くざらついた皮だ。一度出し切った刃を思いっきり剣を引くと手応えが変った。それまでの硬いだけの手応えはありながらも、剣がトロルの身体に吸い込まれているのが伝わってきた。

 トロルの右腕が近付いてくるのが目に入る。これは半歩下がれば避けられるイメージ。

 トン

 僕は根元までトロルの腹に沈んだ剣を押し当て、引きながらそのまま下がる。脇を締め、腕を折りたたみ、剣を身体の左側に戻す。そしてトロルの腕の届かないところまで跳んで戻る。

 バッ!

 剣が抜かれたトロルの傷口が開き、血が噴出す。しかし手ごたえは浅い。致命傷にはなってないのがわかる。ならばもう一度押そう。

 僕は引き戻した剣の刃を返すとトロルの右腕をすり抜けるようにトロルの右側に跳ぶ。同時に剣の刃を血が噴出している傷口に当て、そのまま走り抜けながら剣を振り抜く。さっきよりも一段と深くまで剣が入った手応えを感じた。内臓まで届いたはずだ。

 剣を振り切ったところで、身体をトロルに向けて体勢を整える。致命傷を与えた手応えはあったが油断はできない。

 グオオオオオオ

 トロルが初めてその苦痛を声に出した。傷口からは更に血が噴出し、内臓がはみ出ている。しかし睨むその目は、まだ死んでいない。まだ動く。

(これで終わる)

 僕は刃を上に向け、懐に飛び込み、そのまま剣をトロルの腹の傷から奥に突き刺した。剣先はトロルの心臓を突き破る。その手応えを得ると、僕は剣を抜き、一歩下がった。

 ドサッ

 トロルの眼光は消え、そのまま崩れ落ちた。

 僕にはとてつもなく長い時間であったが、多分一瞬の出来事だったのだろう。

「やるね」

 プロイは思った。ノイの剣技を美しいと思った。体の緩急ある動きと剣の滑らかな動き。繰り返し修行をしてきたのがわかる。

「ありがとう。あと一匹」

 僕は少し照れた。でも、まだやることがある。二匹いたはずだ。

「今探している。まだ見つからないけど、多分その森の奥。なにか引きずった跡があるでしょ」

 プロイは村の外側にある森を指差した。月明かりに照らされ、草が折れているのがわかった。何か重いものを引きずったのだろう。

「血の跡もあるから、多分だけど、水牛をどこかに持っていったんだと思うの」

「どこに?」

「わかるわけないでしょ。だからそれを探してるの」

「どうやって?」

「ちょっと待って。見付けた」

 プロイが目を閉じて杖を握り締め、声にならない声で呟くと、周りの空気が動き、柔らかに光を帯びる。一分ほどその状態が続いたが、プロイが目を開くとそれは突然終わった。

「この森の先にある崖」

「崖?」

 僕はこの森の奥に崖があることを知らなかった。生まれ育った村だが、興味はない。

 プロイは僕の言葉には応えず、杖を持った手を少し持ち上げ、そして地面にそっとその先を触れる。柔らかな緑色の光が地面から湧き出し、波打ちながら広がり、二人の体を包む。

「ついてきて」

 そういうとプロイは走り出した。

「え、あ、うん」

 さっきと同じ速足の術だ。僕は慌てて後を追う。

 月明かりの届かない森の中ではあるが、少し明るい。これも精霊の力なのだろうか。何かが通った跡の上を跳ぶ。心地いい走りを五分ほど楽しむと、小さな丘が目の前に現れた。そこでプロイは足を止めた。慌てて僕も止まる。

「この右側がちょっと開けている場所があるの。そこに六匹」

「六?」

「うん」

 さすがにトロルを六匹、同時に相手するにはどうしたものかと考える。

「ここは任せて」

 プロイはそう言うと杖を目の前に掲げた。

「アグニ、お願い」

 ドン!

 空気が熱を帯びた。そしてプロイが持つ杖の握りに飾られる赤い精霊石から、青い炎の柱が現れる。

「え?」

 僕は驚く。その炎は青から白に変わり、そして人の形に変った。

「ひさしぶりね」

 炎が言葉を発した。

「こんばんは、アグニ。力を貸して」

 何が起きたかわからない。何がなんだかわからない。ぼんやりと目の前の不思議な出来事を見るしかない。

「随分と力をつけたみたいね」

「うん。でも急いで」

「はいはい」

 僕は、アグニと呼ばれた姿に見惚れていた。年の頃は二十代半ばに見えるその女性の姿は、青く、碧く、そして白かった。細身ですらっとした長身、百七十センチはあるだろうか。その身体は薄い赤い布のワンピースをまとっている。その身体の割に顔は小さい。セミロングの赤い髪は月明りでもわかる。いや、赤く光っているのか。

「ちょっと待ってね。呼び戻すから」

 アグニは微笑むと、手を挙げた。それに応じて、黒い塊が四つ、丘の向こうから飛んで来るとそのままアグニの掌に吸い込まれた。気が付けば、アグニの赤い髪が伸びていた。

「?」

 僕が不思議そうにアグニを見ていることにプロイは気が付いた。

「ノイ君、後で説明するから。ね」

「え、ああ、うん」

「行くわよ」

 プロイはトロルのいる方向に歩き出した。

「せっかちねぇ」

「もう限界が近いの。アグニの分身を保つの、疲れるのよ」

 その会話から、僕は黒い塊がアグニの分身だったことを理解した。トロルを探したのもアグニの分身なのだろう。

「あそこね」

 月明りの下に大柄なトロルが、水牛を囲んで座り、食べている。グチャグチャと肉を咀嚼する音が気持ち悪い。

「さっと片付けるからね、ノイ君。これが精霊と私の能力だからよく見ておいてね」

 プロイの言葉と同時にアグニは僕に微笑む。そしてトロルに視線を移すと目を閉じて下げている右手に力を籠め、手を握った。そしておもむろに人差し指を伸ばすと、目を見開き、そのまま手を挙げてその人差し指で小さな円をくるりと描くと、勢いよく振り下ろした。

 ボウッ!

 大きな音と共に大きな円形の炎の壁が現れ、トロルを囲んだ。

「*&%$?」

 トロルがその異変に叫ぶ。

 アグニは笑顔だった。僕が今まで見たことのない、恐ろしい笑顔だった。その笑顔のまま、振り下ろした右手を開くと、手の平を空に向けて、一気に上げた。

 ゴウッ!

 トロルを囲んだ円の中心から、火柱が立ち上がった。僕が今まで目にしたことのない、外側が青く中心が白い美しい炎だった。

 立ち上がった炎に触れたトロルはその炎の勢いに吹き飛ばされ、周りにある炎の壁に叩き付けられた。音にならない叫び声が僕の耳に届く。

「これで終わり」

 アグニは振り上げた手の平を返して地面に向けると、また勢いよく振り下ろした。

 ドンッ!

 炎が押しつぶされ、炎の外までその衝撃が響いた。トロルの身体が炎に溶けていくように見える。高温の炎に押しつぶされた身体が分解されながら焼けている。

 ガサ

 そのとき背後で音がしたが、僕は気が付かなかった。

 アグニは背後に目をやると、それまでの笑顔を消した。

「あとは任せた。ごめんね」

 そう言うと、アグニの姿が消える。徐々に薄くなったアグニの身体が、プロイの持つ杖の握りに飾られた精霊石に吸い込まれていき、精霊石は赤に変わっていた。


「こりゃえげつないな」

 聞いたことのない声がした。僕はアグニが消えることに注意がいって気が付かなかった。

「誰?」

 先に反応したのはプロイだった。僕が反応する前にその声の方向を向いていた。

 姿を現した男は冷静だった。

「冒険者のグエンって者だ。別にあんたらに危害を加えようって気はないから、安心してくれ」

 僕は背負っていた剣にかけていた手を動かさずに、その男、グエンを見た。

 三十代半ばの、普通にどこにでもいるおじさんの風貌だ。帽子を深くかぶっているが、その奥からの眼光は鋭い。二人を品定めするように見ているのがわかる。しかし、敵意はないようだ。

 敵意のないことを確認すると、僕は剣にかけていた手を外す。

「冒険者さんですか。こんな田舎に何かありましたか?」

 背後にはトロルの焼け残った骨が転がっている。何もない状況ではないが、敢えて聞いてみる。

「その転がってる死体を探しにきたのさ。依頼があってね」

「そうですか」

 僕は警戒しながら軽く受け流す。情報は小出しにした方がいい。

「だから警戒しねぇでくれ。そいつらを捕まえるか処理するかしてくれって依頼があってな。それで追いかけてたのさ」

「その、これは何ですか?」

 警戒は解けない。

「わかってんだろ。トロルだよ。北の国から随分と移動しているのがいるらしいってことでな。奴らには人間のような作法ってものがねぇから、脅威になる。なんか被害はあったかい?」

「水牛が二頭……」

「おーい、グエンの旦那! そっちになにかあったかい?」

 グエンの後ろからの大きな声が僕の言葉を遮った。

「おう、こっちだ」

 声のした方を向いて合図を送ると、グエンは言葉を続けた。

「こいつらの死体をな、依頼元に送らなきゃならなくてな。さっきの続きだが、被害にあった水牛のいた牛舎ってのは小川のところかい?」

「はい」

「そうか。それじゃ、君の家にちょっと邪魔させてくれないか。あそこのトロルを倒したのは君だろ?」

 グエンは僕の背中の剣を見て言った。

「そうです」

「旦那、これはなんだい?」

 さっきの声の主が現れた。冒険者ではなさそうだ。

「ああ、ちょっと事故があったようだ。こいつらの骨を一匹ずつな、袋に分けてしまってくれ」

「あんまり気分がいいものじゃないですね」

「依頼した仕事の内だ。文句言わずにやってくれ」

 男は肩をすくめ、やれやれといった表情で背中のカバンから布袋を取り出し、作業にはいった。

「終わったら、さっきの小川のところで荷物をまとめておいてくれ」

「承知」

 男に指示すると、グエンは二人に顔を向けた。

「君は剣士で、そのお嬢さんは魔術師かな。話を聞きたいんだが、家にお邪魔していいかな」

 僕は躊躇したが、ここで話すのもあまり気分がよくない。この冒険者の口ぶりからすると、僕の正体もわかっているような気もする。はぐらかすのも無駄だ。僕はしぶしぶ承諾した。

「わかりました。では家に案内します」

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